A violet -It’s a bouquet for your birthday.-
2006/10/25


 今の姓になって以来、物にだけは不自由したことが無い。お互い、相手が何でも自分で買えるということも知っている。
 だから、誕生日の贈りものを考えるのは毎年とても骨が折れるのだった。
 そして、今年は去年までとは事情が違うのだ。普通兄弟でそんなに大層な贈りものをしないという免罪符は、二月ほど前に破り捨ててしまった。
 何を贈ったとしても喜んでくれるだろうという予感はある。それは去年までもそうだった。けれど、同じ贈るなら少しでも多く喜んでもらいたいものであるし、そうでなければオレ自身の満足がいかない。
 身に着けるものを、最初に考えたのはそれだった。有り勝ちなところで指輪などどうだろうかとも思ったが、思い付いた時既に、完全に秘密が守られ詮索を受けずそれを買うことができる店を探すには時間が足りなくなっていた。玩具のような指輪ならともかく、どうせ買うならきちんとしたものがいい。そうなると、その辺りの店で目に付いたものを買ってくるというわけにはいかないのだ。ゴシップ誌に載りたいのなら、それもいいかもしれないが。
 結局身に着けるものは諦め、今日までに思い付いたものは一つだった。
 購入に当たって名前を聞かれることも、無論、名乗る前に名前を言い当てられるような店に入る必要も無く、そして当然兄が喜びそうな、そんなものをと考えた結果、他のものは次々と脱落して行った。正確には思い付いたものが一つだったのではなく、思い付いたあと消えずに候補に残ったものが一つだったということだ。


 まだ漸く昼を過ぎたばかりの定時にも遠い時刻に、地下の駐車場へ向かう。兄は、今日は誕生日休暇で出社していない。本当なら合わせて休みたかったのだが、来客があってそうはいかなかった。しかしその客も帰って火急の用も無い今、もはやここに留まる必要は無い。早々に退社させてもらうとしよう。仕事中の社員には悪いが、こんなことは年に数回なのだから、ここは目を瞑ってもらいたい。
 恐らく指輪と同じくらい有り勝ちなものだと思うが、それを買いに暫く車を走らせる。運転手は置いてきた。店の前で人に待たれていると落ち着かないような気がしてならなかったから一人で来たのだ。
 本社からも屋敷からも離れた二つ隣の町は、所謂閑静な住宅街というもので、計画都市なのか道も家も落ち着いた色に統一されていた。その道を少し進んだ所に、一軒の、老女が花を売る店がある。先日出先へ行くため通り掛かった折に見たのを覚えていたのだ。
 小さな店の脇で、路肩に車を止めた。キィを抜き道へ降りると甘い花の香りが些かきつ過ぎるほどに漂う。木製の立て看板の横には錫のバケツに挿された鴇色のガーベラが置かれていた。その向こうには白色の、隣には薄桃色の花が、値段の書かれた緑の石盤と共に活けられている。
 店内は所狭しと花が並び、この花たちは枯れる前にちゃんと売り切ることができるのだろうかと、そんなことを思った。
「いらっしゃい」
 手許にある黄色い薔薇に触れるか触れないか伸ばした手を止める。
「贈り物かしら」
「ええ」
「恋人に?」
「まあ……、そんなところです」
 灰色の髪の老女はにこりと微笑みながらカウンターの外へ出た。
「黄色の薔薇は友人向けだわ」
「友人向け?」
 花には意味があるからと言って彼女がカウンターの上を片付ける。大きな鉄の鋏がごとりと音を立てた。
「気にしない人は気にしないんでしょうけどねぇ。花言葉って」
 ああ、と相槌を打つ。詳しくないオレが送った花の意味が滅茶苦茶でも兄は気にしないだろうけれども、悪い意味よりは良い意味であるに越したことはない。
「何が良いのか判らないから、いい意味の花で揃えてもらえますか。できれば、華やかな……白っぽいイメージがいい」
 えぇ、えぇ、と老女が二回頷く。予算はどうかと聞くのに手振りで束の大きさだけを指定した。
 店内の、それから店外の、木箱や錫のバケツから彼女が数本ずつ花を集めて回る。カサブランカにマリアの百合、少しの薔薇とガーベラ、それに修道女の襟のような形の花。それらは束ねられ、更に幾らかの名は知らないが小さな白い花を足され、体裁を整えられていった。その様子を眺めながら、それらの意味は何なのだろうと思う。
 良い意味の花で揃えてくれと頼んだのだから、当然そうなのだろうけれど、あまり情熱的な意味だとしたらそれはそれで気恥ずかしい。この間の休暇の時といい、兄はどうも詳しいような気がするから。
「ああ、そうか。花言葉か」
「どうかして?」
 零れた呟きに返答がなされる。いえ、とそれを否定しようとして少し考えた。
「もし、解るなら、オレンジの薔薇の花言葉を教えて頂けませんか」
 オレンジの、と老女は鸚鵡返しに言葉を紡いだ。視線を斜めに上げてものを思い出そうとする仕種で彼女が暫く黙る。その手許でラッピング用の薄い不織布がかさりと鳴った。
「惜しみなく与える愛。貴方を癒してあげる。そんなところね、よく言われる意味は」
 本当にそういう意図だったのだとしたら、花言葉だということさえ解らないだろうと思って言ったのだろう。あの薔薇はまだ送られて来ないが、その内島から届く筈だ。
「オレンジの薔薇足すのかしら?」
 沈黙をどう取ったのか、老女が花を包装し掛けた手を止めてそう問うた。束を見る。
「……いえ、そのままで。今の色味が綺麗に纏まってる」
 それは注文の通り白、或いは淡い色味の花で構成されている。老女は頷くと薄い藤色の不織布で土台を隠し、半透明の、レースのような梱包材でその上を覆った。リボンは白が掛けられる。
「これでどうかしら」
 完成した花の束がこちらを向けてカウンターに置かれた。
「ええ、それで。有り難う」
 無粋だけれどと提示された価格を支払うため上着の内ポケットから財布を取り出す。カウンターの奥にはカードリーダーも見えたが、署名の要らない現金を渡して花を受け取った。
 店を出て車に戻り、助手席に花束を座らせる。とても華やかで美しい花束だけれども、それを受け取る人ほどではないなと、自分でも呆れるようなことを、思った。


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 何でわざわざ断り書き程度の会社シーンを入れたかというと、スーツで花束持って欲しかったからです。スーツが大好きです。今更ですね。
 そして何故花束なのかというと他に何をあげたら良いのか解らなかったからです(私が)。私に解らないものが私の書く話の中の人物に解るわけない。
 でも花束良くないですか? 特別っぽくて自分では絶対買わないものって花じゃないですか。
 とにかく、お誕生日おめでとう、瀬人。