愛が重い
2010/5/8


「振られた……」
 数年前から、平たく言えば弟が高校に上がった辺りから、夕食の席なり夜の自室なりで時々こういう科白を聞くようになった。要は、時々聞くほどにはそこそこ頻繁に、オレの弟は女に振られて帰ってくる。それも、毎回、同じパターンで。告白してではなく、付き合っていた女に振られて帰ってくる。
「そんなことは友人にでも報告連絡相談しろ」
「報告連絡相談って。会社のトラブルじゃないんだからさぁ……」
 今日の場合、報告会場はオレの部屋だ。このパターンは何度目だったか。
「他の奴らに相談するとオレが一方的に悪者だし。お前振られる要素無いだろ、それで振られるって何やってだよ、って」
 どうやら今回は事前に他の人間にも話をしたらしい。まぁ、言った人間の言いたいことは解る。自画自賛にもなるが弟は現在飛ぶ鳥を落とす勢いで世界に進出中の企業の副社長で、金と権力に困ることは無く、勿論そのポストに相応しいだけの知能もあり、外見も運動神経も悪くなければオレと違って社交的かつ良識的だ。振られる要素は無い。そこには。
「で? お前が悪いのでなければ何が原因だったんだ」
 いかにも聞いて欲しそうなので聞いてやる。どうせ、答えは解っているのだが。
「オレは悪くないもん……」
「解ったからその拗ねた口調をやめろ」
 目の前で机に突っ伏した頭を撫でてやる。暫くそうしていると、ぽつり、言葉が零された。
「……愛が重いって」
 あぁほら、やはり答なんて解りきっていた。お前はいつもそう言われて帰ってくる。
「愛が重いって。重いってさぁ、それで振られるのって腑に落ちないよ。足りないって責められるなら解るけど」
「まぁ、そうだな」
「別に束縛したわけでもないし。どっちかっていうと相手の意思を尊重したし」
 そういうところが逆に重いのだと思うが、それは言ってやらん。自分で気付け。むしろ一生気付くな。
「大体さ、いつも重い重いって言われるけど、そんな重いって言われるような覚えが無いよ。言い方悪いけど、ちょっと試しに付き合ってみた程度の時でも言われるなんて」
 相当無意識の行為なのだ。そして、恐らく、基準が違う。例えば上限が無償の愛であるような人間にとって『できる限り相手を尊重する』というのは大した行為でもないが、『できる限り相手を尊重する』自体が上限の人間にとってそれは非常に重い。
 基準の違いなどという当人には気付き難いところで振られてくるのは可哀想だと思わんでもない。尤も、モクバの基準がそうであるようにと仕向けたのはオレであるのだが。
「いっそもう女など作るのをやめたらどうだ」
「何それ、一生独り身でいろって?」
「そういうわけではないが」
 そういうわけではないが、子供の頃から刷り込み続けてやった基準が簡単に変わることなど無いだろうさ。ばれれば酷い兄だと謗られそうな話だが、お前が振られたと帰ってくる度にオレがどれだけ満足していると思う。聞きはしない。聞きはしないが。
「というかもう愛が重いことの何が悪いのか分からない」
「そうだな。オレはどちらかというと重いくらいの方が好みだ」
 ついでに、自分を棚上げして言うと、社交術に優れていてかつ良識的であればなおいい。
「もうオレのこと解ってくれるの兄サマだけだよ本当。……そういえば初めて好みとか聞いたけど、兄サマの好みってどんな人なの?」
 顔を上げた弟が、行儀悪く頬杖を附きながらそう尋ねる。言っていなかっただろうか? 言っていなかったかもしれない。
「そうだな、まず外見はいいに越したことはない」
「どういう方向性に? 美人とか、可愛いとか」
「その二択なら可愛げのある方だが、それよりも健康的な雰囲気の方が重要だ」
 全く、自分を棚に上げるのも程ほどにしろといったところだが。自分で言っていて思う。
「あー、あれ? 小麦色の肌とかそういうの?」
「もう少し黒くてもいいが」
「兄サマと並ぶと映えるかもね。兄サマが」
「運動はできないよりできる方が望ましい。あとは、やはり頭の回転が速いことか。必ずしもオレと同じ分野に秀でている必要は無いが、頭の回転数が違い過ぎると会話にならん」
 分野によってはオレを上回るくらいでいい。オレを上回るような人間に、だが決して敵対され飲み込まれるようなことは無いのだと、そういう生温い安穏が欲しい。
「地位的なところでは社交のなんたるかを知っているというのが必須条項だな。社交家の良識人であれば最高だ。是非ともパーティではオレに代わり周囲と喋ってもらいたい」
 モクバが最後で噴き出した。
「兄サマ理想べらぼうに高いね」
「そうか? 意外にいるぞ」
「本当に?」
 無論。
「まぁ、それで、少し愛が重いくらいなら完璧だな」
 鏡を見るがいい。そうすれば、そうなるべく教育された人間がそこに映るだろう。
 お前を解ってやれるのはオレだけだと、さっき自分でそう言っていたようだが。全くもってその通りだ。お前はオレに対して最適化されているのだから。他の人間にお前は手に余る。
 あと何度振られてくればお前はそれに気付くのだろうな。
 オレはその日が、楽しみでならない。


the finis.

 真に重い愛の持ち主は瀬人でした。という話でした。ある意味ちょっとホラーだなこれ……
 途中の瀬人を上回るの上回らないのってところは漫画GXでモクバが瀬人を差し置いて天才って呼ばれてたのに興奮して書きました。