三倍返しの鉄則
2007/3/14


「ホワイトデーは三倍返しが鉄則に決まってる」
 怠惰な姿勢で寝台に寝そべりながら、そろそろ姉になりつつある兄はキラキラ光る指先に息を吹き掛けた。
「元の値段、聞きたいか」
 バレンタインのチョコレートは、有り難いことに手作りだったから、元の値段とは一緒に贈られたシャツのことを言っているのだろう。
「別にいいけど、何か欲しいものあるの」
「ブレスレット」
「この間自分で買ってなかったっけ」
「自分で買っても自慢にならん」
 即答で返されてそういうものかと無理矢理納得する。どちらの稼ぎが多いかは、この際忘れるとして、だ。
 寝台に向かうと赤い液体の入った小瓶を渡された。小瓶の蓋には刷毛が付いている。
「マニキュア?」
「ペディキュア。足の方、塗ってくれ」
 起き上がってついと差し出された足が腿を蹴る。
「自分で塗りなよ」
「まだ乾いてないから手を使えない」
 華美な指先を見せ付けるように伸ばした兄が再びオレの腿を蹴った。
「北村の旦那はしてくれるって言ってたぞ」
「…………やるよ」
 気の弱そうな取引先の社長を思い出しつつ寝台の上に座った。小瓶の蓋を開け、赤い粘性の液を含んだ刷毛を取り出す。
「どうやればいい?」
「二回塗ってから透明のを使ってラインストーンを付ける」
 小瓶をもう一つと細かい模造ダイヤがシーツの上に散らばされた。慎重に爪を庇いながら動かされた指先は、眩く輝いて綺麗だと思うけれど。
「足なんかどうせ見えないじゃない」
 面倒だと思う方が先に立つ。サンダルを履くわけでもないというのに。
「ベッドで見えるだろう」
「だったら、オレが来る前に綺麗にしといてよ」
 言いながら肉の薄い足を掴んだ。細い指を支えて形良く作られた爪に色を置く。
「ブレスレット、どんなのがいいの」
「ピンクゴールドに模様が入ってて、内側にこれくらいのダイヤが埋め込んである」
 光る指先がシーツに転がったラインストーンの一つを指した。具体的なのは既にどこかで見てきたものを思い浮かべているのだろう。
「それ、三倍どころじゃないよね」
「駄目か」
「駄目じゃないけど。あ、ごめん、はみ出した」
 小さな爪の外に付いた真っ赤なマニキュアを見て、兄はむっと唇を尖らせた。
「……まぁいい。速く塗って石を付けてくれ。乾く前に夜が終わる」
 これくらいだと言われた模造ダイヤが、これは親指にと場所を示された。同時に細い棒が取り出される。
「何? これ」
「それで石を付けるんだ。こんな風に」
 透明の液を付け器用に拾われた石が親指の爪に落とされる。
「手、乾いたなら自分でしなよ……」
「自分でしても自慢にならん」
 先程聞いたばかりの言葉と良く似た理屈で兄はオレに棒と小瓶を押し付けた。三倍返しの鉄則といい、御婦人方と兄の理屈にはどうしてこうも首を傾げたくなるものが多いのか。今更ながら、心の中で首を傾げた。


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 ドミネーゼの瀬人はチョコをあげてた。
 ホワイトデーの拍手をリサイクル。(2007/6/8再掲)