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 タァウイ上下二国、プント、チェヘヌゥ、その他合わせて九つの国に比類なき、もの言う睡蓮によりて語られた言葉。彼の花にまみえし南の蛇がここに記す。


第一章 ウアセト


 王宮から、金箔に彩られた輿が担ぎ出されてくる。先導の掲げる松明が辺り一帯を照らした。次々現れる輿の周りにはそれぞれ数名の屈強な兵士が付き従い、貴人たちの護衛を勤めている。それは、久方振りに帰った、タァウイ、両エジプトの王を讃える祭典だった。
「ユギ!」
 祭りに沸き立つ人々の間をすり抜けて歩いていた少年が足を止めた。ユギと呼ばれた彼は、極一般的な、赤い肌のエジプト人だ。少しばかり身なりは良いが、書記を目指しているのだと言われればそれで納得する程度の。時折学校を抜け出して遊びに来ているのだというその少年は、ウアセト城下の若者たちにとって、雲の上の王宮と自分たちを繋ぐ存在だった。
「久し振りだな、ユギ。最近ちっとも姿を見せねぇもんだから、ネフトがご機嫌斜めになって大変だぜ」
「ネフトが? それは本当に大変だな」
「ほら、言ってる内にもう来たぞ」
 甘く瑞々しい果実の名前を冠された少女は、踊り子の衣装を纏い、一直線にユギのもとへやってきた。
「ちょっとジョーノ、余計なこと言わないでよ。だいたい、アンタ今日は書き入れ時でしょ。こんな所で油売ってていいわけ?」
「少しくらいいいだろ。久し振りにユギが……ああ、何だ、久し振りだから二人きりにして欲しいって? 言い方が遠回し過ぎて気付かないとこだったぜ。わりーな」
「ち、違うわよ! 私はただ」
 ネフトの言いわけを遮って、巨大な金属音が鳴り響いた。王と神官たちが出揃ったのだ。これから、南方の侵入者を退け勝利を持ち帰った王とその加護をした神を讃える式典が執り行われる。
「楽しみね」
 ネフトが小さく呟いた。記憶にある限り、ユギたちが凱旋の儀を見るのは初めてである。この儀が以前行われたのは十数年は昔、まだ赤子だったのだから当然だ。
 最も豪奢な箱付きの輿から、色白の神官が姿を現した。ファラオじゃないのかと、どよめきと言うには小さな戸惑いの声が幾つか、ユギの周りでも上がる。
 その神官は白と青と紫の布を纏い、金に翡翠を銀に天青石を嵌めた飾りを身に付け、一目で彼が何か特殊な地位にいることを知らしめていた。額を見よ、そこにあるのは恐れ多くも上下二国の主を象徴する、鷲の羽を持つコブラの細工である。
「あのヌブトの神官スゲェな。他の奴らが霞んで見える」
 ジョーノの言葉にユギは眉を顰めた。他の神官たちとて、決して粗末な格好ではない。白布や金細工くらい全員が身に付けている。
「あいつは化け物だ」
「化け物?」
 ああ、と、ユギは白い肌の神官を見据えて頷いた。
「オレが赤ん坊の頃からずっとあの容姿だ。信じられるか、あれでファラオよりも年嵩だと」
「嘘でしょう? だって、今は……」
 アテム王の治世十六年。若くして即位した王ではあったが、それでも。
「父上に巣食う寄生虫め」
 ユギの呟きは、続いて輿から出た王を迎える歓声に掻き消された。

 儀式は何一つ誤りなく終わりを迎えた。ファラオも、ヌブトの神官も、他の貴人たちも、再び輿に戻る。
「つい最後まで見ちまった。急いで店の用意しねぇと」
「私も戻らなくっちゃ。このあとここで踊るのよ、ユギも見ていってね」
 式典が終わっても祭りは終わらない。立ち去る神官たちを避けながら、民衆は各々のすべきことをしに散り散りになっていく。
 その時、ふいにジョーノの肩へ鈍痛が走った。輿の担ぎ手が籠の端をぶつけたのだ。
「貴様、選りにも選ってファラオとセト様の輿に当たるとは何たる不敬!」