The best bad birthday
2011/1/25


「畜生、ツイてねぇ……」
 何気無い独り言がガラガラに掠れた声で響いて、オレは心底嫌になった。ツイてない。本当に。今度は、心の中で呟くに留める。いかにも風邪だって思い知らされる自分の声を聞くのは、なかなかにテンションが下がる行為だ。
 それにしたってツイてねぇ。誕生日に風邪引いて布団から出られないとか、クソ、今日は放課後も夜も予定満載だったのに! 皆の奢りで晩メシの予定も、多忙な恋人が夜ちょこっとウチに立ち寄ってプレゼントくれるって予定もパァだ。
 プレゼントくれぇ受け取れんじゃねーのとか、そこは看病してもらえよとか、そういうのは言わない約束だ。まかり間違って風邪をうつしたら大変な相手なもんで。ワーカホリックでワンマン経営な会社の社長さんが風邪で倒れたりしたら、そりゃもう色んなところに支障が出まくるだろう。お前さぁ、全部自分でしようとするのやめろよホント。いない相手に向かって言っても無意味なんだが、自分でするのが楽しいみたいだから、実際に言う意義も見出せない。
 ともかく、うつしたら悪いので、すでに風邪引いたから今日無理ってな連絡は入れ済みなわけだ。そしてそういう連絡を受け取ったら本当に来ないのがアイツだ。自分が風邪をうつされたらマズイことを理解してて、間違っても看病になんてこないくらい、理性的で薄情な恋人様である。
 別に切なくなんかねぇし。……いや、嘘吐いたわ。アイツじゃないんだからこんなことで意地張りません。切ないです。誕生日に風邪で倒れてるのに恋人が看病に来てくれる当ても無いとか、切な過ぎてオレの人並みの繊細さを持ち合わせた心はキリキリしてるよマジで。
 つーかね、オレの今日無理ってメールへの返信。コレ酷くね? そうか、それは残念だな。ってさぁ。素っ気無いって言うか、もうちょっと大丈夫かとか平気かとか聞いてくれてもいいんじゃねって思うのは贅沢なことじゃないよな? な? オレならコレくらいはメールするね。
 風邪って大丈夫かよ、忙しいんだろうけどあんま無理すんなよ。今日無理ならプレゼントはまた今度持ってくな。元気になったら連絡しろよ。あ、それか見舞い行ってやろうか?
 コレ。コレくらいはするだろ普通。するよな? 決してオレが過剰に気を使ってるわけじゃないよな? ああもう、相手がアレだと自信が無くなってくるっての。
 こうなったら不貞寝だ不貞寝。風邪なんて寝てりゃ治るし、寝てりゃ看病の有無も気になんねぇよ。


 で、不貞寝から起きたらもう夕方とかな。なんか食わねぇと体力尽きる。寝てただけだけど、発熱しながら寝てるのって結構体力使うんだぞ。まあ、大人しく寝てた甲斐あってか熱は下がってきてるっぽいけど。ちゃんとメシ食ってもう一眠りすりゃ明日には治ってんだろ。朝刊配達だけどうすっかな。二日続けて休むのも悪いよなぁ。でも真冬の早朝に自転車漕いでたらぶり返しそうな気もするしなぁ。取り敢えずもうちょっと様子見てから考えよう。
 一先ずはメシだメシ。冷蔵庫の中なんか入ってっかな。入ってなかったらそこのコンビニだな。よし入ってないな。
 外出たくねぇー。誰か見舞い来てくんねぇかな。アイツには期待してないから、遊戯とか本田とか。……来ないだろうな。この間ちらっと恋人の話しちまったもんな。普通恋人いるったら恋人が看病に来てると思うわな。
 看病なんて贅沢言わねぇよ。ちょっとコンビニなりスーパーなりで消化の良さそうなお惣菜買ってきてくれるだけでいいんだよ。高望みはしない。いや、すでにしてんのかコレ。
 一応、最後の望みで、電話掛けるくらい、許される筈だ。前に風邪引いた時は来てくんなかったけど、あの時は今より症状マシだったし。少なくとも外出るの億劫じゃなかったし。メールも長文打つ余裕あったし。余裕を見越して来なかっただけかもしんねぇし。
 そして繋がらない電話、と。いや、うん、予想してた。会議かなー。なんかそんなこと言ってたかもなー。
 駄目だ、外に出るんだって。コンビニ。もういいかな、寝てようかな、なんて思ってる場合じゃないんだって。このまま寝たら明日悪化するぞ。頑張れオレ。


 三十分経過。電話の折り返しは無し。これはもう腹括って頑張るしかねーよ。自力で。
 ずるずる足を引き摺りながら玄関に向かう。杏子が持ってた少女漫画ならここでチャイムが鳴ったりすんだけどな。現実はこんなモンだ。外さみー。
 コンビニまでは徒歩五分、走れば二分だがちょっと今走るの無理。とろとろ歩いてコンビニを目指すが、コレ、今絡まれたら確実に負けるな。知り合いがたむろってませんように。馬鹿が駐車場に溜まるにはまだちょっと時間早いよな。
 お、いないいない。さっさと買うもの買って帰ろう。弁当、はあんま食う気力ねーな。パンは明日の朝に買っとくか。今はゼリーとかヨーグルトとか……
「って、え、何。お前なんでこんなトコいんの」
 幻覚、じゃねぇよなぁ。コンビニの保冷棚の前に突っ立ってる海馬とか、普通に幻覚だって方が納得できるけど。
「何故こんなところに、は、こちらの科白だ。風邪ではなかったのか」
「なんでって、オレは食料確保しに来たんだよ。冷蔵庫ん中空で」
「寝ていればいいだろうが。人が適当に手土産でも買って行ってやろうかと思っていたというのに」
 行ってやろうかと、どこに? いや、ウチだよな?
「ちょ、ま、それならメールくれぇ寄越せよ! したらオレ外出てこなくても済んだじゃねぇか!」
 あ、ヤベ、ふらっときた。一息に喋ったら駄目だまだ。肩のトコ抑えてくれてんの海馬の手か。幻覚じゃないのは解ったけど、どんな奇跡だよコレ。オレの理性的で薄情な恋人様は、風邪の見舞いなんて来てくれるような奴じゃなかっただろ。
「んで、前ん時は放置だったくせに、今回はどんな風の吹き回しだよ」
「会議だと伝えていた時間に電話を掛けてくるほど深刻なら、様子くらい見に行ってやらんでもない。あぁ、こちらを向いて喋るな。間違っても風邪をうつすなよ」
 ……いや、いいよ。来てくれただけで最大限の譲歩なんだろうしな。その言い方はどーよって思うのは心の中でだけに留めとくよ。
 オレの持ってたパンを取り上げ、保冷棚からゼリーとプリンとヨーグルトを一カップずつ取って、海馬がレジに向かう。後ろを着いてくと海馬は途中でマスクにも手を伸ばしていた。


「着けろ」
 マスクを。買ってるの見た時から、言われるだろうとは思ってたよ。そんでお前も着けんのな。そりゃうつしちゃマズイのは解ってるし、うつさないようにもうつされないようにも、マスクはいい予防道具だと思うけどな。
「なんかコレすっげー距離感じるわ」
 ウチに帰ってきた途端に布団に潜り込んだ、回復しつつあるとはいえいまだ息の荒い病人に、マスク着けて寝てろって言っちゃうお前との心理的距離感すげーよ。てか、コレじゃ折角確保した食料も食えないんですけど。
「食べたいならオレが帰ってからにしろ。渡すものだけ渡したらすぐに帰る」
 すぐ帰るならなおのことマスクいらねーだろ! お前だけでいいだろ! いや、うん、訴えると時間と体力を消費しそうだから黙っとく。
「渡すものって?」
「本来の予定に置いて、今日持ってくる筈だったものだ」
 海馬が、そういや持ってた大きな紙袋から、柔らかい、形の定まってない包みを投げて寄越した。
「おわ、あ、誕生日? 中身何?」
「コート。風邪を引きそうな薄着だとは思っていたが、実際に引くとはな。こちらをクリスマスにすべきだったか」
 時差約一ヶ月。クリスマスの頃はまだ耐えれる寒さだったんだけどなぁ。この一ヶ月で随分冷え込んだよなぁ。
「馬鹿は風邪を引かんというからあと回しにしたのだが。迷信は所詮迷信か」
「言いたいことはスゲェあるけど、正直今言い合いする気力もねぇわ」
「重症だな」
 いや、朝は重症だったけど、今はそうでもないし。そうでもない状態でも気力が足りないくらいお前との言い合いは体力消費するんだっての。殴り合いするわけでも無いのになんなんだろうな、アレ。
「お、コートいいじゃん。この型カッケェな」
 流行りの型っつーより流行に左右されない型で、型だけ見ると高校生にはちょっと渋い気もするが。色味が明るいから、そこで相殺されててちょうどいい。つーかね、今まで何回か服を貰う機会はあったんだけどさ、毎回包装開けるの微妙に緊張してたんだよな。でも、コートがこれなら、そろそろその緊張は無用のものにしちまっていいのかもしんない。
「お前さ、オレにって選んでくる服はいつも普通だよな」
「なんだ、不服か?」
「いやいやいやいや、普通好きよ。ただ、お前がこういうの選んでくるの意外だなってだけ」
 最初の一回、どれだけ緊張して服を広げたことか。例えばコイツが着てるみたいな、謎の広がりを見せる裾のコートとか、肩部分が謎の膨らみを見せるシャツとか、身体の線を見せまくるズボンとか、人目を引くこと確実な羽飾り付きコートとか、そんなのが出てきたら幾ら恋人からのプレゼントでもオレは着れねぇぞ、と思いながら包みを開けた記憶はまだ鮮明だ。
「本当はもっと凝ったものをオーダーでもしてやりたいところなのだが」
「が?」
「お前に似合うものという範囲で考えていくと、どうしても最終的にその辺りの既製服に落ち着く」
 今ほど自分の庶民オーラに感謝したことは無いね。いやホント、マジで。誕生日プレゼントをちゃんと喜んで受け取れるって素晴らしいことだ。
「コートを貸せ」
「え?」
「コートと一緒に寝る気か? コート掛け……ハンガー……椅子の背にでも掛けておいてやる」
 あー、ハンガーは押入れの中だ。開けられたらエロ本見付かるから教えないけど。滅茶苦茶怒るんだもんなぁ。それとこれとは別だって、男なら同意しろよ。
「食欲は?」
「え、あー、そこそこだけど」
「全部は食べないな? 食べる分だけ出せ」
 突き付けられたコンビニの袋からゼリーとヨーグルトを取り出す。果物入り。コレちょっと高いヤツだな。自分で買うなら買ってねぇわ。有り難く頂きます。
「残りは冷蔵庫に入れて置くからな」
「おー。あ、パンは食器棚の上に乗せといて」
 ところで食いモン出してくれたってことは、このマスク取ってもいいんだよな? つか本当にもう帰る気か。あー、荷物持ってるし帰る気だな。そりゃ最初から、すぐ帰るとも、帰ってから食べろとも言ってたけどさ。コート脱ぎもしてなかったけどさ。
「もう帰んの?」
「うつされる前にな。次までには治しておけよ」
 薄情ものの背中が遠ざかっていく。クソ、会うの久し振りだったのになぁ。主にアイツの多忙の所為で。もうちょっとくらいいてくれてもいいじゃんよー。ドアの開く音がしてるから、オレの望みが叶う見込みは無しだ。
 と思ったら、なんだ、足音戻ってきてんな。忘れものか?
「どしたよ、忘れもの?」
「あぁ。誕生日おめでとう」
 ……一言だぜ。一言きりで、今度こそホントに帰ってったし。コレ絶対喜ぶトコじゃねぇし。コレで喜ぶとか嬉しさの閾値下がり過ぎだし。
 って、思うのになぁ。いい感じに飼い馴らされてるわオレ。こんな最悪でも、最高の誕生日だよ今日は!


the finis.

 というわけで城之内君お誕生日おめでとう! そういや書いてなかったなーと、定番の風邪ネタに絡めてみました。