ジョノセト・パピルス
2010/10/25


「はー……」
 思わず間抜けな声が漏れた。城下に住んでるんだから見慣れたもんだと思ってたが、実際に近付いてみると王宮ってのは凄かった。まず巨大。次に綺麗。豪華で豪奢。書記でもなんでもないオレの語彙力じゃ大した褒め言葉が思い付かないが、とにかく凄かった。
 その凄い王宮から、今はいい匂いまで漂ってくる。偉い神官とか貴族とかからするような香の匂いと、もう一種類、パンとか麦酒とか果物とか肉とか、そういうご馳走の匂いだ。
「そこ! 呆けるのは中に入ってからにしろ! 後ろが支えているだろう!」
 門番に怒鳴られて我に返る。我に返ったのはオレだけじゃなく一緒に来てた奴ら皆だった。
「済みませーん!」
「ほら、ジョーノ早く!」
 だって仕方ねぇだろ。オレたち庶民が王宮に入れる日なんて、普通は巡っちゃ来ないんだから。あまりの場違いさに恐縮通り越して放心したって仕方ないってもんだ。


「王宮の中ってこんななのねー。広ーい……」
「身分を問わず参加可、って聞いた時はオレらみたいのが押し寄せたら大変なことになんじゃねぇかって思ったけどよ……この広さなら全然問題無さそうだよな」
 庶民丸出しできょろきょろ視線をさ迷わせていると近くにいた神官が偉そうに咳払いをしてこちらを向いた。
「本来ならば宴に花を添えるべく異国の曲芸団を呼び寄せたり猛獣の討劇を行ったりする空間を潰してそなたらのための場を設けているのだ。今日は神官セト様の慈悲を大いに崇め、よく祝すのだぞ」
 はーい、と声を揃えて返事をする。そんなことを言ってる神官だって、下級神官のなりをしてるし、普段なら王宮の宴に出れるような奴じゃないっぽいが。
「その神官様の誕生祭なんだよね。神殿で二番目に偉い人だっけ?」
「違うわよ、この間王宮に引き抜かれてファラオの側近になったって人よ」
 付け加えるなら、下級神官から出発したこの国一の出世頭だ。しかも年齢はオレたちと変わらないときた。
 ってーと自分の身分も低かったから庶民に優しいんだと勘違いしそうになるだろうが、そういうわけじゃないんだよな。さっき慈悲って言われた時に噴き出さなかった自分を褒めてやりたいくらいには、神官セトは優しくない。
 なんで知ってんのかって、あの生臭神官様は、何をどう思ったのか、オレみたいな庶民中の庶民の男とお付き合い中であらせられるからだよ。神官のくせにマアトとか遵守しなくていいのかよ。本当に、何をどう思ったのか、オレはいまだに理解できない。
 因みに第一印象は最悪だった。身分を隠して賭場に来ていたあいつと札遊びをし、これ以上無いくらいに大負けし、雑魚だ負け犬だと罵られたのが初対面だ。オレは、オレが何をどう思ったのかも、いまだに理解できない。
 それはさて置き、じゃあ優しくもなんとも無い神官セトがなんだってこんな風に王宮に庶民を招き入れるようなことをしてるのか、だ。気まぐれは結構頻繁に起こす奴だが、これには別の理由がある。まあ、簡単に言うと札遊びってのは何かしら賭けてやるもんだってことだ。


 話は一月くらい前に遡る。
「なぁ、来月お前誕生日なんだろ。祝ってやるからその日こっち下りてこいよ」
 持ち札に差があり過ぎるためちょっとばかりオレに有利な条件を付けた状態で対戦をしていた時だ。誕生日の話を持ち出すと、優しくない神官様は底意地の悪い態度でオレの提案を一蹴した。
「馬鹿を言うな、その日は王宮で宴だ。こんなところに来ている暇など全く無い」
 酷くね? こんなところって、一応お付き合い中の筈のオレの家だぜ。そりゃまあ狭いしぼろいし、最初に連れてきた時には「今はもう使われていない納屋か何かかと思った」とまで言われたようなとこだけどな!
「んなのすっぽかしちまえよー」
「宴の場を設けるのはファラオだ。貴様は不敬罪でこの首が飛んでもいいというのだな」
「えー、ファラオはお前と違ってそんな短気じゃないって噂じゃん。……あ、解った、じゃあオレが王宮の宴に紛れ込みたい」
「はぁ?」
 思いっ切り顰められた顔に怯んではいけない。
「どうせ侍従とか侍女とか連れてくんだろ。こっそり混ぜてくれよ」
「断る」
「即答すんなよ。いいだろー、なぁ、ばれないようにするからさぁ。あ、そうだ、この勝負の賭け対象まだ決めてなかったよな? オレが勝ったら、ってのは?」
 制約条件付きでも勝率はあいつの方が高いんだ。しかもその時のあいつの場には結構いい札が揃ってた。だから、多分、舐めて掛かってきたんだろう。それなら、と言ったわけだ。
「よし、その言葉忘れんなよ!」
 けどさ、言い出すからにはオレだって手元に一発逆転できそうな札を持ってたんだっての。そして宴に連れてってくれることになった――筈が、何故だか宴を庶民に解放とかいう、それなんか違うだろという状況が今だ。


「あら、ジョーノったらどうしたのよ。溜息なんて吐いちゃって」
「え、や、あー、ええと、うっかり自分ちと比較しちまって?」
 つーか、遠いわけだよ。だだっ広い広間の、奥ーの方に貴族連中が溜まってて、更にその奥に一段高くされた高官の居場所があって、そのまた向こうにもう一段高くされたところがあって、更に一段上の幕の向こうにいるらしいが、幕の向こうとか影しか見えないっての。
 目を凝らして影を見ると、幕の向こうにもう一段高くなってる場所があって、そこには背の高い椅子が置いてある。ま、間違い無くそれはファラオの椅子だ。で、その最上段の周りに六人か七人かそれくらいの人影が見える。
 どれだろうなー。主役なんだし一番真ん中か? いやでもあいつ人の輪に入るの嫌いだからな。体型……こんなに遠いのに解るわけがねぇ。
 別にご馳走食べて贅沢三昧したかったわけじゃなくてさぁ。近くで、当日に、お祝いしたいじゃん。だから侍従に混ぜて連れてってくれって言ったのに。
 神官セトは優しくなさ過ぎて恋人の気持ちすらこれっぽちも理解してくれねぇんだよ、畜生!


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 2010瀬人誕&ハロウィン。コンセプトはシチュエーション入れ替え。古代エジプトで城海でした。