クリスマス・キャロル その18
 太陽のような幻影は、厳かに、光を振り撒きながら近付いてきた。すると、それは鳥のような翼を持っていることが分かった。それは、やはり決闘の札に描かれた神の一体であった。この神は、決闘では特別の効果を持った神であった。ここでもそうだろうと瀬人は思った。
「第三の神だな。第一の神は過去を、第二の神は現在を見せた。では、次は未来を見せるか?」
 神は答えなかった。黙って、翼を羽ばたかせた。その風が通り過ぎた時、瀬人の周囲にはオフィス街の風景が湧き出ていた。
「いやはや、呆気の無い」
 中年の、スーツを着た男がそう言った。男の周りには似たような格好の男女が集まっていた。よく見れば彼らは皆手に珈琲の紙コップを持っていた。セルフサービスのカフェで偶々出くわした人々が話をしていると言うのは別段珍しい光景ではない。瀬人がそれをすることは少なかったが、全く無いというわけでもなかった。そういう場での雑談が取引や企画に発展することも間々あるのだった。
「や、詳しいことは知りませんがね。ただ、呆気無い最期だったと聞いただけで」
「昨日だったそうじゃないですか。あの人ばかりは永劫死にそうにも無いものだと思っていましたが。憎まれっ子世にはばかるという言葉もある」
 はは、と人々が笑った。ともかく、と一人が笑いを抑えるようにして言った。
「権利だのなんだのはどこへ行くのでしょうねぇ」
「どこへも行かないんじゃないか。あそこは親族経営だろう。わざわざ手続きをしてまで他に渡すような相手がいるとは聞かないよ」
 一同はまた笑い声を上げた。
「身内も少ない、付き合いのある相手もいないとなっては、きっと淋しいお葬式だろうね」
「顔でも出してみようか? 考えてみれば、私は彼と非常に親しい部類の人間だったと言えるかもしれんよ。何しろ、こういうところで会えば、挨拶程度は欠かさなかったのだから。――ああ、休憩時間が終わる。では、私は自社に戻りますよ」
 一人が紙コップをゴミ箱に放り込みながら言い、他にも同じようにするものが出て、人々は散り散りになっていった。
 彼らを瀬人は多分知っていた。何故多分かといえば、それらの顔に瀬人は覚えがあったが、瀬人が本当に知ってる彼らの顔は見たより幾分若いものだったからである。その彼らの横を擦り抜け、神が正しく鳥のように飛び立ったので、瀬人はそれを追い掛けた。



クリスマス・キャロル その19
「ああ、清々した! 清々したよ!」
 次に瀬人が見せられたのは、どこか病院の中らしかった。医者が、執刀器具を片付けながらそう叫んでいた。傍にいた別の医者も頷いて彼に同意を示す。
「しかし、良かったんですかね。勝手に臓器を取ったりしてしまって。提供カード無かったんでしょう」
「構うものか、ばれやしないよ。誰がそんなに注意深くあの人の遺体に瑕疵が無いか見るっていうんだ」
 器具をすっかり片付けてしまった医者が、欠伸をしながら白衣をはたいた。
「それに、あんな人でも他人を幸せな気分にさせられるのだから、これまでの罪滅ぼしの機会を作ってやった私に、むしろ感謝して欲しいくらいさ」
 違いないともう一人が笑った。瀬人が顔を顰める。だが、瀬人の姿は例によって人々には見えていない。
「不快だ。実に不快だ」
 言った瀬人に、鳥の神はもう一度羽ばたきで風を送った。瀬人はその場から連れ出されたが、しかし、それは見ているのを不快だといった彼への親切心ではなかった。風がやんだ時、彼らは町外れに立っていた。彼らの目の前には鉄の門と、その奥に、夥しい石の群れがあった。
 墓場。瀬人は薄々勘付いていたが、先ほどの憐れな死者はこの土の下に眠っていて、彼は今からその墓石に刻まれた名前を見ることになるのだった。鳥の神は鉄門の上を飛んでいったが、彼はそれを開け歩いて神を追った。
「一つ聞きたい」
 鳥の神が止まった石からまだ少し離れた位置で、瀬人は言った。
「この世界は確たる未来か? それとも、予測図に過ぎないものか?」
 神は答えなかった。この神は非常な無口であった。そして、問いながら、瀬人も返答を期待していたのではなかった。彼は元々運命論者ではなかったし、たとえ確たる未来だという返答があったとしても、見せられた未来ごときに従う気は無かった。
「人の行く道は人自身が定めるべきであって、運命だの神の力だのに定められてそれをよしとするのは愚かもののすることだ」
 神は依然として何も言わない。瀬人はその黄金の鳥が羽を休める石に近付いた。そして嘴が指し示しているようにも見えるところに視線を向けて、冷たい色の石の上に、海馬瀬人、という自らの名を読んだ。
「解りきった答だったな」
 彼は墓石の上の神を見上げて言った。
「古代エジプトにおいて、再生復活のためには臓器の保存も必要だった。それを古代人のように信じているわけではないが……信じる信じない以前に、どうでもいい話だ。オレはあのような最期は迎えん。臓器をどうこうするにしても、無断で摘出され、代わりとなるような詰めものもされず、そしてそれに誰も気付かないようなことにだけはならん」
 やはり何も言わないまま、神はひと羽ばたきして墓石から足を離した。黄金の鳥は羽を身体に引き寄せて丸くなり、見る間に実際の球体になって、天体が終わりを迎えた時のように暗くなりながら縮み、ついには消えてしまった。



クリスマス・キャロル その20
 そして、瀬人が目覚めたのは彼の寝台であった。夢を見ていたかのように、間違い無く、彼自身の寝台であった。また、今や時間という概念も彼自身の許へ戻ってきていた。天蓋の外はカーテンの隙間から差し込んでくる光で明るく、朝を迎えていた。瀬人が部屋の時計を見ると、時計の針は十時を少し過ぎたところにあった。普段の彼からすれば非常な寝坊だが、休日の朝にはうってつけの時間である。
「亡霊め。何が次に会う時はお互い鎖の無い状態で、だ。妙なものばかり見せおって」
 寝台を出て、身支度をしながら、瀬人はぶつぶつと文句を言っていた。だが、その声からは、これら不思議な現象が起きる前の陰鬱さがすっかり取り除かれていた。準備が済むと彼は部屋を出、階段を降り、玄関ホールへ向かった。ホールには数人の女中がいて、床をぴかぴかに磨いていた。
「今日は何日だ?」
 瀬人が問うと、驚いた様子で女中は、今日、と手のひらに隠した下で小さく叫んだ。
「何日も何も、二十五日、クリスマスではありませんか」
「クリスマスか」
 なんでもないように言いながら、心の中で、瀬人は胸を撫で下ろした。クリスマス。クリスマスだ。三度の十二時を迎えたが日付は一度しか進んでいない。初めにアテムが言い置いていった通りに!
「どちらへ?」
「少し出てくる。あぁ、そういえば、モクバはどうした?」
「お出掛けになっていらっしゃいます。今日のパーティに呼ぶ方々を直接迎えに行くのだとか。昼にはお客様とお戻りになると」
 女中の答に瀬人は非常に満足した。それは昨日聞いていた話とも、先ほど見せられていた幻影とも辻褄が合っていた。彼はコートを着せられ、マフラーを渡され、防寒の対策を存分に施されて外へ出た。



クリスマス・キャロル その21
 通りは、行事好きの家々がそれぞれに施す門戸や庭の飾り付けでクリスマスの空気に溢れていた。緩やかな坂を下っていくと、中腹ほどにバス停があって、ちょうどバスがやってきていたところだった。そして、珍しくも、瀬人はそれに乗り込んだ。普段は運転手付きの車が彼の主な交通手段である。乗り合わせた中で彼を知る人々は、一様におかしな顔をした。
 バスは、遠くまで行く路線のものだった。ごとごとと揺られながら、瀬人は窓の外を眺めていた。住宅の様子がしだいに移り変わっていくのを、面白く思った。その終点で無いところで彼は降りた。
「確か、こちらだった筈だが……」
 少し歩くと、景色は僅かに見覚えのあるものになった。辺り一帯は再開発地区なのだったが、そこは元の建造物を残したままにされているようだった。通りを歩いていくと、突き当たりに、かつて瀬人のいた施設が見えた。
「どうした」
 彼は塀の傍にしゃがみ込んで泣いている子供たちに声を掛けた。一番端にいた子供が、瀬人を見上げてぐずりと鼻を啜った。
「サンタクロースが来なかったんだ」
「皆いい子にしてたのに。普通のおうちじゃないからサンタさんに忘れられちゃったんだ」
 それを聞いて彼が吐いた嘘は、間違い無く、これまで彼が吐いた中で最上の嘘だったろう。
「近頃はいい子が増えて、サンタも一日ではプレゼントを配りきれず、二十四の晩と二十五の晩に分けてプレゼントを配っているらしいぞ。今朝プレゼントが見付からなかったのなら、明日の朝に届いているのではないか?」
「本当に?」
 小さな子供の集団は途端に元気になって飛び上がった。他の子供たちにも教えてやろうと集団は施設の中に駆け込んでいった。何ごとかと庭に出てきた大人に瀬人は声を掛けた。
「ここの職員か?」
 彼女がはいと頷いたので、瀬人は続けて彼がいた頃の園長の名前を告げ、その人がいないかと聞いてみた。すると、幸いにも彼女はまだここの園長であった。先の職員が呼びにいって、暫くすると一人の老女が出てきた。彼女は瀬人を見て驚いた顔をした。
「長い間そうすることを忘れていましたが。世話になった恩を返したいと思った時、ここでは誰に話を通せば良いのですか」
 彼はそう言ってから、解り辛かったかと思って、直截な言葉で同じ内容の言葉を繰り返した。
「寄付の受付窓口はどちらに?」
 老女は一層驚いた顔になって彼にそれを説明した。クリスマスの奇跡だと彼女が謝辞を述べるのを遮って、クリスマスといえば、と瀬人はコートの内ポケットから革の財布を取り出した。
「取り急ぎ、サンタクロースにこれを」
 入っていた紙幣を数枚抜き取り瀬人は言った。そして、できれば我が社の製品を宜しく、と付け足した。彼は、彼が彼の会社の経営を始める切っ掛けになった気持ちを思い出していた。彼の会社は玩具会社である。それは子供を喜ばせるためにあるものだ。



クリスマス・キャロル その22
 施設を出ると、瀬人は再びバスに乗った。彼はそれで屋敷の傍まで帰るつもりだったが、窓から風景を眺めている内、ふと思い付いてまだ幾つか停留所を残したところでそれを降りてしまった。
「メリークリスマス! チキンはいかが!」
 彼が降りたのはクリスマスの特設マーケットの前だった。賑やかで華やかな空間に彼は足を踏み入れた。チキンやオードブル、ケーキ、アルコール、ちょっとした雑貨、様々なものがそこで売られていた。それらはパーティの手土産には最適だろうと思われた。
「シャンパンはいかが。ワインもあるよ」
 呼び込みに釣られるようにして瀬人が木箱に詰まれたボトルに視線を向ける。その中の一本が彼の目を引いた。
 シャンパンでもワインでも良さそうなものはたくさんあった。知った銘柄もあった。だが瀬人はそのどれでもなく、ただ目を引かれたラベルのボトルを手に取った。特別な手土産にするには些か安価で、飲んだことも無ければ味の予測も付かなかったが、その古代エジプトを思わせるピラミッドと眼のようなデザインのラベルは今日自分が買うには尤も相応しいだろうと彼は思った。
「そちらで?」
 美味ければ儲けものであるし、不味くても、砂糖やスパイスで味を調えグリューヴァインにして飲んでしまえばいいのだ。瀬人はボトルを店員に渡した。会計を済ませ、クリスマス風にデザインされたワインバッグを受け取って、帰路に着いた。彼の屋敷へ、屋敷の娯楽室へ、向かうことにした。
 どこかから、クリスマス・キャロルの演奏が聞こえてきた。それを聞きながら、瀬人はふと浮かんだ考えに一人小さく口角を緩めた。彼はどこかしら幸せそうであった。そして、それは道行く全ての人々と共通した態度であった。彼は思った。
 これはまるであの話、そうだ、あの、今聞こえてくる曲と同じ題目の話のようではないか。昨夜は不思議なことばかりが起きたが、どこからどこまでが真実か解ったものではないが、信じる信じないは別として心に留めておいてやろうではないか。
 まるでクリスマス・キャロルのような奇跡が起きた晩があったと!