悪魔の唇
2009/1/30


 それは、1本のCMから始まった。
晩メシのコンビニ弁当食いながら、何気なくつけたテレビ画面の中に映し出された30秒の光景は、容赦なくオレのその後の運命を捩じ曲げていったのだった。


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「見たあ?!あのCM!!」
「見た見た!!すっごい綺麗だったよね、海馬くん!!」

 翌日のクラスでは、話題のCMの話で持ちきりだった。特に女のコの食いつきが半端ない。
クラスメイトが出てるから、じゃなくて、間違いなく話題性のあるCMだからだろう。
第一、海馬が自社商品のCMに出るのは、今に始まったことじゃない。

 だってねえ、いくら社長自らCMに出ると話題になるからって、ヤローが女物の化粧品のCMまでやるこたねえじゃないですか。
しかも、口紅。
そういや昔アイドルグループの男タレントが口紅のCM出て話題になったことあったけど、あれは確かキスマーク付けられる男の役だった筈。

 それが、海馬と来たら、社長御身ずから、ばっちりルージュでキメて映っちゃってるんですから。


 身体にぴったりしたユニセックスな衣装で、颯爽というか、むしろ尊大な態度で、ツカツカと歩み去ろうとする海馬が、ふと何かに気がついたようにくるりと振り向く。
その唇には真っ赤なルージュが塗られていて、女顔ってわけでもないのに、それが妙に似合ってる。
 そして振り向いた海馬が正面を向き、嘲笑を浮かべながら、視聴者の顎でも持ち上げるみたいに傲慢に指を画面に突きつける。そして。
「・ ・ ・ ・」
 何を言っているのかは聞こえない。
わざと音声が消えたみたいに、BGMも途絶えた静寂の中で、無音で海馬の唇だけが動く。

 そこに、ありがちな大人のオネーサンの声で、「どんなに酷い言葉でも、甘い誘惑に聞こえる」というキャッチフレーズが入って、「『悪魔の唇』海馬コーポレーションより、1月20日 on sale」てなCMな訳ですけども。


 アレが何を言っているのか、クラスの連中にさえ分からなかったらしい。
お前ら、いつも聞いてんじゃねえか。て、オレは思ったけど。

 流石にオレの仲間たちは分かったらしいけどな。


「よ、来たぜ、いつも誘惑されてる奴が」
「されてねー・・・」
「だってアレ、明らかに『凡骨』って言ってるよねえ」

 無責任にケラケラ笑う仲間を恨めしく見上げながら、城之内は机に突っ伏す。
クソ、テメェら、テメェが言われてる気分であのCM見てみやがれってんだ。

「でもさ、巷ではなんて言ってるか話題になってるみたいだよー。
○ちゃんねるとかで議論になってた〜。」
 のんびりと言うネトオタの獏良に、周囲は関心を示す。
「何て書かれてたの?」
「んー、『とんこつじゃないの?』とか、『ポンコツだろ?』とかさ。
結構近い線行ってたから、今頃は真相に辿り着いてんじゃない?
ボクは4時頃で落ちちゃったからあと分かんないよ〜。
それよりさ、もっと面白い話題に移っちゃってたし。」

「獏良くん、ちゃんと寝なさいよね」とか、
「とんこつ〜?オレぁラーメンかよ?」とかいう呟きを無視して、獏良は続ける。

「あのねぇ、あの唇で何て罵られたいかって、即席投票。
ダントツが『早漏!』で2位が『ヘタクソ』、3位が『包茎』だったかな〜。」

 一瞬、仲間うちだけでなく、クラス中が静まり返った。

「・・・・・・」
「あ、別に城之内くんのこと言ってる訳じゃないからね〜?」
「たりめーだろ!!大体オレは早漏でもホーケイでもねぇぞッ!!」
「ちょっと城之内!!大声で言うのやめなさいよッ!!」

 徐々にクラスのざわめきが元に戻りつつあることにほっとする。
「しっかし、世の中M男が多いもんだなー」
「そーいう問題じゃないよ、本田くん。
ていうか、海馬くんにその罵倒ワード言われたい、ってさぁ・・・」

 御伽の言葉に一瞬眉を寄せた後で、城之内がぽつりと呟いた。
「オレ、何か海馬可哀想になってきた。」
 思わずその場の男性陣は一斉に頷いた。


 カオよしアタマよし性格は問題あるけど収入は左うちわ、
 全国の乙女の夢見る玉の輿、白馬ならぬ青眼の白竜に乗った、
 天下の海馬コーポレーション社長様が、だぜ?
 何でヤローのオナペッツにされなきゃなんねーんですか。

 つーか、オレが言えた義理じゃないんだけど!実は!!



薄めの唇をひと回り大きく見せるように、妖しく塗られた真っ赤なルージュ。
暗闇の中浮かび上がるような白い肌にひときわ映える色が、無言で動く。
『ぼ・ん・こ・つ』
とんこつではない。

「・・・ヤッバすぎっだろ、コレ・・・」
 ぐったりとうなだれつつティッシュを丸めてくずかごに突っ込みながら、画面に向かってツッコミを入れる。

あの唇にいつも呼ばれている呼び名を呼ばれて、心臓を鷲掴みされた。
いや、心臓っつーよりむしろ股間か。
何であんなにソソるんですか!それが悪魔の唇の威力か?!

もしかしてオレ、前から海馬のことそういう目で見てたっけ?!って思っちまうくらい。
嫌よ嫌よも好きのうちって奴ですか?!
あああ、もう、海馬のことが頭から離れねぇええ!!!



 30秒間のCMは城之内家のデッキで擦り切れるまで繰り返し再生された。
 そして事実、5日と待たずに擦り切れた。
 テープではなく、デッキが。


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 街中に貼られたポスターに、自分の顔ながら苛立つ。

 大体なんだ、あのキャッチコピーは。
知らされた後でライターを問いつめたら、「え?社長にピッタリでしょ?」と言われ、脳の側の血管が切れる音を聞いた。
モクバが咄嗟にオレの手からジュラルミンを取り上げてくれなかったら、KCの無事故記録が露と消えるところだった。出来た弟だ。
 見事に売り上げを伸ばしている以上、減俸もできないのが腹立たしい。

 業務の気晴らしに外へ出ても、落ち着ける場所もない。

 あんなもので誘惑される馬鹿が何処に居る、と、出来上がったCMを見た時には怒鳴りつけてやったものの、現実にはそこかしこにそう云う馬鹿が居るらしい。
あのCM以降、女ばかりでなく男からも、卑猥な視線を向けられる機会が増えた気がする。

 大体、そんなもので誘惑できると云うのならば・・・

そこまで考えて、瀬人は思わずルージュを塗っていない唇を噛み締めた。

『なるべく短い言葉で、悪口とか何か、馬鹿にするような言葉で誰かに呼びかけてみて下さい。』
CM撮りの時そう言われて、ふと、最近頭から離れない奴のことが浮かんできてしまったのだ。
気に留める価値などない、だがやけに目障りで気がつくと目で追ってしまう、あの騒がしいヒヨコ頭のことを。

 ・・・ああ。
ポケットの中で、手のひらに爪を立てる。
あの時、何故オレは、『凡骨』なんて言葉を選んでしまったんだろう。


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 寒い。
気温も寒いけど、懐が寒い。
ビデオデッキを修理に出したからじゃない。アレは依然として故障中だ。
(後で自分で直すからいいんだ・・・)

 昨日、バイト先のドラッグストアで散財してしまったのである。
例の口紅の、お買い上げ先着限定○名様のオマケだったポスターの最後の1枚欲しさに、思わずお買い上げしてしまったのだ。
CMで海馬がつけてる、ポイズンレッドとか云う色のヤツ。
「あり得ねえ・・・」
 4000円ですよ。改めて自分に呟いてみる。

 つーか、ドラッグストアでポスター嬉しそうに持ってった客も、ほとんど野郎だったぜ?!
どうすんだよ、ソレ。と、小一時間問いつめたい。
彼女とかにあげてもビンタ食らいそうだぞ。
ポスター目当てってバレバレ。彼女居なさそうだったけど。

 いや、むしろ女性客にも訊きたい。
『結婚したい男』とか云って憧れてる野郎を、美の目標値に設定するってどうなの。
アンタたちの女としてのプライドは何処行ったんですかと、小一時間(以下略)。

 で、何よりオレ自身に訊きたい。
 オレの1週間分の食費、どうするんですか。
 小一時間どころじゃなく問いつめたい。真剣に。

「オレ、マジでどーかしちまったんかなあ・・・」
絶望的な想いに、ぼんやりと天を仰ぐ。
絶望してるのは腹が減っているせいではない。
 つーか、不毛すぎんだろ?マジで。
 オレが海馬を好きなんて。


 口紅は未だジャケットのポケットに突っ込んだままだけど、件のポスターはオレの部屋の天井を飾っている。
布団敷く場所の真上。
あんな妖しく見つめられても、異様に寝付きのいいオレは眠れなくなるなんて心配はない。
 その代わり、朝っぱらから一発抜かねえと起き上がれなくなったけどな!

 恐るべし、悪魔の唇!!



 そんなことを考えながら、でっかい『悪魔の唇』のビルボードの角を曲がったときだった。
 ポスターと同じ顔した奴とばったり鉢合わせしたのは。


「・・・・・・」

 切れ長の青い目を珍しく見開いて固まっている海馬は、勿論口紅なんか塗ってなかった。
「・・・よぉ。」

 危うく出会い頭にぶつかりそうな勢いだったから、ちょっとびっくり眼なのはそのせいかなとも思ったけど、何故だかしばらく固まったままだったから、オレは海馬の目の前でひらひら手を振ってみた。
「おい、シャチョーさん。起きてる?」

 ようやく解凍された海馬は、いつもの不機嫌そうな表情を浮かべて、こっちを睨んできた。
「何の真似だ、ぼ・・・」
 言いかけて、右手をはむっと口に持っていって押さえる。

あー、人前であのワード、言いにくくなっちゃったんだ?
つか、なら何でCM撮りであのワード言うかね。
オレのこと意識でもしてんの?

 オレは茶化すようにへらっと笑って言ってやった。
「何?誘惑してんの?」


 一瞬、時間が止まったかと思った。
再び大きく目を見開いてフリーズした海馬は、次いで、口許を右手で押さえたまま、みるみるうちに耳まで真っ赤になる。
ホラ、開花の映像かなんかをものっすごい早送りで見てるみたいな。
 イヤ、何が花開いてるんだ。

 うわぁ。
 何これ?何オレ、マジで誘惑されてるんですか?!
 すっげ可愛いんですけど!

 あのCMと同じく真っ白な顔に、唇の代わりに染まる頬が、対照的にすげー初々しい。
 アレが『悪魔の唇』なら、コレは何だ。『天使のはにかみ』?
 ・・・我ながら脳に虫のわいたネーミングだ。
 オレ、マジでどうかしちゃってるよ。


「あー・・・あのよ?」
オレはがしがし頭を掻きながら、もう片手をポケットの奥に突っ込んだ。
 俯いていた海馬が顔を上げてオレを見る。
オレは海馬の手を掴んで、手の中の口紅を握らせた。

「コレ、ポスター目当てで思わず買っちまったんだけど。
お前、もし使うんなら引き取らねえ?」

 つーか、ドラッグストアのテープとか貼ってあるまんまなんだけどよ。


 海馬の目が一瞬泣きそうな色に歪んで、その後で、すっと瞳を細めて笑った。


「・・・誘惑して欲しいのか?」
「乗ってやるぜ?」


 多分、海馬のビルボードの前で立ち話してたオレたちはすげー目立ってたと思うけど、その時のオレたちは周りの視線なんて気付きもしなかった。
心臓がばくばく言ってて、何も聞こえなかったからかも知んねえ。


 女の・・・いや、誰かの口紅なんて塗ったこともなかったけど。
オレの手も海馬の唇も小刻みに震えていた割には、上手く塗れたと思う。オレって器用。

 ルージュを塗り終わると、海馬が閉じていた瞳をゆっくりと開けた。
そして、少し赤くなった目元で、それでも余裕ありげに笑う。


「そう云えば、今日は貴様の誕生日だったな?
・・・何が欲しい? ぼ・ん・こ・つ。」

「お前」


 言うが早いか、オレは魅惑的な『悪魔の唇』にむしゃぶりついていた。
 白昼堂々のキスシーンに上がる悲鳴のような歓声も、その時のオレたちには聞こえてなかった。



 こっそり影で小型カメラを回してたらしいKCの一社員の尽力により、その時の映像がセカンドバージョンのCMに使われたのは、おまけの話。


the finis.

 瞳ありさ様から、「悪魔の唇」を更新したあとブログのこの辺とかこの辺で語ってた広告萌えネタを形にして頂けました! 棚ボタ! ありさ様有り難う御座いました!
 凡骨の「ぼ」で詰まって茶化されて真っ赤になる瀬人とか可愛過ぎですよね! そして即席投票のそれでいいのか野郎ども……な結果に大笑いです。世の男たちのオナペット瀬人、そんな可哀想なところが萌える……!
 天使のはにかみ(城之内君談)は後日KCから販売されました。ありさ様のサイトでは天使のはにかみポスターもご覧頂けますので、未見の方は是非!