兄サマの丸字に萌える話
2010/10/25


 ノックをしても返事が無かった。一応声は掛けてから、兄サマの部屋のドアを開く。こういう時はだいたい、集中し過ぎて周りの音が聞こえていないか、根を詰め過ぎた結果として床に倒れているかのどちらかだ。確かめないで放置はできない。
そう思いながら部屋に入ると、今回は幸い前者だったようだ。兄サマは床でなく椅子に、ちゃんと座っていた。近付いてみれば、何か書きものの最中らしい。
「何書いてるの?」
 集中し過ぎで物音を認識してない状態なのは解っているので、声を掛けると同時に軽く肩を叩く。びくりと背中を揺らして、兄サマが振り返った。
「なんだ、いつからいた」
「今入ってきたばっかり。それ、何?」
 兄サマの手元で隠すように寄せ集められた、白い名刺大のカードらしきものを指す。
「なんでもない」
「なんでもなかったら隠さないでしょ」
 そして本当に見られて拙いものなら部屋の鍵を掛けるくらいの周到さは持ち合わせているだろう。即ち、無理矢理見てしまっても問題無い筈だ。
 そう結論付けてカードを奪うと、そこには歪な丸字が躍っていた。
「返せ!」
「珍しいね、兄サマが日本語直筆なんて」
 誰にだって欠点はあるもので、兄サマは字があまり巧くない。読めないような字ではないが、達筆ではなく、なんというか丸い。女の子が書くような丸っこい楷書体なのだ。例外はアルファベット筆記体なので、通常サインなどが必要であればそれを使っていた筈だったが。
「署名くらいは直筆がいいだろうと……今回の参加者は老舗の日本企業関係が多いから日本語の署名の方がいいだろうと……秘書室が言うからだ……!」
 地を這うような呻き声混じりで言う兄サマ自身、この字にはコンプレックスがあるらしい。オレなんかは、なんでもそつ無くこなしてしまう兄サマが達筆とは程遠い丸字というのも、それはそれで人間味があっていいんじゃないかと思うけれども。
 読めないような字だと困るが、少しばかり丸っこくて可愛い字だというだけだ。達筆で無い人間など幾らでもいるのだから、読める字なら丸かろうが四角かろうが何も問題は無い。ただし、可愛い可愛いと言われるのがコンプレックスのもとになっているようだから、フォローにならないフォローはしないでおく。
「もういい。やはり英字署名か印刷に変える。それで問題があるなら開催自体取りやめる」
 先ほど奪い取ったカードは海馬瀬人主催のパーティの招待状だ。海馬コーポレーションでなく兄サマ個人のパーティ、という形式なのは、パーティを口実に表沙汰にし辛い話を選ばれた人間だけでしませんかという、そういう意味を暗に持たせているということだ。
「やー、これ、開催取りやめても参加予定者の機嫌損ねても拙いんじゃない?」
「だったらお前が代筆しろ」
「代筆とか、参加者を軽んじてるみたいに取られたらどうするのさ」
「だったら主催を変われ」
「兄サマの誕生パーティって名目なのになんでオレが主催」
 別に招待状の署名が丸字だからって不利益など出ないのだからさっさと観念してしまえばいいものを。精々、会話の初めか合間にでも少し話題にされる程度だろう。それだって場の雰囲気を和ませる材料にしてしまえばいい。使えるものは全て使えが信条の兄サマらしからぬ往生際の悪さだ。
「お前も可能な限りの努力をして書いた字を女子高生の字のようで可愛いと言われてみろ……! オレは女でもなければ女子高生という歳でもないわ!」
 まあ、言った人々の気持ちは解る。現在オレが高校生。クラスの女子の字には、確かにこういう感じの丸字が多いのだから。


 兄サマは散々文句を喚いたあと、漸く諦め、カードに直筆で『海馬瀬人』と署名をしていった。その間に何枚かのカードは書き損じとして計上されたが、可とされたカードに書き付けられたころころして微妙なバランスの文字たちを見る限り、書き損じをそのまま出してもなんら変わりは無かったのではないかと思わざるを得ない。つまり処分は勿体無いので、こっそりオレの机の中に保管することにした。
 ばれたら怒られるだろうが、兄サマの直筆日本語は兄弟でも滅多に見ることが出来ないくらい、M&Aのカードに喩えるなら世界に三枚もあるブルーアイズより、ずっとずっとレアなのだ。
 目先の利益に負けたとしても仕方ない。それに、ばれなければいいだけの話でもある。


 そしてパーティ当日。一枚ずつ微妙に異なる丸まり具合の字が記されたカードを持って、参加者が屋敷に集まってくる。
 兄サマが嫌がったのも道理というほどに、挨拶回りの最中、話の糸口に使われたのは件の丸字だった。参加者に老舗の企業関係者が多いということは、年配の人間が多いともいえ、ご老体たちは若人をからかって楽しむことに余念が無い。
 相手によってはとっくにブチ切れてるだろう兄サマが、なけなしの忍耐力で引き攣った営業スマイルを浮かべている。そういういかにも気にしている態度を見せるから余計にからかわれてるんだろう。助け舟を出そうかと思う反面、耐える兄サマなんて珍しいのだからもう少し見ていたいとも思う。まあ、心配しなくてもその内には相手を選んでブチ切れ、憂さ晴らしを開始するだろうし。
 参加者は日本の老舗企業関係者が多いが、勿論、それだけというわけではない。最大の取引相手――普通は大切なお客様として扱うべきなのかもしれないが、兄サマと相手方にとってはそうでもない――は当然招いている。
「ハッピーバースディ海馬ボーイ! この署名はユーの字デスかー? ベリィキュートデース」
 ああ来たな、と思ったのと、兄サマが耐えることを放棄したのはほぼ同時だった。
「放って置いていいのかねぇ」
「余興のようなものだと思ってお気になさらず。顔を合わせれば常にああですが、不思議と商談は纏まらなかったためしが無いのです」
 あれで仲がいい、わけではなく、特許と著作権の問題ではあるが。手を切れば双方の主要部門が崩壊する。
 挨拶回りを放棄した兄サマのあとを引き取って回る。名目とはいえ兄サマの誕生パーティだというのにオレが回ってどうするのかとも思うものの、実際のところペガサスの言に同意であるのはオレ含め皆一緒なのだ。兄サマのいぬ間にその話題で親睦を深めつつ、名目でない方の目的を果たすとしよう。可愛いものを可愛いと言って何が悪い。
 無論、可愛いのは丸まった字だけじゃなく、それを気にしてる兄サマの態度そのものもだ。


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 2010瀬人誕&ハロウィン。コンセプトはシチュエーション入れ替え。丸字萌えで大人モク瀬人でした。