I want sweet, and sweet.
2009/11/6


「さっき、減給と言ったのは取り消しだ」
 我らが社長は虚ろな目でそう呟いた。独り言だろうか。それとも返事をすべきだろうか。迷っていると、瀬人様はそれを察したものかどうか、おい磯野と私の名を呼んだ。
「な、なんで御座いましょうか」
「このごみ屑以下のプログラムを組んだチームはどこだった?」
 今日だけで既に二回申し上げているのだが、このような状況下では記憶に引っ掛かっていないのも無理は無い。私は手帳を開き、そこにしかと記された、この予算も納期も出来も何もかもが拙いプロジェクトの担当チームの名を読み上げた。
「あぁ……そうだったな。そこだ」
「はい。しかし、減給取り消しとは瀬人様にしては随分お優しい」
「優しい? あぁそうだな、優しいだろう。一生飼い殺しなどと言わず一思いに首にしてくれるのだからな。全員首だ。首」
 口調は非常に淡々としていた。冷徹というわけではない。単に、覇気が無いのだ。覇気が無さ過ぎて本気かどうかも判り辛い。
「帰りたいぞ磯野」
 それもその筈、この激しく拙かったが一応はどうにかなりそうだったプロジェクトが最後の最後プログラムテストの段階で崩壊して以来、経営者でありながら誰よりも優秀なプログラマである瀬人様は現在泊まり込み何日目だか数えるのも恐ろしい日数をひたすらプログラム修正作業に費やしているのである。覇気も無くなれば帰りたくもなるだろう。
「ふふふ、磯野、見ろ。このファンクション、数千行に渡ってただの一度もコメントが無いぞ」
 まあ、なんというか、壊れてきていらっしゃる。瀬人様らしからぬ実にいい笑顔であるが、目は焦点がぶれている。人は極限状態に置かれると意味も無く笑い出すというが、その真偽が今確認された。
「帰りたい。帰りたいんだが何故帰れないんだ」
「もうすぐですから! あと一機能で帰れますから!」
 普通に普通の人間が組めば丸二日程度の代物だが、瀬人様ならば一日も掛からないだろう。明日の今頃は屋敷のベッドで充分にお休みになれる筈だ。その前にブツリといかなければ、だが。ブツリと、と言うのは勿論精神力や集中力的な意味でである。雲行きは非常に怪しい。
「ただでさえ他人の書いたコードなど読めたものじゃないというのに、どうしてこのソースにはガイドが無いのだろうな?」
「慌てて組んだものだからかと……いやでも瀬人様コード解析もプログラミングもお好きじゃないですか」
「オレが好きなのは他社システムの解析と自分で企画し定義し設計した上でのプログラミングだ!」
 怒鳴って、瀬人様は荒い息を吐いた。肩で息をしている。精神力は言うに及ばず、体力も切れ掛けなのだ。申しわけありませんと謝りどうにか落ち着いていただくと、私は瀬人様のモニタを覗き込んだ。進行状況しだいでは一度休息を入れていただいた方が効率がいいかもしれない。
 しかし私が覗き込んだ途端に画面はエラーコードを映し出し、私には状況を窺うことができなかった。発生した異常の影響を受ける行が羅列され、最後にエラーの原因が書き出される。ノットエクセプション何とかかんとか。要は「そんなものありません」だ。瀬人様のタイプミスでなければ、割合に致命的なエラーである。お疲れのようだからきっとタイプミスだろう。そう思いたい。瀬人様ほどではないが、壊れていく瀬人様を見ながら事務方面の調整を行うのも、なかなかに疲れてくるものなのだ。
「あと一機能……一機能なんだがな……」
 モニタの前に瀬人様が突っ伏した。居眠りをする学生のような姿勢だが、学生である筈の瀬人様には全くもって似合わない。特にこの数日は学生業を捨て切っておられたので、より強く似合わなさが意識された。これが例えば瀬人様のご学友の――
 彼なら似合うだろうな、と思ったその時、まさにその彼からの電話が瀬人様に掛かってきた。瀬人様が起き上がって上着のポケットから携帯を出す。まだ瀬人様が出てもいない内から掛けてきた相手が分かったのは、私がエスパーだからではなく、着信音のためだった。デフォルト設定のクラシックでなく流行りのラブソングが流れるのは、瀬人様の携帯においては彼からの着信時のみなのだ。瀬人様曰く「自分で設定したわけではない」そうだが。
 要は、つまり、ご学友と言ったが実際のところ勝手に設定された着メロがラブソングであるような仲のご交際相手である。
「城之内?」
 疲労を取り繕うのも投げ捨てた声で瀬人様が電話に出ると、携帯の向こうの彼は『海馬?』と瀬人様に呼び掛けた。
『おー、なんかお疲れだな』
「仕事が終わらん」
『あー……ずっと屋敷に帰ってないんだって? つかその様子だと絶賛仕事中だったよな、今時間大丈夫か?』
 これは聞いていてもいいものだろうか。瀬人様は私がいることを意識して話しておられるが、なにぶん彼の声が大きくて、会話の内容は丸聞こえである。
「時間は少しくらい問題無い。どうした?」
『いや。どうっつーか。屋敷行っても全然会えないからさぁ。つい手が携帯に』
 よし、退室しよう。しかしそう決め書類を纏めようとした私に向かって、瀬人様がジェスチャーで続けろと命じる。確かに、続けなければ拙いのだが、数分くらいならば。数分で電話を終わらせる気は無いということだろうか。それか、そもそも彼の声が私にまで聞こえていると気付いていないのだろうか。
「甘いものが食べたい」
 いや、単に思考回路が既に飛んでいるだけでいらっしゃったようだ。会話してさし上げて下さい瀬人様。脈絡が無さ過ぎです。
『え? 甘いもの?』
「食べたい」
『お前相当疲れてんな……』
「そうだ。疲れると糖分を補給したくなるんだ。できるだけすぐにエネルギーになるような甘いものが食べたい」
 携帯から、エネルギーとか言うなよという彼の声が微かに漏れる。小声だったのだろう、普段比で。
『ちょい休憩したら? マジで疲れ果ててるだろ今。それとも休憩してる余裕も無いくらいヤバイとか?』
 心配げな声に、瀬人様が気の抜けた相槌を打ちつつ首を傾げた。
「休憩か。休憩。おい、磯野、今は休憩してる程度の余裕はあるのか?」
『うぇっ、ちょ、おま、磯野さんそこにいんの!?』
 いましたとも。休憩ならば、先程私も取っていただいた方が良さそうだと思っていたところである。
「そうですね、一度仮眠を取られては。あとは朝からでも間に合うでしょう」
 既に時刻は深夜、屋敷へ帰られるには足りないが、移動に時間を費やさずここで休むなら充分な時間だ。
「そうか。休めるらしい」
『そりゃ良かったよ。寝んの?』
「……甘いものが食べたい」
 堂々巡りである。しかしまあ、私は気付いてしまった。あれは瀬人様なりに会いたいとでも言っているのだろう。甘いものが食べたい、から差し入れにきてくれ、だ。後半を省略するのは瀬人様らしいといえば瀬人様らしいが、略さず言ってやって下さいとも思う。言葉が足りません瀬人様。
 ともかく会話からいよいよプライベートな領域に入りつつある気配がし、瀬人様には仕事を続けろと命じられたが、私は小声で開発室と調整をと断り社長室を抜け出した。
 抜け出す言いわけであったが、全くの偽りでもなく開発室との調整は必要である。今頃そちらも瀬人様のように壊れ掛けの社員が量産されているのだろう。気が滅入るが、開発室のある階への直通エレベータに向かうべく、私は廊下を歩き出した。
「んー? オレはバイト帰りだよ、こないだ言ったヤツ。上がり長引いてさ」
 私以外無人の筈の廊下で、声が聞こえたのはその時である。
 前方の彼は、私に気付くと器用にも携帯を持ったまま口に人差し指を当て、それから、もう片手に持っていた白いビニール袋を掲げてみせた。
「そうそう、ガッコの近くの工事現場。夜しか作業できねーから長引きやすいんだよな。できる内にやる! って」
 袋はコンビニの袋だろう。中身は、薄っすら透けてビニールに写っている程度だが、生菓子の類であるように見える。
 擦れ違いざま、彼は心底愉快そうに唇をにっと持ち上げた。片手を上げそれに応える。明日の朝には瀬人様の修復も済んでいることだろうと、私は少しだけ開発室へ向かう足取りを軽くした。


the finis.

 そういや瀬人がコーダーやってる話書いたこと無いなぁと思って書いてみた。ら、心が痛くなりました……
 タイトルは「甘いものが欲しい、それと甘いもの」でなんか支離滅裂な壊れた感じにしたかったんですが、「甘味が食べたい、それと恋人に来て欲しい」にも取れていいんじゃないのと今この後書き書きながら気付きました。素直じゃないけど素直じゃないなりに伝えようとしてるのも可愛いですよね。

 ※ファンクション=プログラムを実行するための一纏まりの命令群。
 ※コメント=表面上は見えない注釈。