A violet -ringing ring in the pudding-
2006/12/25


 シャツの胸に付いた縦並びのひだを整え、サスペンダーを肩に掛ける。背に当たるX字の少し窮屈な感触を調節して直し、椅子に置いたカマーバンドを手に取った。ドレスコードに合わせ色付きにした飾り帯の色は濃い臙脂だ。背に手を回して平金の留め具を固定し、シャツが皺になっていないか姿見を覗く。どこも可笑しくないことを確認してカマーバンドと同色のボウタイを締め、大き目に結んだ四角い蝶の羽を立衿の折れた先で押さえた。
 ここまでの出来は悪くない。だが、仕上げにタキシードジャケットを着たところでポケットチーフの色に悩んだ。他の小物と同系統の色では地味だろうか。パーティなのだからもう少し遊んだっていい。例えば兄の小物と色を合わせるのもありだろう。普通合わせるなら同伴の女の人のドレスの色にだが、生憎同伴の女性は存在しない。
 兄の様子を見に行く。兄の支度もそろそろ終わっている頃だろうか。
「兄サマ?」
 部屋の戸を叩いても反応が無い。開けてみれば、ソファにジャケットが、椅子にベストが散乱している。支度にはまだ時間が掛かるかと辺りを見回していると、続きの衣装室でがたがたと物音が鳴った。
「兄サマ?」
 外から声を掛ける。何だ、と衣装室の奥から返答が聞こえた。
「まだ支度中だったみたいだね」
「お前はもう終わったのか」
「うん。あとはチーフだけ。兄サマ、タイ何色にした?」
 ソファにも椅子にも机にもタイは見当たらない。もう締めているのだろうと思ってそう尋ねたが、奥から届いたのは、タイはしないという兄の言葉だった。
「しないの?」
「代わりに、首許にはブローチを着ける。机に置いてあるだろう」
 机の上には手の平に収まるくらいの小箱が置かれている。カフスか何かを仕舞ってある箱だと思っていたが、確かに、それにしては少し大きい。
「白い箱のこと? 開けてみてもいい?」
 肯定の返事を待って机に近付く。箱の蓋を開けると、中央に深い紫色の石を嵌めた装飾性の高いブローチが、赤いビロウドの上に鎮座していた。土台は白金らしく、繊細な彫金が施され、中心の石を引き立てている。
「この石、綺麗な色だけど何?」
「アメシスト。あぁ……サスペンダー、どこにやったかな。モクバ、分かるか?」
 服は部屋に散乱しているのに衣装室から出て来なかったのは、探しものをしていたからだったのか。衣装の管理を使用人任せにしていると、偶にこういうことが起きて困る。しかし、普段はこうなることを見越した執事が兄の服を用意している筈だが。更に言えば、時には服を着せることまで面倒を見ている筈だが。
「オレの所はボウタイと一緒の棚に入ってたけど。大門はどうしたの」
「車を出させに行ったとかで居なかった。ボウタイか……少し待てよ」
 衣装室からパタパタと小走りの足音がした。ボウタイが仕舞ってある場所は分かっているのだろうか。兄の衣装室は広過ぎる。
「いいよ、焦らなくて。チーフ取ってくるから」
 そう告げて、長い廊下を渡り自室に帰った。クローゼットの引き出しを開け、絹のチーフを二枚取り出す。同系色の二枚を広げ、兄のアメシストに似た色の上にそれよりも淡い色を重ねた。中心を摘まんで軽く振ったそれを、布の端を上に胸ポケットに挿す。姿見に映し、チーフの四隅を花びらのように形作った。
 リングを内ポケットに靴箱からリボン飾りの付いたオペラパンプスを出し、それに履き替えて再び兄の様子を見に戻る。サスペンダーは見付かったのだろうか。扉を叩くと、今度はすぐに声が返り、衣装室からは出て来たようだと開ける前から知れた。
「サスペンダーは見付かった?」
「あぁ。あとは、チーフを挿せば、終わりだ」
 上着に袖を通しながら兄が話す。卓上には、柔らかな銀色の光沢を帯びた絹布が置かれていた。白い指がそれを拾い上げ、四角く畳んで胸に入れる。
「靴出しとくよー。オペラパンプスとリボン無し、どっち履いて行くの」
 姿見の前で服の襟を正し髪を梳く兄に向かって問い掛ける。飾り無しとの答に、黒い無地のエナメルパンプスを靴箱から出した。
「おかしくないか?」
 パンプスを置いて立ち上がり、振り返った兄を眺める。ひだの無いシンプルな比翼仕立てのシャツにベストという組み合わせは、ひだと飾り釦で装飾されたシャツにカマーバンドのオレとは対照的な格好だが、細身の兄には合っていた。ベストはチーフと共布で、服の色味だけ考えれば多少地味かもしれない。しかしタイの代わりに光るアメシストが、白金の台座の上で、目立って華やかさを演出していた。
「大丈夫。いつもだってそうだけど、今夜は特別素敵だね。よく似合ってる」
 賛美のついでにくちづけを贈ると、兄は目許を赤らめて、整えたばかりの髪を耳に掛けた。


「オー、遅いデスヨー。待ってマシタ」
 会場までは、車で三十分も掛からなかった。ホテルを一つ貸し切りに開かれたパーティは、立食形式と聞いていた通り、グラスと皿を片手に立ち話に花を咲かせる人々の社交場だった。到着を遅いと言われたが、出入りは自由なパーティだ。他にも、まだ姿を見せていない客がいるだろう。出揃ったにしてはホールの密度が低い。
 主催に挨拶と申し訳程度の手土産を渡し、人の合間を縫ってビュッフェテーブルに寄った。色々と並ぶ中から好みの料理を皿に載せていく。
「兄サマもうターキー?」
 僅かなオードブルと七面鳥のロースト一切れを取ってテーブルを離れようとした兄を呼び止める。
「オレはお前ほど食べないからな」
 メインはあとにして前菜だけを盛ったオレの皿を兄が指差す。そう多く載せたわけではない。マナーの範囲内だ。
 グラスと皿を左手に持ち、ビュッフェテーブルを離れる。人の集まっている辺りからは少し距離を置いてサイドテーブルを確保した。すかさず飲み物を持った給仕が近付いてくる。
「シャンパン?」
「クリスマスですから」
 細かな泡を立てる金色の液体を注がれながら、改めてホールの中央を見た。そこには大きなクリスマスツリーが設置してあり、飾り付けられたオーナメントが、シャンパンの気泡のようにきらきらと光を受け輝いている。
 給仕はオレと兄のグラスにシャンパンを満たすとまた別のグラスの許へ去って行った。
「ねぇ、あのツリー綺麗だね」
 頂上の星はガラス細工だろう。樅の木に付けられたオーナメントの殆どもそうで、その様子はシャンデリアを想像させる。実際にシャンデリアと同じ効果を狙っているのかもしれない。ホールの照明は幾分押さえられていて、ガラスに反射した光でちょうど良い明るさになっている。
「来年は、家にもああいうのを飾るか?」
「玄関ホールの所? あそこは今まで通りがいいな。木製のオーナメントも好きだし」
 グラスに口を付ける。やや甘めのアルコールで咽喉を潤し、皿の上のクラブサンドに手を付けた。兄は野菜を薄い鴨で巻いた前菜を口にしている。
 辺りを見回すと程度はともかく見知った顔ばかりで、中には夏城で会った客もいた。個人的に親しい人間だけを呼んでいるのかもしれない。仕事上付き合いのある相手はロス本社の役員に任せているのだろう。会長と言ったって、楽隠居のような状態では随分好き勝手できるらしい。取引先が多いとはいえ、支社の一つも無い日本でパーティを開くなど。
「このパーティって毎年同じ顔触れでしてるの?」
 主催に対する遠慮なのか主催がそういう人間を選んで声を掛けているのかは知らないが、単身で訪れてきたと思われる客が多い。男も女もだ。
「あぁ、そういえば変わらないな。今年の新顔はお前くらいじゃないか?」
 そう言いながら兄が七面鳥を口に入れる。食べ終えた皿を受け取ってサイドテーブルの隅に置いた。自分の皿は早々に空になっている。少し残っていたシャンパンを飲み干して、グラスもそこに下ろした。
「何か取ってこようか?」
 手持ち無沙汰にグラスの中の液体を回転させる兄にそう問う。プラムプディングと即答され、もうデザートかと思いながらもビュッフェテーブルに向かった。
 レモンの房のような形をしたフルーツケーキを一つ皿に取る。さすがにこの規模のパーティでそれはないだろうが、小さなパーティや家庭では占いにも使われるケーキだ。作る時に指輪やコインを入れておき、自分が食べる分にそれが入っていたらそれぞれ何かが起こるという。
 作る時ではないから占いにはならないかもしれないが、内ポケットに入れていたリングを取り分けたプディングに埋めてみた。その上に添えのクリームを掛ける。ワゴンからケーキフォークを選んで兄の許へ戻った。
「次、自分の分取ってくる。先に食べてていいよ」
 再びビュッフェテーブルまで行き、新しく取った皿に魚介のマリネと兄が食べていた七面鳥のローストを載せる。サーバーを元の位置に戻し、デザートは取らずに引き返した。
 誰か来て兄と話していたようだが、遠目で確認できない内に離れ、また兄が一人になる。外を眺める兄の首許で、ツリーの飾り付けのように、紫色の石が煌いていた。近付くと、気付いた兄がこちらを振り返る。
「指輪が埋まってたぞ」
 兄がフォークの先でクリームに埋もれたリングを指す。
「プレゼント」
「お前が、さっき埋めたのか」
「うん。ほら、お揃い」
 兄の片手を掴んで自分の胸に押し当てた。白い指が動いて、シャツの下のペンダント、それから同じチェーンに通したリングを確認している。
「……分かったから放せ。変に思われるだろう」
 小さな声で抗議され、大人しくその手を放した。空いた手で、いつの間にか、多分料理を取りに行っている間に、満たされていたサイドテーブル上のグラスを手に取る。半分ほどを呷ってフォークに持ち替えた。
「家にあるからな」
「え? 何が?」
「クリスマスプレゼント。ちゃんと用意してある」
 兄が皿から細いリングを拾い上げる。皿は置き、器用にクリームを落としたそれを持って兄はホールの角を向いた。手を翳して歩き出す。
「あ、兄サマ、どこ行くの」
「レストルームだ、付いて来るな馬鹿」
 手を翳した意味を遅まきに理解し一歩下がった。持ち直したフォークでマリネを突付く。
 再度シャンパンを呷り、視界の端に映った人影に顔を上げた。兄ではない。だが、どこかで見た顔だ。向こうもそう思っているらしく、彼はもしかして、と口を開いた。
「人違いだったら済みません。……モクバ君?」
「え、ああ、その声、御伽だ。フェイスペイントが無いから判らなかった」
「やっぱり! 海馬君と居たからそうだと思ったんだ。そうかぁ、キミもとうとう生涯独身の会に仲間入りかぁ」
 感慨深げに頷くのはともかく話の一部に疑問が湧き起こる。このパーティが何の会だというのだ。
「何って、周りをよく見てみなよ。皆、独身主義者かやもめかゲイだろ」
 言われた通りに、そう意識して辺りを見回す。自分と兄を含めても、確かにそれは正しい。何となく気まずく、グラスを傾けようとしたが空だった。どうしたものかとグラスを下げ掛けると慌てたようにやって来た給仕が、オレと、まだ半分ほど残っている彼のグラスにシャンパンを注いだ。それを飲み、無難なところへ話題を変える。
「遊戯たちとは、今でも会ったりしてるの」
「偶にね。キミは、今でも海馬君と仲がいいままかい」
「まあね。色々変わったこともあるけど、仲はいいよ」
 人波を避けながら戻ってくる兄を見付ける。それに思うことは、昔なら一人残されていた不安からの解放だったろう。今は、放って置かれるよりも放って置く方が余程不安だ。
「……そりゃあ変わることもあるだろうさ。こんなだった子供がこんなになってるんだから」
 こんなだった、と腰の高さを手で示される。
「嘘だ、そんなには小さくなかったよ」
「そうだっけ? 今は……海馬君より大きくなってるよね。あ、海馬君」
 兄は声を掛けられ迷うことなく御伽かと答えた。ここに居ることにも変貌にも驚かない辺り、毎年顔を合わせているのかもしれない。それか仕事で会う機会があっただろうか。無かったような気がするから、パーティで毎年会っているのだろう、恐らく。
「あぁ、そうだ。秋頃にキミのところが発表したハードあるじゃないか。あれ、ウチで使わせて欲しいんだけど、企画書持って行ったら受け取ってくれる?」
「企画書が屑でなければ受け取ってやる」
「じゃあ今度持ってくよ。その時は宜しく」
 ひらひらと手を振って彼は主催が居ると思しき人だかりに向かって行った。そろそろ夜も遅くなってきたことだ、帰るつもりなのだろう。
 七面鳥を食べ終えて皿を片付ける。兄がグラスを空にしたのに合わせ、自分のグラスも空けてしまった。
「オレたちも帰るか」
 そう言う兄の指が胸元を押さえている。兄が今身に着けているならばペンダントのある位置だ。レストルームで、オレと同じようにそこへリングも通してきてくれたのだろうか。
「どうかしたか?」
「ううん」
 無意識の、そういう仕種が好きだと思う。
「早く帰って、二人きりクリスマスしよう」


 今日はとみに気分がいい。帰宅してそのまま兄の部屋へ行き、更にそのまま寝台に縺れ込んだ。
「待て、服が」
 兄が上半身を起こそうとし、失敗した。自分が邪魔していることに気が付いて身体を引く。兄はジャケットを脱ぐと次いでブローチを外し、続けてベストの釦を外しに掛かった。それを見つつ自分の服も脱いで床に落としてしまう。サスペンダーを落としたところで兄のものと混ざるかと考えたが、兄はY字を使っていたらしくその心配は無用となった。ズボンはサイズですぐに判る。
 シャツの下に、やはり兄はペンダントをしていた。リングも同じチェーンに通してある。
「待て、まだペンダントが」
「そのままでいいよ。それより、兄サマ、ちゅうしよう」
「は?」
 ぽかんと開いた口に唇を押し当てる。途中で抵抗にあって体勢を崩し、覆い被さる姿勢から横に並んで寝るように変わった。
「お前、酔ってるだろう!」
 叫ぶ兄を横から抱き締め、肉の薄い首筋に顔をうずめる。
「お酒には酔ってないよ」
「それが典型的な酔っ払いの戯言だろうがっ」
「それはいいからこっち向いてよ」
 お互いが同じ方角を向いている所為で兄の顔が見えない。頼むと兄は何か文句を並べながらも身を捩ってこちらを向いた。ぶつぶつ言っているが、怒ってはいないようだ。煩い口を塞いでしまうと、兄の腹の辺りに回していた腕に大人しくなった手が重ねられた。
「ねえ、凄く好きなんだけどどうしよう」
「オレが知るか! 素面の時に相談すれば一緒に考えてやる」
「だから酔ってないってば」
「どこがだっ、ぁ」
 片腕を愛撫に回す。静かになった唇にもう一度唇を重ねて、受け入れられるための手順を進めた。


 その辺りまでは覚えている。そのあとがあやふやで、今は朝なのだが。
 状況から未遂ではなく完遂したようではある。抱いたあと、というよりも直後、寝たのかとも思う。取り敢えず考えるのはあとに回して、兄の中に埋まったままのものを抜いた。兄が僅かに顔を歪める。
「ん……なんだ、朝か」
「ごめん、起こした?」
「いい。……あぁ、昨日言ったプレゼントはそこの引き出しの中だ。枕元に置いてやろうと思ったのに、お前が放さないから」
 腕の中で身体を動かし、兄が寝台の横の小さなテーブルを指した。片手を伸ばして引き出しを開ける。一番上の引き出しに入っていた、クリスマスカラーの包装紙でくるまれたものがそうだろう。
「これ?」
 兄が頷く。包装を解き、平たい正方形の箱を開けた。
「この間、新しく作ったスーツに合うのが無いと言っていただろう」
 箱には真鍮のカフスとタイピンがセットで納められている。それは、今までに持っていた装飾性の低いものとは違って、昨日の兄のブローチに施されていたような彫金がなされていた。
「嬉しい。こういうの探しててさ、見付からないからどうしようかと思ってた。有り難う」
 抱き寄せるとペンダントとリングがぶつかって小さな音を立てた。兄がそれをてのひらに受ける。
「昨日言いそびれたが。これも嬉しかったからな」
 照れた様子でそう言った兄が頬を薔薇色に上気させる。仕事では苦労しているようだが、こういう直情的なところが兄の可愛げだ。
「ねえ、凄く好きなんだけどどうしよう」
 昨夜も言った気がする言葉を繰り返す。兄は瞠目して、それから大きく息を吐いた。
「……お前あれ酔ってなかったのか」
「んー、いや、酔ってたと思うけど。でも嘘言ってたわけじゃないし。それに言葉は選んでるけど、あれくらいだったらオレいつも言ってない?」
 普段の言動を思い返してみる。愛の言葉なんて飾らなければ皆そういうことだ。
「素面の時なら一緒に考えてくれるって」
 絶対に忘れてるだろうと思ったのにと、言って兄は頭に手をやった。


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 お酒を飲んだあと、攻めキャラは酔わない場合が多い気がしました。酔って鬼畜化する攻めは偶に居る。でも酔っ払って上機嫌通り越して阿呆の子になる攻めはあんまり居ない気がします。……書いてみました。あんまり居ない理由が分かりました。
 攻めの一人称で酔っ払いの脈絡の無い思考が地の文というのは結構きついと思いました。