A violet -I’m your Valentine.-
2007/2/14


「例年通りに」
 箱に入ったチョコレートの山を指してそう下知する。毎年この日には幾らかのチョコレートが贈られてくるが、個人宛、企業宛と合わせると、とても食べ切れる量ではない。付き合いがあって義理に贈られてきたものを除き、ほぼ全てを養護施設や支援団体に寄付してる。
「例年通り、手作りと開封した痕跡があるのだけはしっかり弾いて」
「心得ております」
 心の篭ったものを事務的に処理するのは気が引けるが、一々全てを気に掛けてはいられない。オレは博愛主義者でも何でもないのだ。
 処理を担当の課に任せて帰宅の用意をする。兄の方も粗方指示を終えただろうか。表に出る機会が多い分、兄の下に届くチョコレートの数は半端無い。容姿もさることながら、言動含め、どうにも兄は目立つものだから。
 社長室の扉を叩き、返答を待って部屋に入る。甘い香りが漂う室内に、毎年のことながら感心した。
「もう帰れそう?」
「あぁ、さっき指示を出した。一度で運び切れなかったから、まだ少し待たなければならないが」
 残っている箱は二つだが、元は何箱に詰め込まれていたのか。部屋にこれだけの残り香を置いていくのだから、相当の量だったに違いないが。
 暫く待つまでもなく、ノックと挨拶を共に扉が開かれた。入ってきた二人の男が一つずつ箱を抱え、荷物の所為で中途半端な一礼をして出て行く。
「……帰るか。迎えは呼んであるのか?」
「地下に車止めてる。出先行くのに使うから、昼に持ってきてもらったんだ」
 説明しつつスーツの内ポケットからIDカードを取り出した。兄が部屋を閉めている間に役員用エレベーターのロックを解除する。
 直通で一階まで降りるエレベーターに二人で乗り込みロビーへ出た。擦れ違った社員が一旦止まり、会釈をして通り過ぎる。
「表に車回すから、中で待ってて」
 エレベータを乗り換えて、地下の社用駐車場に降りた。薄暗い空間は天井の高さもあって外気と変わらないほど寒い。ちょうど人気が無かった中、歩くと足音が派手に響いた。
 流線型の車体に手を掛けドアを開ける。運転席に乗り込み、キィを挿してエンジンを動かした。助手席に置いていた荷物と鞄を後部に放り込む。代わりに、赤いリボンを掛けたチョコレートの箱を取り出しシートの上に載せた。少し歪んでいるグリーティングカードをリボンに挟み直し地上へ向かう。
 兄は正面玄関のガラス戸横に立っていた。扉の近くまで車を寄せると、中から出て小走りにこちらへ向かってくる。
「今年は、やけに豪勢だな」
「日本的な意味では、初めてのバレンタインだしね」
 助手席の箱を兄が取り上げる。アメリカで暮らしていた時の習慣で、感謝の気持ちを込めたグリーティングカードを送ったりというのは毎年してきていた。こんな風に、チョコレートを添えたことは無かったけれど。
「何も用意して無い。カードしか」
「いいよ、チョコレートは、オレが貴方に贈りたかっただけだもの」
 箱を抱えた兄が助手席に座ってドアを閉める。挟み込んでいるカードを抜き取っている様子を横目にアクセルを踏んだ。
「開けても?」
「どうぞ」
 大通りに乗ってすぐに兄は赤いリボンを解いた。視界の端できらきら光る箱が開けられる。
「どこで買ったんだ?」
「ええと……箱にメーカー書いてなかったっけ」
「書いてあったが、そうではなくて、この時期によく用意できたな」
 そういう意味かと相槌を打った。どこの菓子屋も男は入ってくるなと言わんばかりのこの時期に、まさか店に行って買ってきたわけではない。
「使用人名義で屋敷まで送ってもらったんだよ。名前は、でっち上げだけどね」
 間違えて本人に開封されてはことだから、それくらいは考えている。立場を利用したさかしい買い方だとは思うけれども。
 だがこういう時に使わなくて、何のための立場だとも思う。やりたいことをやるための、そのやりたいことの中に、端から見ればくだらない自己中心的なものが混ざっていたって、多少なら別に構わない筈だ。
「美味しいといいんだけど」
 兄が一粒を摘まんで口許に運ぶ。暗い色のチョコレートは恐らくビターだろう。箱には数種類のチョコレートが入っている。
 箱に同封されていた薄い光沢紙に、種類の説明が書かれていた。兄がそれを読んでいる。
「お前も食べるか?」
 行く手の信号が赤に変わったのを見て兄がそう尋ね掛けてきた。ゆっくりとブレーキを踏み下ろしながらそれに答える。
「何がいい」
「甘いの頂戴」
 サイドブレーキを上げて兄の方に顔を向ける。口を開けると兄が仕方ないなと大理石模様のハートを唇に触れる位置へ持って来た。
「ひよこみたいだな」
 差し出されたチョコレートを手ずから食べると、そう言って兄が笑った。
「ひよこは、こんなことしない」
 先程までチョコレートを摘まんでいた手を取って指先にくちづける。古典的な敬愛の動作で、ヴァレンタインに相応しく、愛と感謝を込めた礼を述べた。


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 攻めがチョコあげたって、いいと思いませんか。