Act0.玄関のドアを開けたら
「やっべぇ!」
 朝刊配達のあと、二度寝して、目が覚めたら昼だった。なんだってこんなことになってるのか、混乱したまま目覚ましを凝視する。オレは寝汚いけど、それにしたって昼は無い。午前の授業全滅じゃねーか、コレ。
 目覚ましは一見普通に動いていたが、よく見ると針が変だった。アラーム用の針がずれていた。配達から帰ってきて、暗い中手探りでスイッチを入れた、その時だろう。なんかに爪が引っ掛かった気がしたんだよ。これか。これなのか。
 脱力しつつ目覚ましを床に置いた。洗面台に走る。顔を洗って歯を磨いて、大急ぎで着替えて、玄関からクソ寒い外へ飛び出した。
「あン?」
 郵便受けに、何か微妙にでかいものが突っ込まれている。放っていくかなんなのか確かめていくか、迷ったが確かめることにした。どうせ大遅刻だ。今更、郵便受けを開ける程度の時間気にするのも馬鹿らしい。
 小包っぽいそれを取り出し、送り主の名前を探す。川井静香。静香だ。もうここまできたらちょっと荷開けしてから行くのも変わんねぇよな、うん。
 小包を開封すると、赤い毛糸が見えた。引っ張り出すと、それは細く長く延びる。マフラーだった。赤いマフラー。それと、メッセージカードのようなもの。二つ折りのカードを開くと、そこには誕生日おめでとうと書いてあった。



Act1.教室のドアを開けたら
 一時二十三分。昼休みだ。間に合うかもと思ったが、やっぱり午前の授業は遅刻ですらなく全滅だった。
「城之内遅ーい」
 教室の後ろのドアをそっと開いた途端、杏子の声が飛んできた。
「海馬でもないのに重役出勤かよ。もう昼だぜ」
「本当だよ。何かあったのかと思っちゃった」
 いつもの面子が集まってる机に近付く。机の上にはもう粗方片付いた弁当箱やらパンの袋やらが散らかっていた。
「城之内君、お昼食べた?」
「やー、まだまだ。さっき購買でパン買ってきたし、今から食う」
「あら、見事に菓子パンばっかり」
 売れ残りなんだから仕方ない。焼きそばパン、カレーパン、冷たいホットドッグ、そういう惣菜パンは飢えた男子高生が狩り尽くしてったあとだったんだ。コンビニ寄ってくりゃよかった。畜生。
「菓子パンばっかりにプラスだとキツイかしら」
 杏子が遊戯たちの顔を見る。全員、微妙な、神妙な、顔で頷く。
「ま、城之内なら平気なんじゃねぇか? な?」
 本田がオレの肩を叩くが、何が言いたいのか意味が解らない。オレが平気って何がだ。疑問は、杏子が机の横に下げてた紙袋から白い箱を出したところで解けた。
「ハッピーバースデー!」
 全員の声が揃っていた。机の上のゴミが端に寄せられ、空いたスペースにケーキの箱が置かれる。
「もう、来なかったらどうしようかと思ったよ」
「今何分だ? まだ時間あんな。蝋燭点けっか」
 本田がケーキに蝋燭を刺していく。カラフルな蝋燭が、長いの一本、短いの八本。おめでとうオレ、祝十八禁解禁。点けろよと本田がケーキをオレの方に押し出す。
「あ、けどオレ、ライター持ってねぇぞ」
「え? マジで? お前吸うじゃん」
「金と健康と法律と口煩い奴がいる関係でやめたんだよ。本田点けて」
 あーお前の怖い彼女な、なんて言いながらポケットを探りやがる。見付けたライターで蝋燭を灯しながら、本田は一遍紹介しろってのにとぼやいた。



Act2.教員室のドアを開けたら
 さすがに午前全滅は拙かったらしく、五限が終わったあと、オレはその授業を受け持ってた担任に教員室へ引っ張って行かれた。まだ次の授業があるからとお説教は短い時間で終わったが、渡された午前の分の教科の補習プリントが重い。いや、たかだか数枚なんだけど、心理的に。
 でも、暗い気持ちで教員室を出たオレは、次の瞬間に上機嫌に舞い戻った。教員室に向かって、本田が言うところのオレの怖い彼女が歩いてきていたからだ。
 紹介。実は、するまでもなくお前らも知ってる奴なんだよコレが。そして、紹介し辛いことに彼女じゃなかったりする。エッチの上下的には彼女みたいなモンだけど、まぁ、なんつうか、性別的には彼氏だ。
「海馬じゃん。いつ来たんだよ、さっきいなかったよな?」
「今、というよりも、立ち寄っただけだ。このあと本社で会議がある」
 口振りからすると外回りの最後に来ただけなんだろう。よく見たら手にレポートっぽいものを持っている。
「お疲れ」
「お疲れはお前だろう。今日も放課後はバイトだと言ってなかったか。オレは会議が終われば定時退社の予定だが」
 珍しいな、ワーカホリックのくせに。思ったが、言うのはやめておいた。やめておいた、っつか言いそびれた。オレがそう言う前に、海馬が、だから、と言葉を継いだので。
「家に行っていていいか」
「え? ウチ?」
 言っちまえば合鍵も渡してるし、オレの外せなかったバイトの所為で海馬の屋敷まで行ってる時間が無いのも確かだけど。
「嫌ならいい」
「え、や、嫌なんじゃなくて、ただ、早い時間だと親父いるかも……?」
 海馬はそれだけなら問題は無いなと言った。無いのか。やー、あるだろ。
「だったら何時以降に問題が無くなるんだ」
「うー……少なくとも六時半くらい? つか今日オレ帰んの八時回ってからだし」
 海馬はちょっと考えるように首を傾けて、まぁギリギリかと呟いた。何がギリギリ。六時半から八時回ってって大分あるだろ。むしろお前暇すんじゃね?
「いや。少しやることもあってな」
 ならいいけど。海馬と分かれて教室に戻る。なんか今の会話は変だった気がして遣り取りを思い返そうとしたが、チャイムが鳴ってオレはそれどころじゃなくなった。



Act3.工場のドアを開けたら
 そうだ、やっぱ変だった。仕事終わってすぐオレンちに来るつもりだったっぽいのに、やることあるってなんだそれ。放課後、バイト先に直行したところで、オレは漸くさっきの会話がどう変だったのかに気が付いた。
 海馬に限って気を遣ったってことも無いだろうしなぁ。アイツは「ごめん待った?」「ううん、今来たところ」をできない奴だ。「このオレを待たせるとはいい度胸だ凡骨!」って、そんな奴がまさか気を遣って自分の暇なんて気にしないでアピールをするわけがねぇ。
 一抹の不安を覚えながら、それでも時間が来るまではこの工場の中にいるしかない。
 何やってんだろうなぁ。気になる。非常に気になる。早く上がりの時間になんねぇかな。まだ始まってもないけどさ。
 工場のドアを開けて、自分の持ち場に向かう。オレと入れ替えで帰るパートのおばちゃんに声を掛け、そういえば今日誕生日じゃないの、なんて祝われながらコンベアの作業台に立った。



Act4.休憩室のドアを開けたら
 休憩室に入るなりオレは携帯をポケットから取り出した。さっきマナーモードで震えた気がしたのだ。
 携帯を開けると、思った通りメールが一通届いていた。誰からだろうか。メールボックスを開いて確認する。海馬、と見えて一瞬海馬かと思ったが、続く名前はモクバだった。
 今日誕生日なんだって? おめでとう。
 このスクロールの要らなさ。素っ気ねぇー! こいつら兄弟は揃ってさぁ。モクバ、海馬に似てきたんじゃないか。身近な悪影響ってやっぱ甚大なんだな。つーかコレはもしかしたら海馬の方が文字数多いかもしれない。
 有り難うの言葉と素っ気ねぇよという訴えを返信して、そして思わず夜中に届いてた海馬からのメールを確認してしまう。
 確か今日だったな。誕生日おめでとう。
 両方十八文字でした。スペース分を数えなきゃ海馬のが一文字多いのか。なんて微妙な。つか遊戯のメールとか見習えよ!
 城之内君、お誕生日おめでとう! 念願の十八禁解禁だねー。城之内君の十八歳の一年が楽しい一年になるといいな(絵文字)
 そうそう、こういうの。絵文字とまでは言わないから、もうちょっと、おめでとう以外のコメントとかをさ。いや、海馬から十八禁解禁とかきたらオレは仰け反るが。
 ま、十二時になった途端にメールってトコで充分愛は感じられるんだけどなー。家にも来るって言うし。
 携帯をポケットに戻し、大きく一つ伸びをする。ペットボトルのお茶を一口飲んで、さて、後半戦も頑張りますか。



Act5.守衛室のドアを開けたら
 工場バイトが終わって外に出るともう真っ暗だった。吐く息が白い。今朝静香から貰ったばかりの赤いマフラーを巻いて、その中に亀のように首を埋めた。あったかいなぁ、コレ。今まで巻いてたのそろそろ擦り切れてきてたしな。タイミングばっちりだぜ静香。
 駐輪所に行って自転車の鍵を外す。寒いけど漕いでくか。海馬も家に来て待ってんだろうし、マフラーのお蔭で百人力だし。
 冷たい風を切って自転車を漕ぐ。道々の家から漏れる灯りに少し心が弾んだ。今日はうちだって帰れば電気が点いてる。誰かが待ってる家に帰るっていうのはちょっとわくわくすることだ。海馬にオレの生活環境の酷い部分を見せるのは正直嫌だったし、合鍵を渡すのも生活時間帯がずれてるとはいえ親父がいることを考えれば結構な無茶だったけど、でもこういう時には家に呼んで、そんでもって鍵を渡して、良かったなと思う。
 左右の家の排気口から白い煙がたなびいている。きっと夕食の用意でもされているんだろう。今日の晩飯は何にしようか。冷蔵庫になんか入ってたっけ? それか海馬が手土産でも引っ提げてきてるか。何も無かったら一緒に買物に行きゃいいよな。ちょっと歩くけど二十四時間開いてるスーパーもあるんだし。
 まずは帰ろう。一人で買物してくより、待っててくれてる奴がいるならそっちの方がいい。
 ペダルを踏む足に力を篭める。街並みが勢いよく流れていった。



Act6.アパートのドアを開けたら
 アパートの階段を上ると、どこの家からか焼き魚の匂いが漂ってきた。腹減ったな、晩飯は何にしようか。もう一つ階段を上ると今度はカレーだ。あー、カレーいいよなぁ。カレーにすっかなぁ。海馬が嫌がんなきゃだけど。
 思いながらドアチャイムを鳴らす。小さな足音が聞こえて、それからギィと煩いドアが開いた。開いて、カレーの匂いが一気に噴き出してきた。
「ちょうどいい時間に帰ってきたな」
「あ、うん。てか、え、お前何その格好」
 濃紺のエプロン。まるで料理でもしてたかのような出で立ちだ。いや、かのような、じゃなくてしてたのか? だって海馬からカレーの匂いがする。
 リビングに上がって台所を見ると、溜めてた筈の洗いものが片付いてて、代わりに、鍋が一つコンロに掛けられていた。
「マジで? お前料理できたの?」
 海馬の屋敷じゃコックさんが働いてるし、うちに来た時はいつもオレが作るの見てるだけだったのに。意外過ぎてマジでを連発してると、海馬はぶすっとしながら、オレを誰だと思っていると胸を張った。
「誰って、海馬だろぉ」
「今はな」
 だからビックリしてんだという言葉は口の中で消えた。
「あ、あー、そっか、お前も一時期父子家庭」
「解ったらさっさと手を洗って席に着け。折角出来上がったところなのに冷めるだろうが」
 急かされて、冷たい水で手を洗う。凍えそうになりながらリビングへ戻ると、テーブルの上にカレーの器が二つ並んでいた。白いご飯と極々普通の庶民派カレー。専門店で出てくるようなのじゃなくて、海馬んトコのコックさんが作るようなのでもなくて、オレが普段作るようなカレーだ。
 椅子に座って海馬を待つ。残念ながらエプロンを脱いでしまった海馬は、これまた庶民派なサラダを置くと、オレの正面の席に座った。
「お前ホントになんでもできんだなー。へへ、いただきます」
「言っておくが、料理なんて久し振りに作ったんだ。味の保証は無いからな。味見はしたが、し過ぎて自分ではもうわけが解らん」
 ほわんと湯気を立てるカレーと崩したご飯をスプーンに乗せる。一度息を吹き掛けて、ぱくりとそれを口に入れた。
「……辛過ぎたか?」
「え? なんで? 美味いよコレ」
 辛さだって普通だ。多分、中辛くらい。なんでそんなコト聞くんだと思ってたら、向かいからハンカチを持った海馬の手が近付いてきて、オレを目隠し状態にした。じわりと押し当てられた場所が熱を発する。ああ、オレ泣いてんのか。格好悪ぃな、クソ。
「ごめん、なんかちょっとセンチメンタルな気分に」
 家に帰ったら電気が点いててメシが出来てて、早く手を洗いなさいと怒られて、テーブル囲んであったかい料理を食うんだ。それが日常だったのは遠い昔だった筈なのに、こんなところで再現されたりするから。
「冷める前に泣きやめよ」
 そう言いながら海馬が頭なんか撫でてくるもんだから、オレの涙腺は決壊しました。カレー冷めたらお前の所為なんだから温め直せよコノヤロー。



Act7.部屋のドアを開けたら
 レンジでチンされたカレーを食べ終わってオレの部屋に引っ込んだ時、こんな生活感たっぷりでムードも何も無い筈の状況なのに、オレたちはなんだかとっても盛り上がってた。
 生活感。でもオレたちにとっては非日常なことだから、これも一種のシチュエーションに燃え上がるというヤツなのかもしれない。敷きっ放しの煎餅布団に押し倒した海馬はいつに無く素直で、オレはもう全くと言っていいほど欲求を堪えられなかった。
「な、ごめん、今日マジで無理だわ。取り敢えず一遍やらせて。あとでちゃんとするから」
 見栄張るわけじゃなくていつもなら絶対そんなことは無いのに、本気で暴発しそうだった。オレの下で、服すらまだ脱ぎ切ってない海馬が身じろぐ。
「痛いのは嫌だからな」
「うん。それは、する、から」
 布団の横のゼリーチューブを、海馬が取って突き付けてくる。受け取ると、海馬はそろりと足を開いた。脱げ落ちず右足首に引っ掛かってたズボンが、がさりと音を立てる。
「冷たい」
 透明のゼリーを塗り付けると、海馬が少し腰を浮かせてそう訴えた。普段は絞り出したあと手のひらであっためてから使ってたけど。
「ワリ、冷たいのは、ちょい我慢して」
 覚えたてのガキじゃねぇんだからって、自分でも思うよ。なんでこんな余裕無いんだろな。でも前戯の一つもしてなくてゼリーで申しわけ程度解しただけの海馬だって頬を赤くしてんだから、今日はそういう日なんだ多分。
「ぁ、まだ、きつ……」
 狭くて、でももうグズグズになってる海馬の中に押し入ってく。海馬は少し顔を顰めて、それからきゅっとオレの首にしがみついてきた。



Act8.眠りのドアを開けたら
 第二ラウンドを終えて、前戯が無かった代わりに後戯をしっかりと思ったらそこでまたもう一盛り上がりしてしまい、第三ラウンドが一区切り付いたのは日付も変わる直前だった。今度こそちゃんと後戯になるように、やらしくない程度の接触で抱き締めたりキスしたりを繰り返す。
「あのさ、今日のさ」
 嬉しかったと伝えると、腕の中でうとうとしていた塊がゆるりと目を開けた。
「お前は、高価なものだと受け取らないから。だから、ものではなく、状況をと」
「うん。なぁ、あのな、来る度とは言わないからさ、お前が暇でオレの帰りが遅い時とかに、またなんか作ってくんねぇ?」
 時々でいいんだ。だって毎回毎回来る度になんてされたらきっと心臓が持たないし、オレが作ったモンを海馬が食べてるって図も結構好きだしさ。
「偶に、ならな。誕生日にされた願いくらい、聞いてやらんことも無い」
 海馬はそう言って笑うと再び目を閉じた。寝ちゃうのかと聞くと、疲れたと返答が戻ってくる。そりゃまあ三ラウンドだったしな。
「あぁ、そういえば、口では、言ってなかったな……」
「え?」
「誕生日、お、め、で……」
 最後の方は不明瞭過ぎて聞き取れなかった。会話しながら寝んなよなぁ。
 もうすぐ誕生日の一日も終わる。海馬を抱え直して寝やすい位置を探りながら、オレもそっと目を閉じた。