Old days
2010/07/07
ほんのちょっと昔の話をしましょうか。二年くらい前、アタシと瀬人ちゃんが出会った頃の話よ。
「では皆さん、手許に材料が揃ったら薄力粉を篩いに掛け初めて下さい」
場所は都内じゃそこそこ有名な料理教室だったわ。お菓子作りのコースがあって、アタシはその時で三ヶ月くらい通ってたんだったかしら。そこに新しく入ってきたのが瀬人ちゃんよ。
と言っても入った時に挨拶や紹介があるわけでもなく、最初は随分背の高い子がいるのね、って遠目にちらっと見たくらいだったの。人のこと言えない? 煩いわね、放っておきなさいよ。あーあ、成長期にバスケットなんてやるんじゃなかったわ。
ともかくよ、それがアタシたちの出逢いだった。まだ出逢ってないみたいなもんだけどね。
転機は、ある日偶然アタシと瀬人ちゃんが隣同士でテーブルに付いたこと。隣になってビックリしたのは、瀬人ちゃんってすっごく無愛想だったのね。全然喋らないの。周りは皆雑談とかしながら調理してるのに。
あんまり不自然なくらい喋らないもんだから、つい気になって瀬人ちゃんのことジロジロ見ちゃったわ。それで気付いたの。
「ね、ね。貴方さ、アタシと一緒でしょ」
一緒。生まれた時の性別男でしょ? ってね。背も高かったし、当時は瀬人ちゃんもまだ随分骨っぽかったし、近くで見たら結構すぐに解ったわ。アタシもそういう変化中の時期があったから、余計に解ったんでしょうけど。
瀬人ちゃんもすぐに解ったと思うのよ。アタシはこの通り瀬人ちゃんより高身長だし、わざわざ、一緒でしょ、なんて声掛けてるんだから。
けどやっぱり瀬人ちゃんは返事をしなくて、でもそれが無視してるって感じじゃなくて、何か言いたいけど言えなくて困ってるって感じだったの。ピンと来たわ。あ、この子、無愛想なんじゃなくて喋れないんだわ、って。
「最初は喉のところに手を置いて、喉仏が動かないように意識しながら話すと巧くいきやすいわよ」
女声って難しいのよ。
「……ぁ、あ……ん、ん、本当、だな」
素直にアタシの言うこと聞いてつっかえつっかえ話す様子の微笑ましかったことったら。
「貴方、名前は? アタシ小百合っていうの」
「……せ、と」
それからというもの、アタシは教室の度にものすごーく瀬人ちゃんを構い倒したわ。不慣れで困ってるのを見たら、やっぱり助けてあげたくなっちゃうじゃない。
ところで、アタシ、この時はまだ瀬人ちゃんが海馬瀬人だって知らなかったの。だって普通本名そのまま名乗ると思わないじゃない。なんでって、そこは察しなさいよ。アタシの本名は雄々し過ぎるから聞いちゃ駄目。
で、海馬コーポレーションは知ってたけど、この頃の瀬人ちゃんはまだ付いてた、つまり会見前だったし、幾ら大企業だって関連事業に興味が無きゃ企業名は知ってても社長の名前まではなかなか覚えてないわよ。アタシはデュエルしないしねぇ。だから、全然気付いてなかったの。
気付いたのは何時だったかしら。そうね、ああ、そう、アタシが凄く落ち込んでた日だったわ確か。
「今日は、どうかしたのか?」
その頃になると瀬人ちゃんも随分巧く喋れるようになっていて、料理教室で同じテーブルに着いたアタシに、流暢にそう聞いてきた。アタシは正直に言ったわ。
「昨日のドラマ、録画し損ねてたの」
下らない? だって毎週欠かさず見てたのよ。しかも盛り上がる回だったのよ!
「童実野テレビのゴールデン枠か?」
「そう。あー、昨日できっとくっ付いちゃったわよね……もう残り回数少ないもの……」
ずっと見てたのにこんなクライマックス付近で見逃すなんて。悲嘆にくれるあまり生クリームを泡立てる手も投げやりになってたら、瀬人ちゃんが言ったの。
「それなら録画しているぞ」
「え」
「今日帰ったら見ようと思って……このあと暇ならうちに来るか?」
勿論、アタシは頷いたわ。ドラマも勿論だけど、うちに遊びに行くって、友達らしくて素敵じゃない。
瀬人ちゃんは、友達って言葉大嫌いだけどね!
で、ホイホイ付いてってみてビックリよ。まず教室を出て瀬人ちゃんが迎えを呼んだ時点でビックリ。迎えに来た車がなんか長いんだけど、ってね。
「瀬人ちゃんお金持ちだったの?」
「ん? ……あぁ、ええと、気付いてないのか? 言ってもなかったか」
「え? 何を?」
「……まぁ、すぐ解るだろう」
すぐ解ったわよ。お抱え運転手が童実野町の方面に車を出して、暫くもしない内に海馬ランドが見えてきて、そこに一直線繋がってる私道を通ってやたら大きな豪邸に着いたりすれば、さすがに解るわよ。極め付けが、お屋敷に入った瀬人ちゃんに向けて警備員っぽい人が放った一言。
「お帰りなさいませ、海馬様」
海馬様。海馬。
「え、ええ? 海馬、コーポレーション? そういえば社長の名前が……」
言われてみれば瀬人とかそんな感じだったかも。
「案外誰も気付かなくてな。初めてこの成りで料理教室に行った時は、週刊誌の記事程度覚悟していたんだが」
「やー、だって、まさかそうとは、よぉ。公表してるわけでもない有名人が、なんの対策も無くそうしてるとは思わないじゃない」
ゴシップ覚悟って、それはなかなか言えたものじゃぁないわよ。悪いことしてるわけじゃないんだから堂々としてればいいって言ってもね。
ともあれ、そうしてアタシは瀬人ちゃんが海馬瀬人だって知ったわけ。だけど社長だとか有名人だとかそんなこと関係無いくらいにはもう仲良くなっちゃってたアタシたちは、早々にその話題を切り上げて瀬人ちゃんのホームシアターに向かったわ。当初の目的、ドラマを見るために。そっちの方が、アタシたちには大事だったの。
「あああなんで追い駆けないのっ!」
「仕事など明日の朝四時に出勤して片付ければいいだろうが……!」
巧くいきそうで巧くいかない、そんなじれったい展開に思わず二人でテレビに話し掛けてた。そんな時よ。部屋の扉が開かれたのは。
「……あれ?」
「モクバ。どうかしたか」
今度はすぐ解ったわ、瀬人ちゃんの弟よ。そのちょっと前に新聞に載ってた名前が確かそんな感じだったもの。
「いや、なんかとんでもない言葉が聞こえたから社員に電話でもしてるのかと思って。朝四時に出勤しろとか、さすがにちょっと止めようかと」
「あー……」
瀬人ちゃんが微妙に気まずげにスクリーンを指差す。
「……テレビ……に向かって言った?」
「幾らなんでも実際に社員に向かって朝四時など命じるか」
そんなこと言ってたけど、瀬人ちゃんは命じるタイプよ、絶対。そりゃあ弟、っていうか副社長だって心配になって部屋覗くわね。今だから分かることだけど。
アタシに気付いた彼が会釈だけして出て行くと、瀬人ちゃんはすかさずリモコンを取ってドラマを巻き戻した。片目には見てたから主人公がヒロインを追い駆けてってハッピーエンドに向かいそうな流れになってるのは分かってるけど、やっぱり落ち着いてちゃんと見たいじゃない。
それからはちょこちょこお互いの家に遊びに行ったりするようになったわ。そして、七月七日の朝、瀬人ちゃんは荷物を抱えてアタシの家に来るなりこう言った。
「キッチンを貸してくれ」
「キッチン? いいけど、アタシの家のキッチンより瀬人ちゃんの家のキッチンの方がなんでも揃ってるんじゃない?」
あれはキッチンって言うより厨房だけどね。オーブンだって本格的なのが付いてるし、ミキサーやジューサーだってあった。
「うちで作るとバレる」
「バレる? こっそり作りたいの?」
まあ、話はこうよ。モクバの、つまりは弟の、誕生日だからこっそりケーキを作っておいて驚かせたい、と。随分仲のいい姉弟よね。と、思ったわ。最初は。
「チョコレートケーキ?」
「チョコレート系が好きなんだ」
「あら意外」
瀬人ちゃんがチョコレートを刻んでるのを横目に、持って来られた荷物を見てみる。ケーキ用の型やデコペン、クラッシュさせて間に挟むつもりだろうゼリーや生クリームに混ぜると思しきココアなんかがあったわ。
スポンジを焼いてる間だとか冷ましてる間だとか、合い間合い間にお茶したりしながら、基本が完成したのはお昼過ぎ。あとは表面のデコレーションだけ、となって、瀬人ちゃんが手にしたのはデコペンだった。ハッピーバースデーとでも書くのかしらって見てたら、それが違ったのよね。
「えええ瀬人ちゃんメッセージそれでいいの? 弟の誕生日よね?」
書かれたのはアイラブユーアンドなんとかかんとか。熱烈な愛のメッセージよ。それで合ってるのか思わずアタシが聞くと、瀬人ちゃんは不思議そうに首を傾げたわ。
「変か? ……あぁ、そうか、言ってなかったか」
社長の件といい、瀬人ちゃんは割りと「言ってなかった」をやらかすけど、これはその中でも最大級の爆弾投下だったわね。
「付き合ってるんだ。弟と」
なんとも思わなかったのかって聞かれたら、ああ、まあ、瀬人ちゃんだものねぇって思ったって答えるわ。瀬人ちゃんならなんでもありな気がするでしょ。それに、あれだけスパッと言われちゃうと、疑問に思う方が変みたいじゃない。
完成したケーキを持って、瀬人ちゃんはいそいそとあのお屋敷に帰って行った。そのあとのこと? 聞いた気もするけど忘れちゃったわ。だって、本当にただの惚気話だったんですもの。
2010モクバ誕。
誕生日色が薄くなったけど気にしない! 筒抜けな関係がどうやって最初に筒抜けになったか、ずっとこんな感じを考えていたのでこの機に書いてしまいました。