ス・エン・シェプスト
2010/10/25


 冥界に還ったらセトが女になっていた。どういう意味かと問われればまさにそのままの意味だ。還った直後はあの仰々しい神官服の所為で解らなかったが、ろくろく言葉を交わす間も無く冥界裁判に送り出され、王だったのをいいことに幾つかの罪を不問にされ、取り敢えず無事にイアル野在住の権利を得てから皆のところに戻ってみれば、だ。
 全員が私服になっていた。それはいい。セトの服が、どう考えても当時流行りだった貴婦人の服だった。
 透けるほど薄く織られた綿布が、肩や腰から落ちるラインに細かい襞を作っている。動く度にふわりと広がる袖口や裳裾は明らかに一級品だった。女ものとして。というか、その透ける布の向こうに、割合大きな胸があった。
「……やはり、説明をしてから、もう少し両性的な服辺りから慣れて頂いた方が良かったのでは……」
 混乱のあまり絶句していると、マハードがぽつりと呟いた。そうか、つまりオレは幻覚を見ているわけではないんだな。
「ええと、まずは、その説明とやらをしてくれ」
 セトに向かって言ったのだが、返答はアイシスから返ってきた。セトはというと、何がなんだというのか、明後日の方向に視線を逸らせている。
「魂が少しばかり女性寄りだったのですわ。現在わたくしたちは肉体性をバーとして切り離したカーの状態。それ故、魂の欲求が殊更強く意識として……ファラオ?」
 にくたいせいをばーとしてきりはなしたかーのじょうたい。そういえばその状態について冥界での作法を説く講義も遥か昔に受けた記憶があるような無いような、あるが記憶に残っていないような。
「無駄じゃアイシス。ファラオは、王子時代から、真に、真に、真に嘆かわしくも勉強嫌いでいらっしゃったものじゃ」
「酷いなシモン。三千年ばかり封印されてたから、ちょっと記憶が飛んでるだけだぜ」
「何を仰るか! 先の試練を終えられ、記憶は全てお取り戻しの筈。それでなお覚えておられないのであれば、それは元々覚えておられなかっただけで御座います!」
 説教が酷く懐かしい。まあ、懐かしいほどには、シモンの言う通り、勉強嫌いでよく怒られたわけだ。
「あー、その、それで、結局どういうことなんだ。今はオレの記憶力よりセトだぜ」
「簡単に申し上げますと、地上にてファラオとお付き合いだった折に、女の身体だったら色々と楽だったのにと思っていたのを、冥界に来て肉体の制約が無くなった今、実行に移してみたと、そういうことのようですわ」
 思っていたというのと実行に移してみたというのとの間が飛んでいる。幾ら楽園イアル野でも思うだけで実行できるわけが無い。
 なんてことを考える前に、一つ聞き捨てならないことを言われた気がするが。
「おい、アイシス。どうしてお前が知っている」
 セトが色で権力を得たというような風評が立たないように、一応は隠していた関係の筈だ。誰にも気取られていなかったとは思わないが、少なくともオレの在位中に確信まで至っていた奴はいないだろう。
「女は色恋の話で盛り上がるのが好きなものですわ。そして、今は皆知っています。こちらに来てすぐの頃から聞いていたのはわたくしとマナだけですが、今の姿になった時に、セト本人が他の皆にも暴露しましたから」
「……そうか」
「ええ。因みに、アクナディン様は話を聞いた直後に血反吐をお吐きになりました。シモン様は姿を見た時点で卒倒しておられました」
 ちらりと二人を窺う。アクナディンの目が、ゾークとかそういう方向性ではなく、怨念に満ちていた。ついでに横に立っていた父上の視線も痛い。慌てて目線を外す。
「ああ、うん、理由は解ったぜ。原理の方はどうなっているんだ?」
 話を変えるに限る。理由の方の詳細は、二人になった時にでも、セト本人に聞けばいいだろう。
「カーとはいえ、思うだけで自由に姿を変えれはしないだろ」
 冥界で鳥だの花だのに姿を変える呪文なら持って墓に入る奴も多かったが、こんな、性別を変えるようなものはあっただろうか?
「我がヘカの高さであれば、カーの形を少し変えるくらいは容易なものです」
 初めてセトが自分で説明をした。その声も、もの凄く高くなっているというわけではないが、やはり女の声に聞こえる。
「少し……か……?」
「変えた箇所は、どれも全身に影響が出る部位ではないでしょう。一部分に変化を施しただけなのですから、少しと言って差し支えないかと」
 確かに、胸はあるようだし逆にあるべきものは無くなっているようだが、全体としては記憶にあった姿とほぼ変わり無い。骨格はそのままのようだし、顔も、唇に乗せる色が僅かに派手になっているかもしれないくらいだ。現世はそうじゃなかったみたいだが、オレの国だと男も女も元々化粧はしている。そういうところで差を見出すことはできない。
「本当はっ」
 搾り出すような声をセトが上げる。何ごとかと思えば、続きはオレの耳にも痛かった。
「本当は! 背をこそ縮めたかったのですが! それには僅かばかりヘカが及ばず……!」
「骨格を変えると全身の均衡が取れなくなると諦めたのだったか」
 カリムの言葉にシャダが頷く。やろうとはしたらしい。
「せめて一シェセプ……二シェセプ……」
 セトの目がこちらを見た。
「五シェセプ……!」
「今の態度は何気に失礼だぜ」
 五シェセプもの差は無い筈だ。精々四と半シェセプ無いくらいだ。ああ、逆方向に身長差を付けようと思ったら五シェセプになるのか。
「仕方ないだろ。成長期の初めで封印されたんだから。成長し切ってれば同じくらいにはなってたぜ」
 多分、だが。従兄弟なのだからそこまで変わらないだろう。アクナディンも父上も背は高い方だし、母上だって低くなかった覚えがある。
「あら。でしたら、身長の問題はすぐに片付くかも知れませんわね」
「すぐに?」
「ここは人が最盛期の姿を得て永遠を過ごす場、楽園イアル野です。わたくしは――と言ってもファラオに実感は無いでしょうか。アクナムカノン王やアクナディン様は若返られましたが、ファラオは、恐らくこれから、地上に生き続けた場合の最盛期のお姿まで、急成長が始まる筈ですわ」
 勿論、先ほどのご申告に見栄が混ざっていなければの話です。アイシスが付け加えた一言に引き攣った笑いが浮かぶ。見栄を、張ったか張ってないか、選べと言われたら多少は張った。だってそうなるだろう。実際に成長し切ったらどうなるかなんて、成長してみなければ解らない。
「ともあれ、積もる話がおありの方々もいらっしゃるでしょうし、今日はこれで散会と致しませんこと?」
 アイシスの問いに面々が頷く。全員が懐かしい顔触れであることには違いないが、大人数で顔を突き合わせてよりも、個々に話をした方が込み入ったことにも踏み込めるというものだ。
 だから、セトとのことで、アイシスが気遣ってくれたのだと思った。
 甘かった。


「あっ、駄目ですよぉ、ファラオー。セト様は今日は私たちと一緒にデミ=メヘティ夫人の宴に行くんですからぁ。セト様の誕生祭やって下さるんです!」
 そう言ってセトの腕を取ったのはマナだ。腕に抱き付くような体勢は、セトが女になってる今、女同士だと思えば別にいい。妬きはしない。気にもならない。だが、言われた内容には問題がある。
「ああ、そうか、あれから七十日だからな。日付感覚がまだ戻らず失念するところだったが、誕生日か」
 祝う言葉を述べると、セトは照れたような仕種で腕を胸元に寄せて礼を言った。どうも動作まで女になっているらしい。昔なら、腕組みをされたような場面だろう。
「それで、デミ……誰の夫人だって? 行くのか?」
 オレが戻ってきたのに、とまでは言わなかった。それでは露骨に嫉妬過ぎる。誰だか解らない以上、セトとの交友関係が掴めず口出しを躊躇ったのもあるが。
「あー、覚えて無いんですかぁ? ファラオひっどーい」
「ファラオの治世下で着替えの間の管理者だった方の奥方ですわ」
 言われてみれば、そういう名前の官僚がいたような覚えもある。あの地味な男の派手な奥方かと言うと、あっ覚えてた、とマナが手を打ち鳴らした。
「前々からの約束で御座いますから。今日は宴に参らせて頂きます」
「ファラオならば飛び入り参加も喜ばれるでしょうけれど……今日のところは、積もる話がおありの方々もいらっしゃるようですし」
 アイシスが視線で背後を示す。恐る恐る振り返ると、父上とアクナディン、そしてシモンがそこに立っていた。この面子は、間違い無く、積もる話というか追及したい話だ。
「ま、待て! だったらセトも連帯責任だろ!」
「私は既に話すべきことを話しておりますので」
 ひらりと裳裾を翻してセトが逃げる。数歩進んで、不意に振り返った。
「あぁ、そうでした、一つ言っておかなければ。私はありのままに真実を話したのですが、どうやら御三方のご理解では、私は誑かされたということになっているようです」
「そこは多少でいいから包み隠して誤魔化しておけよ!」
 ありのままの真実だと、確かにそういう面が無かったとも言い切れない。まして女の姿になったセトが話したのなら、現世のドラマとやらでよく見掛けた、「大切な娘によくも」「うちの馬鹿息子が大変申し訳無いことを」の世界だろう。アクナディンは王朝が滅ぶ勢いで親馬鹿だった。
 しかも、一層悪いことにここは現世じゃなく古代の価値観が反映される場所だ。婚前交渉だとかお手付きだとかへの反応は現世じゃ考えられないくらい激しく厳しい。焦るオレの肩に、後ろから誰かの手が乗せられた。
「では、行って参ります」
 セトが言って、今度こそ女三人は歩き去っていった。元々薄情気味な奴ではあったが、今この場にオレを置いていくのは、あんまりなんじゃないか?
 肩に置かれた手に、ずしりと重みが加わった。


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 2010瀬人誕&ハロウィン。コンセプトはシチュエーション入れ替え。ドミネーゼのノリでファラセトでした。
 ※1シェセプ=7.5cm
 ※ス・エン・シェプスト=貴婦人である男