ゲベゲブ謝罪文
2010/11/30


 居間のテレビで、古代エジプトの特集番組が流れていた。
「おお、ルクソールじゃな。景色に見覚えがあるわい」
 ちょうど店を閉めたところだったんだ。じーちゃんとボクは揃ってテレビの前に陣取った。ママが置いていってくれたお茶に手を伸ばす。
「ルクソールってさ、この間ボクらが行ったところだよね」
「ファラオの魂の故郷だった場所じゃよ。ルクソールは現代名じゃがのう」
 じーちゃんは、もう一人のボクだったアテムのことに気付いていた。気付いていた、どころか、もしかするとボクよりも彼の事情を知っていたような節があった。千年パズルは、元々じーちゃんがアテムの王墓から持ってきたものだ。つまり盗掘だけど、ボクはその時の話を少しだけ聞いたことがある。

 ――これまでかと、思った時に、誰かが助けてくれたんじゃ。誰もおらんかった筈なのにの。待ってたよ、と、待ってたよシモン、と、今でも耳に残っとるわい。その声を聞きながら意識を失って、気付いたら、助かっとったんじゃ――

 シモン。アテムの記憶の世界で、そう呼ばれていた人がいた。あの世界には、この世界の人と似た人が何人かいて、シモンって人は、確かに、じーちゃんに似ていたと思う。
「あ、イシズさんだ」
 テレビに見覚えのある姿が現れて、思わず声を上げる。そういえばイシズさんに似た人もいたなぁ。あと、海馬君に似た人も。ボクは死んだことが無いから、冥界の扉の向こうがどうなってるのかも、光の向こうにちらっと見えた姿と今この時代に生きてるじーちゃんたちの関係も、全然解らない。でも、じーちゃんたちは本当はボクよりもずっとその辺のことを知ってるんじゃないかって、最近ボクはちょっと疑ってたりする。
「ビルを建てようと基礎工事をしたら出土した、かぁ。凄い偶然だね」
 テレビの中のイシズさんがクリアファイルのもっとちゃんとしたやつに挟まれたパピルスを手に取った。中でも一番の幸運はこれです、と、説明が始まる。
『これは、かつてツタンカーメンの王墓が発見されたのに匹敵するほどのものなのです。このカルトゥーシュをご覧下さい』
 パピルスの、下の方に書かれた文字をイシズさんが指し示す。その部分がアップにされ、ボクは隣の部屋にいるママのことも忘れて、あっ、と叫んだ。
『カルトゥーシュの前にこれが王の即位名であることを示す印が付いています。カルトゥーシュの中がその王名で、恐らくアテムと読むだろうというのが現段階での考古局見解です。幾らか綴りが怪しいのですが』
 カルトゥーシュの右側には、掠れて見え辛いけど何か判子のようなものを押した跡がある。ということは、これはアテムが書いた文章なんだろうか。名前の隣に判子って、きっと署名だよね?
『肝心なのは、このアテムという名が、今までどの王名表にも碑文にも現れていないものだということです。ツタンカーメンと同じで、彼は失われし時代の王なのです。この王の存在が明らかになったことで、古代エジプト学は新たな局面を迎えることになるでしょう』
 あんまり巧い字じゃなかったんだなぁ、そっか、こんな字だったんだ。ボクには字というより絵に見えるけど、石版に書かれてるようなきっちりした形じゃないのが少しおかしかった。
 還る前に何か書いてもらえばよかったな、なんて感傷に浸ってる間にも番組は止まることなく進んでいく。ところでこれはいったいどのような内容の文書なんでしょうか。インタビュアーのお姉さんがイシズさんに尋ねると、イシズさんがにこりと微笑んだ。
『平伏謝罪文です』
『え? 平伏? 謝罪文ですか?』
『ええ、平身低頭で浮気の言いわけをしている謝罪文です』
 思いっ切り咳き込んだ。良かった、お茶飲んでる時じゃなくて。もう一人のボクってば、いや、アテムだけど、古代で何やってたのさ!
「あれ? でも、古代エジプトの王様ってハーレム持ってるんじゃなかったっけ?」
 前に城之内君がハーレムだよな羨ましいって言ってたような。浮気も何も、王様ってそういうものなんじゃ。
「ハーレムは政略結婚も含まれとるからのー。例えばじゃが、本命扱いしとる相手がいたとして、大して構う必要も無い小国の姫のところに通っとるのがばれたら、本命の自負がある相手は面白くないじゃろうなぁ」
「あー……なるほど……」
 制度として許されてるのと心情の問題は、そりゃあ別だよね。あー、ボク今遠い目してる。
『パネルをご覧下さい。こちらがこのパピルスの訳になります』
 パピルスとパネルが、画面を左右に分割し大写しにされた。インタビュアーさんがパネルの文章を読み上げていく。


シャスの族長の娘の部屋に行ったことはあるが、あれは病弱な娘だ。お前が疑うようなことはできる筈も無い。嘘じゃない。
シャスの娘に夜伽をさせたことは無い。勿論、昼に伽をさせたことだって無い。シャスの娘に限らず、後宮のいかなる女にも、王家の血筋の務めを超えて、触れたことは無い。今まで一度も無いし、当然、今夜だってそんなことはしない。
余がもやいを繋いでおきたいのはお前だけだ。そのためにあれこれ奔走しているのに、かえって疑われたのでは、こちらが驚いてしまう。
今書いたことに嘘があったら、我が国の三神、土地神アメン、メンチュ、ことによっては大神ラァ=ホルアクティ、上下二国の二女神たちの呪いを受けることになるだろう。そう言えるくらい本当のことしか書いていない。本来なら神聖な証書に書くべきだが、シモンが睨んでくるから、一先ず普通のパピルスだ。明日もう一回ちゃんと書くからな。

収穫期シェムウ四の月の二十二日 アテム(印章)

セトへ

この文に書き加え、削り取るものがあれば、呪う。


 ああ、うん、確かに平身低頭平伏してる様子が目に浮かぶような謝罪文だね。
『このセトというのは、』
 唐突にイシズさんの声が途切れた。というかテレビが消えた。
「いや……なんじゃろうな、ワシの中のシモンが消せと」
「アテムの記憶の世界で、セトって人見たよ……」
 男だったよねぇ。でもって海馬君にそっくりだったよねぇ。こっちにいた時も、デュエルのこともあっただろうけど、海馬君がいるとすぐ表に出てきたがってたよねぇ。
 覚えてなかった筈なんだから、混同してたとかじゃなくて、よっぽど好みのタイプだっただろうな。なんでまたそういう好み、いや、いいんだけどね。ボクには古代の価値観は解らないし、馬に蹴られる趣味も無いよ。無いけどね。
 この番組、皆が見てなきゃいいなぁ。今更、皆の夢を壊さないであげてよね、もう!


the finis.

 しかしそんな遊戯の願いも虚しく、翌朝学校では獏良君による「ねぇ、昨日の古代エジプトの番組見た? あれってアテム君だよねぇ!」発言がなされたのでした。というところまでは妄想しました。
 元は武田信玄が小姓に送った平謝り謝罪文を見てて思い付いたネタでした。なのでちょこっと謝罪文部分を似せてたりします。権力なんて幾らあっても惚れた方の負け。平謝り謝罪文でしたー。