Treat and treat!
2008/10/31


「トリック・アンド・トリック!」
 ホールの一角でそう声を張り上げているのは海馬さんだ。トリック・アンド・トリック。ハロウィンの呪文ならトリック・オア・トリートじゃなかったかしら? 尤も、周囲が盛り上がっているのだからあれでいいのかもしれない。ソリッドヴィジョンと実際のカード捌きが入り乱れて、確かにあれはトリック・アンド・トリック、種も仕掛けもあるけれど、魔法のようだもの。
 ホール全体の雰囲気からして魔法の国に紛れ込んだみたいなここは、海馬さんの知り合いが主催をする立食形式のパーティで、多分偉い人とか有名な人とかセレブの人とかがたくさん集まっている。ハロウィンパーティがあるんだが、と呼ばれて来てみたら大変なパーティで、私はさっきから何度も卒倒しそうになっていた。
 だって、そこかしこにテレビで見た顔が歩いているんですもの! ハリウッドの俳優だとかまで!
 ただ、卒倒は別の意味でもしそうなのよね。このハロウィンパーティの決まりで参加者は皆仮装をしてるのだけど、そんな凄い人たちの集まりともなると仮装も凝りに凝っていて、本物のようなゾンビや怪物が、声だけはにこやかに談笑してたりするのよ。
 件の海馬さんは、カボチャをモチーフにした可愛らしいドレスを着ている。オレンジ色の堤燈袖に立ち襟、カボチャ型スカート。胴体と堤燈から伸びる細い袖、それにロングブーツは少し暗めのグリーン。頭の上にはカボチャそのものな小型の帽子が乗っかっている。カボチャはランタンだからお化けではないような気もするけど、似合っているのだから構わないわよね。いつもは愛されぽってりメイクの唇やキラキラの指先も黒く塗られていて、可愛いドレスの割りにおどろおどろしさもばっちりだし。
 と、つい辺りばかり見回してしまうのは、どうしていいか解らないからよ。海馬さん、私のこと忘れてないわよね。トリック・アンド・トリックで盛り上がるのはいいけれど、私を連れてきたこと忘れてないわよね。幾ら外国人招待客も多くてそんなに背の高くない私は完全に人波に埋もれてるからって、存在まで忘れてないわよね?
 不安になってきたなぁ。こっちから海馬さんのところに行こうかな。でもあの輪の中に入るのはちょっと怖い。色んな意味で。
「あ、いたいた。静香」
 あら聞いた声、やっとどうしていいか解るわ、と思って振り向くと、私の前に仮面の男が立っていた。
 いえ、解るのよ。仮面と言っても口許は出ているタイプの仮面だし、髪型とか体格とか総合して見れば別に特殊メイクで怪物になってるわけでもないし、声だって聞いたし。解るけど。
「モクバ君も来てたのね。それ、何の仮装?」
 正直その仮面凄く怖い。しかも海馬さんの借りたのか、唇まで真っ黒なの。
「あー、やっぱり判り辛い? ファントムなんだけど、さっきからよく聞かれるんだよね。……じゃなくて」
「じゃなくて?」
「なんか、兄サマが見失ったから探してこいって」
 ああ良かった! 忘れられてなかったのね! 見失われてたけど!
「兄サマあんな目立ってるんだし、自分から向こう行ったら良かったのに。一人で立ってて退屈じゃなかった?」
「あんまり凄い人とばっかりいるから割り込んでいいのか解らなくって。色んな人の仮装を見てたからそんなに退屈ではなかったし、つい傍観しちゃった」
 まぁ、ちょっと怖かったりはしたけれど。
「凄い人っていっても、あそこにいるのはそんな気を使うようなメンバーじゃ」
 ないのは海馬さんやモクバ君にとってだけよね。だって私庶民なのよ。テレビにも新聞にも、犯罪でも起こさない限り絶対に載ることなんてないような庶民なのよ。
「もう、パーティ自体に緊張してるくらいよ」
「えー、でも、あのミイラ男の中身なんか御伽だよ。ここからじゃ顔見えないけど」
「嘘!」
 言われて、海馬さんの近くに立っているミイラ男をよく見てみる。モクバ君が言った通り顔は見えない。背格好は確かにあれくらいだったような気がするけど、本当にそうなのかしら。
 近付いていくと、途中で海馬さんが私たちに気付いた。こっちだと呼ばれて早足になる。足元でドレープが広がって少し動きにくい。
「ほら見ろ、本当に来てるだろう」
 そう言って、海馬さんがミイラ男の肩を掴んだ。ぐるぐるに巻き付けられた本格志向の布包帯ミイラが私の方を向く。一筋だけ空いた包帯の間から、見覚えのある瞳と多分特殊メイクで土気色になった肌が見えた。
「わぁ、ホントだ! 静香ちゃん久し振り! って、分かる?」
 これは本当に。
「御伽さん! どうしてここにいるんですか?」
「あそこのヴァンパイアの伝手だ、あそこの」
「そう、Mr.ペガサスの紹介で」
 また聞いたことのある名前だわ。海馬さんが指した方向を見る。世間って、案外狭いのね。
「静香ちゃんは海馬君に呼ばれたって?」
「ええ、そうなの。衣装まで用意してもらっちゃって」
 真っ黒なひらひらのローブに尖がり帽子。最初は海馬さんのカボチャドレスと揃いでケルト風ランタンをモチーフにしたカブドレスなんてどうかと言われたのだけど、着る勇気が無くて仮装仮装した仮装じゃなく、もう少し地味な衣装にしてもらったの。
「魔女だよね。箒は持たないの? 持ってる方がそれっぽいし可愛いのに。というか海馬君用意しなかったんだ?」
「ん? あぁ、それで呼んだんだ」
 海馬さんはカボチャ型のハンドバッグから、小さい円柱の、一見リップスティックにも見えるものを取り出した。私が初めて見るのは当然として、御伽さんも何それと興味深そうに尋ねている。周囲にいた中ではモクバ君だけが何か判ったようにしていたから、社外だか邸外だかには今日が初公開なのねきっと。
 海馬さんがスティックの上部を回すと、一瞬ホログラムが輝いて、次の瞬間にはその場に箒が現れていた。
「静香。ここを持て。持ったら絶対に放すなよ」
「え、ここですか?」
 箒を渡されて、言われた通りの場所を右手でぎゅっと握り締める。ホログラムが輝いたということはこれもソリッドヴィジョンの筈だけど、何故か手触りまで本物としか思えないくらいに本物らしい。私が持ってるのって、本当は箒の柄じゃなくてさっきのリップスティックみたいなやつよね?
「持ったら、持ったまま箒に跨ってみろ。横向きに座るのでもいいが」
「え、え? これソリッドヴィジョンですよね?」
 私の知ってるソリッドヴィジョンはどれほど出来がよくても触ったら擦り抜けてしまうものなのに。
「今日はハロウィンだからな。ソリッドヴィジョンも特別なんだ」
 恐る恐る、箒を背後で横にして、右手の位置から身体の幅開けたところに左手を伸ばす。
「嘘ぉ、掴める……」
 そのまま腰を下ろしたら、柄の部分に座れてしまったわ。まだ地面に足は着いてるけど、足から力を抜いても大丈夫そうなくらい座ってる感覚がある。
 私もビックリしたけれど、周りもビックリしたみたい。これは魔法か? なんて声が聞こえてくる。
「ふん、そんな信憑性の無いオカルト現象と一緒にするな。これは科学だ」
 得意げに鼻を鳴らして、海馬さんは「トリック・アンド・トリック」と人々に呼び掛けた。トリック・アンド・トリック。種も仕掛けも御座います。って、嘘!
「きゃ、きゃああああああああああ」
 物凄く叫んでしまったけど、無理はないと思うの。だって、海馬さんがトリック・アンド・トリックって言った途端に足が地面を離れて浮かんだの! 箒が床から一メートルは上に浮かんだの!
「飛んでる……海馬君、これどうなってるの?」
「企業秘密だ」
 その内商品化してやると海馬さんが言って、じゃあその時は提携宜しくと御伽さんが答えた。
「こ、これ、市販されるようになるんですか?」
「箒を売るかは解らんがな。まずはショーデュエル用のディスクに組み込む」
「ブルーアイズに触りたい一心でラボ一個独占して研究したんだもんね」
 モクバ君がぼそりと事情を零す。海馬さんらしいといえばらしいけど。
「ばらすな馬鹿!」
「キミのところって、出来上がるものは毎回毎回凄いけど、作る動機は大概不純だよねぇ」
「収益になってるからいいんだ」
 そう言って、海馬さんはもう一つさっきのと同じスティックをカボチャ鞄から出した。スイッチを入れるとさっきみたいにホログラムが光って、今度は緑色の蔦が床から生えてくる。スイッチを持っていた筈の海馬さんの手も、蔦のぐにゃりと曲がった部分を掴んでいた。
「箒だけじゃなかったんですね」
 海馬さんがカボチャドレスの裾を手繰って蔦の横になったところに座ると、蔦は更に伸びて、私の浮かんでいるのと同じ高さまで、海馬さんを押し上げた。何か、どこかで見たことのある構図だわ。
「……パンプキング?」
 御伽さんが呟いて、私は以前カイバーレディショーで見たそのモンスターを思い出した。皆にその蔦を刺して精気を吸い取ってしまう悪いモンスターだったのよ。あの時はやっつける側だったカイバーレディ、のモデルの海馬さん、が今はパンプキングになってるなんて、ちょっとおかしい。
 蔦に乗って空中を漂いながら、海馬さんは腕を伸ばしてファントムの仮面を奪い取った。
「トリート・アンド・トリート」
 トリック・アンド・トリックが種と仕掛けなら、トリート・アンド・トリートは。
「二人分何か取ってこいって?」
「降りるの面倒だからな。パイか何かがいい」
 お菓子を寄越せ、二人分。
「静香は? パイ?」
「あ、ええと、うん。海馬さんと一緒で」
 取ってきたらそれ返してよね、と言い置いて、仮面が無くなってますますなんの仮装だか判らなくなったモクバ君がビュッフェテーブルの方へ歩いて行く。
「すっかり海馬君の使い魔だねぇ」
「ハロウィンだからな」
 ご機嫌で仮面を顔に被せながら海馬さんは笑うけれど。それって、ハロウィンに限らず割といつものことじゃないかしら?


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 2008ハロウィンドミネーゼ(大人モク瀬人)編。5D'sの宙に浮かんで消えたり出たりするタッチパネルを見てたらソリッドビジョンへの夢が募りました。
 話の中で瀬人とモクバが着てた服は去年のハロウィンに描いた絵で着てるやつです。