A violet -Anniversary!-
2007/8/14
「……今日は何かあったか?」
シャンパンとグラスを手に扉を開けたオレに、兄はそう怪訝そうな声を上げた。
「オレが貴方を口説き倒してオッケー貰った日」
答ながら円卓の磨かれた盤面にグラスを並べ、腰の低い椅子を引いた。今日か、と呟きながらそこへ兄が座る。
「いや、まあ、実はもう昨日になっちゃってるんだけど」
時計の針は既に十二時を回っている。
「でも、オッケー貰ったのは昨日だけど、ちゃんと話したのは夜中だったし、だったら今くらいかなぁと」
栓を抜くと瓶の口から炭酸が泡を飛ばした。零れ出す前に中身をグラスへ注いでしまう。
「あれからもう一年か、早いな」
窓から差し込む陽光が消え、月光へ変わりゆく中で始まったことだった。場所は今と同じこの部屋で、兄も同じ椅子に座っていた。本当に早い。まるで昨日のことのように、まだ全てを思い出せる。
「あっと言う間の一年だった」
「時間は、幸せな時の方が早く流れるって言うよ」
グラスを少し上げて乾杯の形を取る。同じ形を取って兄が微笑んだ。
「慣れるのも早いな」
グラスから離れた唇が動く。濡れた唇の様子は、灯りに光沢を得て艶めいている。
「早い……な。兄弟でいた二十年間が、たった一年でこうまで」
「兄弟なのは、別に今も変わらないじゃない」
「それは、確かにそうなんだが」
円卓に置かれたグラスの中で、真っ直ぐに登っていた気泡がよろめいた。
「お前はよくそんな風に言えるな。変わらないとは、オレにはとても」
兄は椅子へ深く腰掛け直すと再びグラスを手に取った。半分ほどに減った液体が揺れ、よろめくどころでなく気泡の筋が乱れる。
「オレは欲張りだから、弟の立場も恋人の立場もどっちもオレのものにしておきたいんだ。弟でいる時は弟のままで、恋人でいる時は恋人になって。だから変わらないよ、半面ではね」
「半面か」
「ねぇ、気付いてた? オレが普段は兄サマとしか、こういう時には貴方としか、呼んだことが無いって」
否定の言葉を漏らすと兄はくちづけることなくグラスを戻し、俯いて頤に指を添えた。
「どうかした?」
顔を覗き込むと逸らされる。頬に懸かった髪が亜麻糸のようにばらついた。
髪に気を取られていたオレに、兄がずるいではないかと呟く。何がかと、尋ねる間も無く言葉は続いた。
「お前はそんなに簡単に切り替えられるのか。オレはいつだって」
途中で兄が黙り込む。数秒待ったが言葉は再開されない。静まり返った部屋で、シャンパンの気泡が弾ける音さえ耳に届いた。
「やだな、続きは?」
いつだって、の続きを促す。会話の流れで想像は付くのだが、兄は黙ったままだ。
「何で黙るの。貴方いっつもオレに言わせてばっかりじゃない。偶にはオレにも同じこと言ってよ」
「何を言おうとしたか解っているならそれでいいだろう」
「偶には答え合わせしたくなる時だってあるよ」
一瞬兄が言葉に詰まる。珍しく言葉で心情を聞けるかと思ったが、それには兄の頭が無駄によく回り過ぎるようだ。
「お前は賢い。実に賢い。その上オレのことをよく理解している。だからその答は間違いなく正解だ」
論破するか、わざととんでもないことを言ってみせるか、考えたが考えるだけにしておいた。機嫌を損ねるのが目に見えている。
「都合よく解釈するよ」
「あぁ。お前に都合よく解釈しろ。どんな時でもそれが正解だ」
そういうことは言えるくせに、と、それも心の中で思うに留めておいた。短い夏の夜を更に短くする理由は無い。
こういうことは絶対に瀬人よりモクバの方がマメだと思います。
記念日関連、一年目はそれを記念日として認識していない瀬人が二年目からは無駄に良い記憶力で完璧に覚えてたら萌えです。