A Christmas Carol
2006/12/25


 今日は朝から賑やかだった。モクバの友人たちが屋敷を訪れてクリスマスパーティを聞いている。階下から子供の声が聞こえてくる。声は旋律を伴っていて、それはクリスマスの聖歌となっていた。
 クリスマスだから今日は一日仕事も無い。販売にまで直接携わっているわけでもなし、売り上げが報告されるのももっとあとだ。本当ならゆっくりとこの日を楽しめばいいだけなのだ。けれども、共に過ごす相手もいないなら、クリスマスという日に何か特別なものがあるとは思えなかった。
 今までクリスマスを唯一共に過ごしていたモクバは、最後まで、兄サマも一緒に、と言っていた。気を使ってくれるのは有り難いが、自分はあの賑やかな中へは入れない。モクバは、兄サマに憧れている子がたくさんいるからその方がいい、と言ったし、それが建前でなく本当だったとしても、自分はもうクリスマスの聖歌を歌えなくなってしまった。


 思い立ってコートを羽織り、海馬は玄関ホールまで降りて行った。ホールは極彩色のリボンやレースで飾り付けられていて、それから大きなクリスマスツリーが置いてあった。ツリーの下に色とりどりのクリスマスボックスが並べられている。中身はメイドが焼いたジンジャークッキーだった筈だ。モクバがゲストである友人たちに、土産として用意したものだ。
「海馬サマだ!」
 まだ幼い声に海馬が振り返ると、モクバたちがちょうどホールに下りて来ていた。
「娯楽室で遊んでいたんじゃなかったのか?」
「雪が少し積もってきたから外に出ようと思って。……兄サマも、一緒に……」
「いや、今から少し出掛けて来る。お前たちだけで楽しみなさい」
「……分かった」
 モクバは複雑な表情を、他の子供たちの何人かは残念そうな表情をしたように見えた。
「メリークリスマス」
「メリークリスマス、海馬サマ!」
 子供たちは皆庭へ駆け出して行った。元気なことだと思いながら屋敷の外へ出る。付いて来ようとしたSPを、手を翳して止めた。
「ですが、危険では」
「問題無い」
 思えば、以前一度だけ城之内と出掛けた時も、一人で外を歩かないで下さいと言われたのだった。あれはいつも送迎があるところを徒歩や電車で移動したから、かえって危険でもなかっただろうに。
「こんな日には暗殺者だって休むだろうさ」
「しかし、万が一何かありましたら」
 あったとしたって、こんな日に死ぬのなら自分でも天国というところに逝けそうで、海馬はそれでいいような気にすらなった。天国の門をくぐると全てを忘れられるらしい。本当なら、随分楽になれるだろうにと思う。
 結局譲らなかった彼らの所為で、一人だけSPを付けて歩くことになってしまった。一人で出掛けられなかったことに海馬は酷くがっかりした。プライベートの無い生活など今更だというのに、何故そう思ったのか。いつものように、影のように扱えばいいだけの話だ。
 外はモクバの言った通り雪が積もり始めていた。地面は殆ど真っ白で、住宅街の方へ出るとコンクリートブロックのグレーと地面の白で異様な世界が形成されていた。
 どこに行く当ても無い。ただ歩いて、歩いて、この白い世界に何か代わり映えのするものがないか、何となくそんなものを海馬は探していた。
 それが見付かったのは三十分も歩いた頃だ。海馬が普段こんなに歩くことは滅多に無い。いい加減疲れてきた頃、それなりに大きなスーパーマーケットが見付かった。明るい店内は活気付いているようだった。ウィンドウから見える店内では、店員が赤い衣装のサンタクロースに扮していた。ドアが開くとクリスマスの聖歌が聞こえてくる。それに釣られてふらふらと店内に入った。付いて来ようとするSPを今度こそ止めた。目立ちたくなかった。こんな日くらいは、ただの海馬瀬人に戻りたかった。それが海馬の望みだった。
 レジの近くにモミの木があり、その周囲にクリスマスケーキの箱が山積みになっている。家族連れ、カップル、恐らく主婦と思われる年嵩の女、色々な人間がそれに手を伸ばした。
「いらっしゃいませー、ありがとうございまーす」
 客と擦れ違いにサンタクロースが新しいケーキの箱をカートに積んで店内に入って来た。サンタクロースはまたケーキを山積みにすると休止中だったレジに入って行った。サンタクロースはカナリヤ色の髪をして、似合わない髭を付けていた。
「社長!?」
 小さめの声で叫んで中年の男が近付いて来た。胸の札にはKマートという店名と、店長という肩書きが印刷されていた。それで漸くこの店がKCの系列店だったのかと海馬は気付いた。男はさすがにサンタクロースの格好をしていなかったが、恰幅が良かったので着れば似合っていただろう。
「本日はどのような御用件でしょうか……」
「何でもない。立ち寄っただけだ」
 誰もただの海馬瀬人で居させてくれない。一日でいいのに、どうして放っておいてくれないのだろう。
「そうでしたか」
「そうだが……彼は?」
 男は奥のレジにいるカナリヤ色の髪のサンタクロースを見た。彼は忙しく客を捌いていた。客は皆幸せそうな顔をしている。
「バイトの学生ですよ。今日はヘルプで朝から入ってくれてまして……お知り合いですか?」
「いや……少し目に付いた。それだけだ」
「そうですか」
 男は視察だとでも思っているのだろうか。落ち着かない様子だった。海馬がすぐに出て行くと言うと、男はあからさまにほっとしてみせた。もう構わないで欲しい。ただの海馬瀬人で居たいのだ。一日だけ、追憶に浸らせて欲しいのだ。
「あぁ……そうだ」
 ケーキの山に近付いて、カナリヤ色の髪をしたサンタクロースが積んだばかりの箱を一つ手に取った。デコレートされた蝋人形は、見本を見る限り、老年のサンタクロースだったが、それはまるで幸せな日々の象徴のようだと思った。こんな風にデコレートされたケーキは、片手で数えられる程の回数しか食べたことがない。サンタクロースのプレゼントも、八歳の時にはもう枕元に置いてやる側だった。それが嫌だったわけではないが、偶には自分がクリスマスボックスを貰ってもいいだろうと海馬は思った。
「これを貰っていこう」
 モミの木の下に置いてあるなら、これはサンタクロースのプレゼントだということだ。明日になら兄にでも社長にでもなるから、今日だけはこのカナリヤ色の髪のサンタクロースが置いていったクリスマスボックスを手にすることを見逃して欲しい。
 ケーキの箱には金線の入った赤いリボンが掛けられていた。それを持ってカナリヤ色の髪のサンタクロースから一番遠いレジに並んだ。レジの女はあまり慣れていない手付きでクレジットカードをリーダーに通した。求められてサインをすると、初めて女は顔を上げた。
 恐らくバイトだろう一店員まで、自分の働いている店がどこの会社の系列か知っているかどうかは分からない。聞いてみたい気もしたが、後ろに人が並んだのでやめた。
 カードとケーキを受け取って店を出る。自動ドアは大きな音を立てて開いた。冷たい外気が流れ込む。
「ありがとうございましたー」
 カナリヤ色の髪のサンタクロースの声が聞こえた。きっとレジを打ちながら、こちらを見るまでも無いドアの開く音に声を出したのだろう。
 ドアが閉まる。クリスマスの聖歌は聞こえなくなった。





+++End Of Pain+++


the finis?

 この瀬人は永遠に美しい想い出としてこの頃のことを覚えていそうな気がします。