ランチタイムの仲間たち
2008/8/3


 教室がざわめいた。
 何となく社にいたくなくて、言い換えるなら少し疲れて、急ぎの仕事も無いのをいいことに逃げるようにやって来た高校だったが、失敗した、せめてもう二、三十分あとに来るんだったと海馬は非常な後悔をした。久し振りに現れた級友が珍しいのか、それとも進級が危ぶまれるほど学校に来ていなかったくせに進級後も不登校を続けた問題児が珍しいのか、最もありそうなところで名だたるKCの社長が珍しいのか、ちょうど昼休みになったばかりの教室はいつになく騒然としている。より不快を増すことに、ひそひそとささめきながら、それでも話しかける度胸が無いのか、皆遠巻きにしているだけという状況だ。
「あれぇ? 海馬君だ。どうしたの? 珍しいね」
 何度も会っている遊戯たちだけが例外である。遊戯は海馬の姿を見付けると、とたとたと走り寄った。
「どうもしない。そんなこと、貴様に関係無いだろう」
「うん。でも珍しいよね」
 にっこりと満面の笑みを見せられて、何がそんなに嬉しいのだと海馬が内心訝る。まぁそうだな、珍しいな、とおざなりに海馬が答えると、遊戯は少し頬を膨らませた。
「遊戯! 海馬なんか放っておいて飯にしようぜ」
 少し離れた座席から城之内が遊戯を呼んだ。その周りには偶然か、それとも問題児を集めたのか、今年も同じクラスだったいつものメンバーが揃っている。
「あ、うん、ちょっと待って」
「速く行ったらどうだ。お仲間たちが待ちかねているぞ?」
 追い払うような言葉にも気を悪くした様子無く、遊戯は海馬君もちょっと待ってと振り返っていた顔を元の向きに戻した。
「ね、海馬君お昼は? 食べてきたの?」
「いや」
 まだだ、と言い掛けて海馬は口を噤んだ。言えばこのお節介な人間はあれこれ煩くなるに違いないと思ってのことだったが、既に否定の言葉を口にしてしまった以上、手遅れというものだった。
「じゃあ、お弁当持って来たの?」
 問われて、海馬はどう答えていいものか迷った。持って来ていないに決まっているのだ。そもそも、この時間が昼食の時間であることすら忘れていたのだから。
「……持って来ていない。が、腹が減っているわけではないから問題無い」
「ええ? それじゃ身体に悪いよ。ちゃんと一日三食食べないと」
 実に名案だろうと思われた返答は、遊戯の前には無力だった。
「あ、そうだ! 海馬君も一緒に食べようよ。ボクもあんまりお腹空いてないから、お弁当半分食べてよ」
 お節介にも程がある!
 海馬は頭が痛むような錯覚に陥った。遊戯はにこにこと海馬を見上げている。
「あぁ、お前が良くても、他の奴らが嫌がるのではないか? わざわざ険悪な雰囲気の中で食事をすることもあるまい。さっさと向こうへ行け」
「えー、大丈夫だよー。皆もう慣れっこだもん」
 それは険悪な雰囲気にという意味かこの性格にという意味かどちらなのだ。後者だとしたら何となく自分が腹立たしい。海馬の思考を逡巡と捉えたのか、だから、と遊戯は駄目押しのように海馬の腕を掴んだ。既製のカッターシャツが細い腕に合わせてくしゃりと変形する。
 慣れてようが何だろうがそんなものは別問題だと言ってしまえばよかったが、今が昼だと気付いてしまい教室中で繰り広げられる食事風景を見てしまった所為で実際はそれなりに空腹であったりもし、海馬は遊戯が腕を掴んで引いていくのをそのまま許した。抵抗するほど嫌だというわけでもなかった。
「ねえ、海馬君も一緒にいいよね?」
 上機嫌で遊戯が座席に着いて待っていたメンバーに笑い掛けると、すかさず城之内が異を唱えようとした。顔を合わせて喧嘩にならない方が珍しいのだから、当たり前のことである。
「いいよね?」
 遊戯は城之内を見てもう一度問い直した。一度そうすると決めたら遊戯は意外に頑固なのだ。
「ね?」
「……おう」
 根競べをするまでもなく遊戯の笑顔に負けた城之内が異を収めると、他には誰も表立って反対するものはいなかった。結局遊戯たちと昼食を取ることになった海馬の分、新たに座席が寄せられる。同年代の人間と食事など何年振りだったかと記憶を探りながら、海馬はその椅子に座った。
「あれ? お前弁当は?」
 嫌いでも、仲が悪くても、取り敢えず話し掛けずにはいられないのか城之内がそう問うた。目敏い彼自身は、今時の男子高生とは思えない、しかしこのメンバーの中では珍しくもない、手製の弁当を持って来ている。
「お昼食べる気無かったから持って来てないんだって。でもそれじゃあ身体に悪いでしょ? だからボクの半分あげるよ、って」
 答えない海馬に代わって遊戯が返答する。その返答に逸早く反応したのは城之内でなく杏子だった。
「それじゃあ遊戯の身体に悪いじゃない! 駄目よ、遊戯はこれからが成長期なんだから!」
 多分、と杏子は心の中で付け足した。周りも同じことを思っただろう。
「え、でも……」
「私ダイエット中だから、私のあげるわよ」
 遊戯のお節介がこの女にうつったのか、この女のお節介が遊戯にうつったのか、どちらだろうかと海馬はぼんやりと考えた。しかし女の小さな弁当箱は人に分け与えるだけの分量を持っていないとも考えたので、さすがにそのお節介は辞退することにする。
「必要無い。元々食事をする気は無かった。食べろと言うから来たが、食べるなと言うならそれでいい」
「でもそれじゃ身体に悪いよ。だから、ボクのあげるって」
「もう、遊戯は駄目よ!」
「だって杏子のお弁当ちょっとしか入ってないし……」
「ダイエット中って言ったじゃない。もうすぐコンテストなのよ」
「いくらダイエット中でも、ある程度は食べないと余計に悪いんじゃ」
 目の前で始まった遊戯と杏子の言い争いを、何故こいつらは人の意見を聞かないのだろうと少々うんざりしながら海馬は見ていた。いっそ席を立って出て行ってしまえば早いのではないかとも思う。
「海馬君困ってるねぇ」
 マイペースに食事を始めた獏良が楽しそうに笑い掛けた。他のメンバーも次々と弁当を開け始める。
「ていうか学食開いてねぇの?」
「月末まで改修工事だってさ。購買はもう売り切れだろうし」
 城之内の言葉に席を立ち掛けた海馬に獏良の言葉が圧し掛かる。
「ボクは思うんだけどさぁ、なんでちょっとずつ分けるって発想が出て来ないのかな……」
「頑固だからだろ」
 呆れたような御伽の声にさして気にした風でもなく本田が答える。その声が届いたのか遊戯たちはぴたりと言い合いを止めた。
「……そうだよね。なんで気付かなかったんだろ」
「もっと早く言ってよ。私たち、馬鹿みたいじゃない」
 言いながら遊戯は開けた弁当箱の蓋を置いて海馬の方へ押しやり、そこに綺麗な黄色の玉子焼きと赤いウィンナーを載せた。
「それじゃあ、私からはこれね」
「あ、ボクのも食べてみてよ。自分で言うのもなんだけど、今日のはいい感じにできたと思うんだよねぇ」
 杏子と獏良が遊戯に続き、獏良は、あ、と羨ましげな声を上げた城之内の元にも自信作を一つ届けて、見た目からしてなかなかでしょうと微笑んだ。
「ま、米も食え、米も。って、箸無いんじゃねぇ?」
「ボク持ってるよ。割り箸だけど」
「おー、さすが御伽。用意がいいなー」
「だって皆結構頻繁に忘れるじゃないか」
 展開される光景に海馬は暫し呆然とした。この馴れ合いの輪は何なのだ、と。
「食べないの?」
「……いや」
 本当にごくごく偶になら、その輪に組み込まれるのもいいだろうと安物の割り箸を二つにしながら海馬は考えた。あれこれ考えずに一学生になるのもいいだろうと。
 半分に分けた黄色い玉子焼きを口に入れようとして、海馬は眉根を寄せた。遊戯の楽しげな視線が唇に突き刺さっていた。
「何だ」
「何でも無いよー。ボクも食べよう」
 いただきます、と遊戯が手を合わせた。そういえば言っていなかったなと海馬も小さく食前の挨拶を呟き、遊戯を破顔させ、他の皆の目を大きな丸にしてみせた。


the finis.

 まだくっ付いてなくて皆でワイワイやりつつちょっと意識してるとか、凄く萌えですよね! 表ちゃんが構いたがりで押してるのが好きです。瀬人は押されると弱いと思う。