「モクバ、モクバ！」
　階下で自分を探す声に階段を下りる。踊り場に差し掛かった所で気付いたらしく、兄は叫ぶのをやめて階段を登ってきた。
「どうしたの。何かあった？」
「あぁ、今度の土曜から三日間、オレは会議も会談も入ってなかったな？」
「……ええと、うん、そうだったと思うけど」
　答えると兄は片手に持っていた携帯電話を耳に当てなおし、通話口に向かって大丈夫暇だと弾んだ声を出した。
　もう二、三話して兄は通話を切ったが、暇だと言っていた時点で既に嫌な予感しかしない。兄は楽しげにスケジュールを打ち込むと携帯を閉じ、顔を上げてオレを見た。
「土曜から小旅行でスパに行ってくる」
「土曜から？　三日間？」
　会議も会談も入っていないことは確かだが、誰も暇とは言っていない。また突発のアレかと半ば呆れたが、もはや何も言うまい。
「ついでだから付属のエステで肌も磨いてくる」
「あ、そう……」
「全身つるつるになって帰ってくるぞ」
　既につるつるじゃないという言葉を飲み込む。今度こそ本当に全身脱毛でもする気だろうか。今だってもう一部局所にしか残っていないが。
「誰と行くの？」
「北村夫人」
「誰だっけそれ……」
　脳裏に数人の北村社長や専務が浮かぶ。兄と交流があったのはどの北村夫人だったか。
「北村セラミックスの」
　ああ、オレ月曜日そこの旦那と仕事だよ。
「……まあ、楽しんできなよ。気を付けてね、変な薬とか試さないようにして」
「今回新しく試すのはヒアルロン酸注射だけだ」
　それにどんな効果があるのかは知らないが、行く度に新しく試す薬が増えてる気がするのは気の所為かな。
　取り敢えずホルモン剤だとか言い出すまでは好きにさせておこうと、エステ狂になりつつある兄の話を、右から左に聞き流しつつ相槌を打った。