クリスマス・キャロル その14
 その音とともに、過去の瀬人の姿は数年分大きくなった。さっき町並みの中にいた彼らは、今度は、赤い絨毯と大きなシャンデリアに飾られた広いパーティ会場に立っていた。彼の顔は、近年のような陰鬱に凍り付いた人相ではなかったが、厭世と貪欲の兆候は既に見え始めていた。
「本日はお招きに預かりまして」
 今よりは幾らか高く若い声がホールに響いた。彼の傍には、先の晩、鎖に繋がれ夜空に這いずっていた人々が立ち並んでいた。彼らとその時なんの話をしていたか、瀬人はすっかり思い出していた。この頃の彼にとって、クリスマスパーティとは商談の場に過ぎなかった。若い彼は、子供の時分の心を綺麗さっぱり失っていた。
「このようなものを見せてどうしようというのだ」
 瀬人は、現在の瀬人は呻くようにして言った。赤い竜の神は、それには答えず、もう一つのクリスマスを見せようという風に音を立てた。また風景が変わって、豪奢なパーティ会場はどこか一般的な家庭の一室に取って代わった。
「メリークリスマス!」
 学生服の集団が、安い菓子類を広げ、缶ジュースで乾杯をしている。その中に彼はいなかった。
「本当は海馬君にも声を掛けたんだけど」
「遊戯も粘るよな。どうせ行かねってんだろ」
「うん、断られちゃった」
 これがいつのクリスマスなのか、彼にははっきりと解った。というのも、そうして学生服を着た同じ年のものたちに誘いを掛けられたのなど、あとにも先にもこれきりだったからだ。
「けど仕方ないんじゃない? 彼にしてみれば、この時期は稼ぎ時だろ」
「そういうお前のトコはいいのかよ?」
「うちは客層が違うからさぁ。子供向けってわけじゃないし、サンタクロースの来店はあまりね」
 一人がそう言った時、先ほどの亡霊に似て非なる姿の少年が宙を見上げた。
「あー、ええとね……一年に一回、クリスマスの日に、寝てる子供の枕元にプレゼントを配る人」
「なんだ、もう一人の方はサンタ知らねぇのか。えっと、そこにいんの?」
「いるよー。表に出るのは交替だけど、急に替わっても話解んないしさ。ああ、違う違う。実在する人じゃなくてね……」
 素朴で賑やかなパーティが瀬人の目の前で進んでいく。彼は、この時、本当に仕事をしていた。だがそれは急ぎではなかったし、夕方か夜からの数時間を自由に使えぬことの理由にするには、幾らも不足があった。そして、もし精緻なプログラムを組む時のように小数点以下の過不足も見逃さずにいたならば、この場に自分がいて、翌年もそのまた翌年も現在に至るまで、自分の失ったものを取り戻す機会を得られていたのかもしれないと思った時、彼の視界は酷く霞んできた。
「帰らせてくれ」
 現実に、と彼は続けた。赤い竜の神は何も言わずじっと彼を見た。視線に耐えかねた瀬人が今もゆったりと巻き付いている神の胴から逃れようとそれを押しやる。するとどうしたことか、神全体が、彼のソリッドビジョンが消える時のように、虹色の光を溢れさせながら砕け散った。
 瀬人は疲れ果て、耐え切れない睡魔を感じた。そして彼は彼の寝台の上にいるのも感じた。これがソリッドビジョンなら電源を切らねばなるまいが、全ては魔法が解けたかのように跡形無かった。彼はよろめいて横になると、光が収まるか収まらないかの内に、深く眠りに陥ってしまった。



クリスマス・キャロル その15
 泥のような眠りの最中にふと目を覚まし、完全に覚醒してしまおうと上体を起こしながら、瀬人は誰に聞くでも時計を見るでもなく、広間の鐘がまた十二時を知らせるところであると分かった。あの自称エジプト王の斡旋でやってくる神と会議を執り行おうというには随分際どい時間に目覚めたものだと、彼は心の中思う。今度の神もやってくれば勝手に天蓋が開くような事態になるのだろうかと、考え出すとどうにも気味が悪く、彼は自分で垂れ下がる布の幕をすっかり開ききった。それから、寒さに掛け布を引き寄せて、じっと神の出現を待った。
 いざ十二の鐘が鳴らされると、ところが、神は現れなかった。十分待ち、二十分待ち、瀬人はしだいに不安に包まれてきた。彼は神の出現にはそなえ、覚悟していたが、それ故、何も現れないことに不意を突かれていた。
 三十分待って、彼はあることに気が付いた。部屋の戸の向こうから差してくる光の筋は、夜間照明のそれより幾らも明るかった。この怪しい光の本体を検めるべく、瀬人は起き上がり、扉を開けた。開けたところには何も無かったが、光は広間の方角から一層強く溢れてきていた。彼はそろりと歩き出した。
 広間にはクリスマスツリーが立てられていたが、彼はそれに見覚えが無かった。そして、その大きな高天井にさえ届きそうなツリーと同じくらいの身の丈の神になど、もっと見覚えが無かった。いや、正確には、神の姿には見覚えがあった。神がそこにいるという状況に覚えが無かった。
「第二の神か」
 彼が問うと巨神がゆっくり頷いた。いかにも、と、またあの不思議な音で彼に話し掛けた。
「私は今を見せよう。今年のクリスマスを見せよう」
 たちまち広間のシャンデリアが灯り、どこからか、彼の女中たちが現れた。
「見えていないのか?」
 最初の神に過去へ連れて行かれた時のことを思って、瀬人はそう尋ねた。巨神が、見えていない、と鸚鵡返しに答える。女中たちはそれらの遣り取りを全く意に介せぬ様子で動き回っていた。彼女らは、ワゴンを押したりブラシを掛けたり忙しくしていたが、暫くすると全部どこかへ仕舞ってしまって、綺麗に足をそろえた二列に並んだ。
「ああ寒かった!」
 玄関扉が開き、ホールへ集団が飛び込んできた。先頭を切っていたのは瀬人の弟だったが、その後ろの面々も彼は知っていた。それは先ほど過去のクリスマスで学生服を着ていたものたちであったし、内一人については、イヴの夕方に工場でクリスマスの休暇の訴えを持ってきた男でもあった。
「あとからもうちょっと来るから。そしたら娯楽室の方に通してくれる?」
「かしこまりました」
 一人の女中が頭を下げる。
「何、もうちょっとって誰くんの?」
「大学の奴ら。お前ら生で見てみたいって言うからさぁ」
「お、何、もしかして可愛い女の子きたりとか?」
「来るけど決闘ジャンキーの遊戯ファンだぜ。友だちとしてはいい奴だけど口説くのはおすすめしない」
 一団が騒ぎながら娯楽室に向かうのを見送っていると、神の巨大な手が瀬人の背を押した。付いて行って見ろと言うのだった。瀬人は気が進まなかったが、抗うには、その手は大き過ぎた。



クリスマス・キャロル その16
 娯楽室へ移った人々はそこへ用意されていた暖かな飲みものに喜んで手を付けた。人々は湯気を立てるグリューヴァインのカップを両手に包み、その香気を存分に吸い込んだ。シナモンや柑橘類のピールの清々しさと、砂糖や林檎の甘さが混ざり合った、アルコールの蒸気が、彼らを良い気分にさせる。
「こういうの飲むとクリスマスなんだって思うわ」
「今日は皆揃えて良かったよ。城之内君は無理かもって言ってたけど、なんとかなったんだ?」
「なんとか。本当になんとか、な。しこたま嫌味を言われたぜ」
 瀬人の工場の作業員だった一人が溜息混じりに言った。
「クリスマスの土曜に、急にだぜ、工場稼動させろなんて言う奴がいるかよ。ここにも来やしねぇし、おもちゃ会社なんてやってるくせ、クリスマスを楽しみにしてる人間の気持ちをこれっぽっちも理解してねぇのはどうなんだよ」
 その場の全員が困ったように顔を見合わせた。その中で、作業員の彼は手にしていたコップを高く掲げた。
「あの情緒の欠片も無い野郎がもったいぶって休みにしてくれたクリスマスに乾杯!」
「おいおい。モクバの前でそんな言い方すんなって」
「んだよ、ここに来ねぇってことはモクバの誘いだって断ってんだろ。モクバだって怒っていいトコじゃねぇの」
 水を向けられた瀬人の弟が肩を竦める。
「兄サマは、クリスマスなんて馬鹿らしいってさ。そういう風に思ってるんだ。確かにあちらこちらから下らないパーティの誘いが来るのもクリスマスならではの行事だけど」
「だからって、自宅でやるパーティまで馬鹿らしいなんて言うのは良くないわ」
 と、今のところ紅一点の客人が腹立たしげに息を吐いた。こういう女性方は、愛すべきかな、中途半端など許さぬほどに、いつでも大真面目である。
 彼女は非常に可愛らしかった。紅一点の彼女が誰の夫人でも無いことが不思議なくらいに――尤も、代わりに彼女と彼らは非常な友情に結ばれているのだが――可愛らしかった。怒りに膨らませた頬は林檎のようで、尖らせた唇は花びらのような、愛らしい女性であった。快活で、晴れやかな気性の女性だった。しかし世話女房的な、もしも彼女が誰かの夫人になることがあったとすればたちまち夫を尻に敷いてしまうだろうような、どこまでも世話女房的な女性であった。
「まあ、良くはないんだろうけど」
 瀬人の弟は言った。
「怒ればいいのよ。我慢すること無いわ」
 周りの男たちも二、三頷いた。
「我慢してるってわけでも無いんだよ。来て欲しいとは思うけどね。怒ろうにもさ、兄サマがああだってことで大層な目に遭ってるのは兄サマ自身だもの。例えば、兄サマはなんらかの理由でここに来たく無いと思った。大方、馴れ合いは御免だとか、そんなことだろうと思うよ。で、その結果は? オレたちはこうしてパーティを開いて今も美味しいグリューヴァインなんかを飲んでる。当初の予定と変わりなく」
「今日のご馳走にあり付けないのは海馬君の方だってこと?」
「それだけでは無いとも思うけど、とても解りやすく言うならそういうことだよ」
 瀬人の弟は残っていたグリューヴァインを飲んでしまうとコップを置いて言った。
「つまり、兄サマがこういう集まりを嫌って、ここに来ない結果はさ。オレが思うには、兄サマに全く不利益をもたらさない快適で愉快な時間を兄サマが失ったということなんだ。こういうのが嫌いだって言うなら、無理矢理引っ張ってきたりまではしないよ。だけど勿体無いよね。こういう場に来てみる前から自分はこういうのを嫌いなんだって決め付けてるのは」
 それは全くなことだった。あの世話好きの女性も納得顔で頷く。
「だから、オレは毎年誘うんだよ。ひょっとすると兄サマは死ぬまでクリスマスなんて馬鹿らしいって言ってるかもしれない。けど、何の拍子にちょっと顔を出してみようかって気になって、その上パーティを楽しむなんてことになってくれるか分からないからさ。パーティをするからどう? ってね。それで、ちょっとでもクリスマスを楽しむ気になって、城之内が訴えるまでも無くクリスマスの土曜日は工場を閉めて当たり前だって思うようになればさ」
 瀬人の弟はそう言うと、ちょっとの間を置いて、もしかすると今日だってこれからここにやってくるかもしれない、と付け足した。他の面々がまさかと笑って彼の開いたコップにヴァインを継ぎ足す。それから彼らはゲームなぞをやって他の参加者が来るまでの暇潰しを始めた。



クリスマス・キャロル その17
 それから瀬人はまた別な場所へ連れて行かれた。彼の弟たちのパーティを終わりまで見ることは無かったが、別なパーティをたくさん見せられた。神は彼を本当にあちこちに連れ回したので、瀬人は不思議な気分になった。というのも、瀬人が過ごした時間は明らかに何時間にも渡っていたのに、どのパーティもいまだ終わる気配が無いところに彼は到着していたのである。まるで同じ時間を別な場所で繰り返し過ごしているようだった。
「そろそろ一日が終わる。私は去ろう。次が待っているだろうから」
 神が音で囁き掛けてきた。それで、瀬人はもう二十四時間も人のパーティばかりを見させられてきたのかということに気が付いた。そして、自分の不思議に思った感覚がやはり間違いでなかったことも確信した。
 パーティの様子を見ていた瀬人が振り返ると、神はいつの間にか二体のトークンのようなものを携えていた。決闘においては二体の生贄を得て強力な攻撃を繰り出す神だが、こうして現れた神も同じようなことをするのだろうか? 疑問に思った瀬人が問うと、神は頷いて答えた。
「これらは結界でなく人の作り出したトークンである」
 なるほど、それらは人の形をしている。しかし、ただ人と言うよりは、いかにも不幸な人の形をしていた。二体のトークンは、寒い冬の日だというのに薄い襤褸のような服しか着ていなかった。そして、痩せた腕で、片方は頭を、片方は腹を抱えていた。
「これは無知である。こちらは欠乏である。そしてこれらを得て私が行う攻撃の名は滅亡である」
「無知と欠乏が滅亡を招くと?」
 いかにもと巨神は重々しい音を立て空気を震わせた。
「何か、無知と欠乏を補うものは無いのか」
 瀬人が問う。
「公共の支援所は無いのでしたか」
 神は瀬人が前の夕方に言ったことを繰り返した。そして二体のトークンを抱えながらもう一度音を立てた。
「民間の炊き出しは、あれは今年も? 社会保障の、なんでしたか、あの法も充分に活用されていると?」
 十二時の鐘の一つ目が打ち鳴らされた。
 瀬人は辺りを見回して巨神を探したが、それはすっかり消え失せてしまっていた。十二の鐘の最後の一つが鳴った時、彼はエジプト王の霊が言ったことを思い出した。そして、闇の中を飛ぶ太陽のように明るい幻影が近付いてくるのを見た。