A violet -Sweetly you bloom.-
2007/10/25


 白い箱を抱えて隣の部屋への扉を叩く。箱には柔らかな青い天鵞絨のリボンが掛けてあり、内包物と同じその深い色合いは、兄によく似合うだろうと思われた。今日は兄の誕生日だ。
 扉がゆっくりと開き、隙間から兄の顔が覗く。オレの抱えた箱を見て、氷色の虹彩に囲まれた黒い瞳孔が、僅かに大きく広がった。
「随分と、大きな箱だな。今年は何だ?」
「さぁ、何だと思う?」
 兄の部屋に入り、プレゼントであるその箱を渡す。箱を受け取った兄は寝台に座り、オレはその隣に腰掛けた。兄の白い指がリボンをほどく過程を眺める。
 去年は花束だった。淡い色合いの花で統一した、華やかな様相の。今はプレストブーケになって、それまで風景画が飾ってあった本棚の横に掛かっている。今年は花束ではないが、似たようなものだろうか。花束ではないが、花ではある。
 リボンを解いた兄が箱の蓋を開けた。中身が予想外だったのか、驚いた様子で小さく息を吸う。
「どうしたんだ、これを、どこで?」
 箱の中身は青い薔薇だ。茎と葉は無く、花の首、もしくは花びらだけが箱いっぱいに詰められている。
「他社だから言ってなかったんだけど、これの研究チームに個人的な出資してて、そのコネで」
 まだ研究段階の品種をくれと頼んだため、花束が作れるほど長く茎の伸びた部分は交配用にするのだと切ってもらえなかったが。茎の短い部分しか貰えないというのならそれはそれでと花の首だけを集めたのだ。
「無茶言って貰ってきたんだろう。出回ってる品種じゃ、こんな青い青薔薇は見たこと無いぞ」
「出資分以上の無茶は言ってないよ。多分ね」
 苦笑した兄が箱から一つ花を拾い上げる。動いた空気に乗り、甘い香りが微かに届いた。
「綺麗だが。これはいったいどうやって飾るのだ? 大皿にでも浮かべるのか」
「それでもいいけど、箱詰めの花って基本的には活ける用じゃないんだよ」
「……では、何用なのだ」
 オレの知る範囲だけでも兄は箱詰めの花の利用経験がある筈だが、ゲストとしての利用ばかりで準備の場に立ち会ったことは無いのだろう。全く思い付かないらしく首を傾げている。
「何用かっていうならばら撒き用かな。バスルームに浮かべたり、式典で空から降らせたり」
 あぁ、と兄が納得したように相槌を打った。
「それでは浴槽にでもばら撒くか?」
「浴室、今日はもう使っちゃったでしょう。それより」
 寝台の上を一瞥し、枕元に置いてあった、汚したらあとで兄に怒られるだろう本をエンドテーブルに非難させた。ちらりと見えた‘シェイクスピア’の文字とその全集にしては分厚い項数に内容の当たりを付けつつ、兄の膝から箱を取り上げる。
「美しいものに美しいものを」
 箱を逆さ向けて寝台に花を撒く。その上に兄を押し倒すと、花びらが幾らか舞って、うっすらと赤みの差した頬に落ちた。
「……花嫁の寝床じゃあるまいし」
「似合えば何でもいいじゃない」
 深い青は白いシーツにも兄の肌にも映えている。美しいものに美しいものを。相乗効果とはよく言ったものだ。
 兄の手が動いて花の首を一つ持ち上げる。
「一つだけよけておいてくれ。潰してしまわないように」
 差し出された花を受け取り、エンドテーブルへ移した本の上に載せる。
 花が移動したのを見届けると、兄は花びらを舞い散らせ細い腕を寝台から乖離させた。上に向かって伸ばされた腕がオレの首に掛かる。
 引き寄せられるまま倒した身体の下で、早速一つの花が潰れた。くしゃりと花びらの折れる音にあーあと兄が責めるような声を出す。
「朝までに幾つ残るだろうな」
「まあ、最低一つは」
 安全な本の上で澄ましている薔薇に二人して目を向ける。
「……一つ残るなら、良しとするか」
 呟いた兄の唇にくちづけようと、体勢を変えた拍子に腕の下で再び花の潰れる音がした。


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 今年も花です。瀬人に花は似合います。そんな思い込みできっと来年も花です。