クリスマス・キャロル その10
「それで、オレの存在を信じる気にはなったか?」
「馬鹿な。こんなものは幻覚だ。幻聴だ。或いは寝しなの夢だ。疲れて意識が混濁しているのをいいことに、脳が記憶の引き出しを好き勝手開け放っているのだ」
「お前にこの姿であったことは無かったと思うんだがな。どこの記憶の引き出しが開いたって?」
 アテムが肩を竦める。百歩譲って、と瀬人が低めた声を出した。
「百歩譲って、貴様が霊だとかなんだとかのオカルト現象だとして、なんの理由でオレのところへやってくるのだ」
「それはお前が仕方の無い奴だからだぜ」
 霊が言った。瀬人が眉を顰める。
「仕方の無い奴じゃないか。オレがあれだけ言ってやったのに。あの頃少しは真っ当になってたと思ったんだが、また逆戻りしてるみたいに見えるぜ。……もう一回心を砕いてやろうか?」
「遠慮する」
 アテムの霊を睨み付けるようにして瀬人は言った。
「あれから何年経ったと思っている? 十年だ。貴様の言葉が無力化するには充分過ぎる年数だ。貴様が冥界とやらでのうのうとしている間に、こちらは様々なことを味わってきたのだ」
 嫌味たらしく瀬人が言うと、十年か、とアテムが繰り返した。
「随分経ってたみたいだな。太陽の航行が無い世界にいると日付感覚が狂うぜ。そうか。十年か」
 がちゃがちゃと、彼は腰の周りの鎖を引っ張って見せた。これの重さが時間を取らせたのだと、そう言いたいのかと思われるような様子だった。
「まあいい。お前に教えてやりたくてな。人生って言うのは、オレたちが思っていたほどゲームのようではなかったぜ、ってことを。死んだからって何もかもがリセットされるわけじゃない。楽園に行き損ねるとな、生きてる間にしたことを引き摺って歩く羽目になるんだぜ」
「死んでまで説教か」
「説教に聞こえるのはお前に心当たりがあるからだ。自分が楽園に行けるようないい人間じゃないって心当たりがな」
「戯言を。貴様に何が解る。さっさとゲームを降りた貴様に、その後を生きた人間のことなど解るものか」
 瀬人が不快そうに眉を寄せ、それにしても、と薄い笑いとともに言葉を吐き出した。
「散々オレに説教をしていった貴様に鎖が絡み付いているというのは、些か皮肉な様相ではないか」
「人に説教できるほどになったから、この程度の鎖で済んでるんだぜ。内乱を呼び国を滅ぼした王としちゃ短い方だ」
 先に見た通り、アテムが引き摺っているのは彼の国のものと思しきものばかりであった。瀬人と同時代に生きた分は、そこに括り付けられていない。
「さっき、何が解るって言ったな。解るさ。少なくとも、お前のこれはオレのよりずっと長くて思いんだろうってことが、オレには解るぜ」



クリスマス・キャロル その11
 瀬人は思わず自分の腰と床を見たが、しかしそこには何も見当たらなかった。
「まあ、お前の言いたいことも解るぜ。祭事は面倒だったし、夕方の客はオレの目から見ても胡散臭かった。貧しい村に救援物資を送ってやったつもりが途中の輸送役に横領されてた、なんて昔からよくあることだ。工場だって、生産が遅れてなきゃ普通に休みだったんだろうしな」
「解っているなら、それこそ何を言いにきたというのだ」
「やり方を考えろってことだ。オレにはお前の言いたいことも解るけどな、だからってそれをそのまま行動に移してたんじゃ、こうなるぜ」
 アテムは再び鎖を鳴らした。がちゃがちゃと耳障りな音が部屋の中に木霊した。
「お前はオレより長く生きる分、鎖もずっと長くなってくんだろうさ。楽園ばかりが冥界じゃない。悪鬼としてさ迷うのも、身軽ならそれなりに楽しいだろう。だが、鎖の重さで身動きが取れない奴らは、見てると憐れになる」
 同情など不快なだけだ。瀬人は常時のようにそう言おうとしたが、慌てて口を噤んだ。それを言ってしまっては、霊の言う下らない話を認めるのと同じだった。実際、瀬人はもうこの霊の存在を信じていたのだが、彼の意地がそれを言わせなかった。
「オレがどうしてここにいるのか、それは説明できないが、代わりに説明できることが一つある」
 小さな椅子の上で足を組み替え、アテムが言った。
「オレは、今晩ここへ、お前にはまだ鎖を短くする、更には消す機会も望みもあるということを教えに来てやったんだ。つまり、十年掛かってたらしいが、オレが神々を締め上げて調べた、機会と望みがあるわけさ」
「そんなことをしているから貴様の鎖は重いのではないのか?」
「自分の鎖をどうにかできないかはこれからまた調べるぜ。こっちの時間は永遠にあるからな」
「自分をあと回しにして他人の救済か。かつての、ご大層な友情ごっこを思い出すぞ。そんな情はあのオトモダチ連中のところででも発揮すればよかろう」
「オレとしては、お前も友人の一人だったと思いたいんだが」
 霊はちょいと肩を竦めて言葉を継いだ。
「ともかく、お前はこれから、三体の神の訪問を受けることになるぜ」
「それが貴様の言う機会と望みとやらか」
「そうだ。十二時になったら第一の神が、次の晩の十二時に第二の神が、その次の晩の十二時に第三の神が来るぜ」
 面倒な、と瀬人が呟いた。霊がまた肩を竦める。
「一度に纏めて来い。毎晩時間を取るなどできるか。こちらは霊と違って暇ではないのだ」
「そこら辺は安心しろ。神ってのは時をかけるものだ。実質全ては一晩で終わる。一晩の内に、お前には三回の十二時があったように感じられるだろう」
 アテムが椅子から立ち上がった。鎖が重い音を立てて床の上を這いずった。
「じゃあな。この世界で会うことはもう無いだろうが、この次に冥界で会う時には、お互い鎖の無い状態で会えるのを願ってるぜ。それから、お前が友人程度にはオレのことを思ってくれるってのもな」
 霊は窓辺に歩いていき、ガラスを擦り抜けて、背中から夜空に飛び込んだ。瀬人が思わず窓辺に寄ると、ガラスの向こうには、今しがた落ちていった彼以外にも、同じような鎖を巻き付けたものが漂っていた。漂って――否、彼らは見えない大地の上を歩いているかのようであった。或いは、鎖の重さに這い蹲っているようであった。中には一人二人が同じに鎖に縛られているものもいた。だが、一人として、鎖に縛られていないものはいなかった。存命中、瀬人と関わりがあったものも大勢いた。瀬人は、赤いスーツを着て素晴らしく大きな金庫やミサイル弾を引き摺った中年と初老の間の男とは、生前随分な因縁を持っていた。五人ばかり一緒くたに鎖を巻かれているのは、瀬人のかつての部下であった。その傍の、美しい女とともに縛られた若い銀髪の男にも瀬人は見覚えがあった。その瀬人よりも若い、かつては年嵩だった男は、愛する女を自らの業に巻き込んでしまったというので泣き喚いていた。彼らの不幸は、彼らが悔い改めようとしていて、しかし永久にその機会を失ったということに端を発していた。
 そして、それらに何が起こったのか、瀬人には解らなかった。だが、その全ては、彼の瞬きの合間に消えてしまった。
 瀬人は窓から離れた。天蓋の留金を検めた。それはいつも通りに、何事も無く、天蓋の布を押さえていた。彼はいつもの調子で馬鹿馬鹿しいと言おうとしてやめた。そして、この奇妙な現象を体験したためか、それとも仕事疲れか、或いは死後の世界などを覗き見たためか、はたまた単に時間が遅いからかは解らないが、非常に休息を必要と感じたので、すぐさま寝台に戻って目を閉じた。



クリスマス・キャロル その12
 瀬人が目を覚ました時、天蓋の隙間から覗いた外は、壁と窓の区別が殆ど付かないくらいに暗かった。彼は獲物を狩るシルバーフォングのように慎重に、闇を見渡そうと視線を巡らせていた。折りしも、広間の方から、扉や壁を隔て微かに、大時計の鐘が聞こえてきた。彼は鐘を聞こうと耳を澄ませた。
 驚くべきことに、鐘は六つ七つと続けて打たれ、更に八つ、九つも打たれた。そして、ちょうど十二を打ってぴたりとやんだ。十二時だった。彼が寝台に潜り直したのは殆ど十二時に近かった。時計が狂っているに違いなかった。あまりの寒さに、時計の内部が霜にやられでもしたに違いなかった。何故なら、鐘は十二打たれたのだから。
 彼は正確な時間を知ろうと部屋の小さな時計に目を向けた。その小さな長針と短針は、十二の上で仲良く重なり合っていた。
「どういうことだ」
 瀬人は呆然と声を上げた。しっかりと眠ったつもりだった。しっかりと、数分や数十分ではきかないほど眠った感覚がある。
「丸一日寝過ごして次の晩になったなど、あり得る筈が無い。二十四時間も寝ては背骨も痛むだろうし、第一使用人の誰も起こしに来ないなど。だが、太陽に異変が起きてこの闇が昼だというのも、もっとあり得る筈が無いだろう」
 だが万が一にもそんなことになっていたのであれば大変であるので、彼は寝台から起き出して、手探りで窓のところまで行った。外を見れば、そこは非常に暗く、靄も立ち込めていて、そして太陽がどうかしたと大騒ぎをする人々の声などは一切無い空間であった。彼は非常に安心をした。というのも、もし太陽が夜に飲み込まれるようなことがあったなら、彼の太陽光発電所は単なる奇妙な板の陳列所に過ぎなくなってしまっただろうと思われたからである。
 両方の時計が狂ったか、或いはアテムの霊に会ったのも何もかも夢で、本当に眠ったのはもっと早い時間だったのか、そのようなところだろうと考えて瀬人は再び寝台に入った。些か不気味な思いをしながらも横になり、時が過ぎるのを待った。霊は十二時だといった。何ごとも起きない。が、彼がいよいよ安堵の息を吐き出したその瞬間に、大きな雷鳴が轟き、そして霊が来た時と同じように、何か近付いてくる気配が部屋に充満した。
 彼の寝台の天蓋は、敢えて断言するが、しっかりと閉められていた。それが、勝手に開いて、瀬人とその第一の訪問者の顔を突き合わさせた。ちょうど今、書き手の視点が読み手に近付いているのと同じくらいに接近して。そして、この視点は精神的には読み手に非常に近しく定められているのである。
 それは、部屋に合わせたか幾分縮んだ姿で、とぐろを巻き浮かんでいる赤い竜であった。三体の神と聞いた時に予感もしていたが、まさか本当にこの神だとは! 神は、決闘においてそう呼ばれる、札に描かれた魔物の一体であった。このもの言わぬ神から何を聞けというのだろうか。もしや、もの言わぬのは決闘の札としてある時だけで、こうして現れた時には人のように話をするようになるのだろうか。
「お前が第一の神なのか」
 さよう、と、低く静かな声が聞こえた。否、瀬人の心臓はそのような意味だと理解したが、実際、耳に届いた音はもっと別な何かであった。傍から発せられたというより骨を直接震わされたように、おかしな低さの音だった。



クリスマス・キャロル その13
「私は時をかけよう。そなたに過去を見せよう」
 低い音が、瀬人の心臓にそう語りかけた。赤い竜の神はその長い身体で瀬人を巻き取ると、何ごとか得体の知れない力で壁を突き抜け、左右に点々と家の並ぶ住宅街の道に出た。そこにある筈の瀬人の屋敷の庭はすっかりと消え失せた。痕跡すらも残っていなかった。暗闇も靄もともに消えてしまった。それは雪のちらつく、それでいて晴れた、冷たい、冬の日中であった。
「これは」
 瀬人は周囲を見回して、驚きに目を見開いた。それは子供の頃の一時期を過ごした町だった。再開発で疾うに消えた筈の町並みだった。神は彼を地面に下ろすと巻き付けていた胴体をそっと外した。その緩やかな動作は、極自然に行われたが、瀬人の触覚にまざまざと訴え掛けるものを持っていた。瀬人は空気中に漂う様々な香気に気が付いた。そして、その香りの一つ一つは、彼が失っていた考えや希望、喜び、配慮と結び付いていた。
 瀬人は道に沿って歩き出した。家々の門にも、等間隔に並ぶ電柱や街路樹にも、何もかも見覚えがあった。走ってきた子供たちにも、擦れ違う大人にも、覚えがあった。
「これらは昔あったことの再現に過ぎない。故に、我々には彼らが見えるが彼らに我々は見えない」
 低い音が瀬人にそう伝えた。だから瀬人は安心して感傷に浸った。それぞれの戸口には柊のリースや電飾が飾られていて、彼がここに住んでいたより更にもっと子供だった頃には彼の家もそうだったことを思い出させた。その頃の彼は、クリスマスを馬鹿馬鹿しいなどと言わず、サンタクロースの訪れを楽しみに待っていた。そしてこの頃はどうだったろうかということを彼は思い出そうとした。
「あぁ、そうか」
 瀬人は通りの向こうの公園を見て呟いた。真新しい玩具の車を走り回らせる小さな子供の傍で、それより少し大きな子供が土管に座って本を読んでいた。あれらは彼らに与えられたクリスマスのプレゼントだった。彼らの暮らす児童施設で、クリスマスの朝、枕元に置かれていたプレゼントだった。
「自分のいたところにくらい、支援をしても良かった」
 あの施設はどうなっただろうか。思った瀬人の身体に、再び赤い竜の胴体が巻き付いた。他のクリスマスも見るといい、と、骨を震わす音が言った。