クリスマス・キャロル その6
 その間にも靄と闇はいよいよ深まったので、幾らかの作業員はラインを離れてバス停へ向かったものだった。工場の時計はとっくに六時のベルを鳴らしていた。大通りからはクリスマス特有の騒がしさが聞こえてきている。ケーキや鶏肉、或いはシャンパンを売ろうとする店の呼び込みや、無意味に流されるクリスマスソングで通りは溢れ返っていた。普段粛々と行われている筈の売買取引が、この日ばかりは見世もののような様相でいるに違いなかった。
 靄の酷さに寒さも加わってきた。冷気は一層突き刺すようになった。とうとう、工場の閉じる時刻がやってきた。嫌々ながら瀬人は椅子を降りて、工場が閉じられる事実に暗黙の承認を行った。先ほどの作業員が、今度こそタイミングを逃すまいと早速やってきた。
「話があるなら工場長を通せ」
「知り合いの方がまだ頼みやすいんじゃないかって、その工場長の期待を受けて話に来たんだけどな」
 瀬人が片眉を吊り上げる。品行方正とは言い難い金髪の作業員は、所謂かつての同級生というものであった。
「明日の話か? 明日は丸一日工場を閉めたいと?」
「閉めれんなら。てか土曜じゃねぇか。皆休めるつもりでいたってのに」
「それはそちらの責任だ。納品が遅れている以上、休日を潰して遅れを取り戻すのは契約上の義務だ」
「でも明日はクリスマスじゃねぇか」
 瀬人はその言葉を鼻で笑った。
「そうだな、明日はクリスマスだ。来年の明日も、再来年の明日もな。毎年使うには些か不出来な言いわけだ」
 コートのボタンを留め、部屋を出る準備をしながら瀬人が言う。
「クリスマスを楽しみに思いもしねぇ奴が言ってんじゃねぇよ。さっきの客だって、あんな追い出し方されて可哀想ったらないぜ」
「そう思うのは貴様が馬鹿だからだ。あんな胡散臭い連中に寄付など」
 瀬人はもう一度男を鼻で笑った。
「ともかく、どうしても明日は丸一日工場を閉めたくてならないのだろうな。いいだろう。だが、明後日はいつもより早く工場を開けるようにすることだ」
 それくらいは言われるだろうと工場長にも想定されていたところだったので、作業員はそうするということを了解し、明日の休みの約束を取り付けた。瀬人は不服ながらも事務室を出、迎えを呼んだ。工場は瞬く間に閉じられてしまった。作業員はマフラーと手袋代わりの軍手だけを身に着けて、というのも彼はコートを持っていなかったので、一目散に賑やかなクリスマスの街を駆けていった。



クリスマス・キャロル その7
 瀬人は閉まった工場の代わりに本社に戻り、デスクに置いていた栄養補助食品で陰気な食事を済ませた。届いていたメールをすっかりチェックしてしまって、あとは退屈しのぎにプログラムコードを弄くっていたが、やがて寝に帰った。彼はかつて死んだ当主の部屋の隣室に寝起きしていた。それは元々当主の妻のために――無論妻がいるならばだが――用意された部屋だったが、死人の部屋を使うのも子ども部屋を使うのも気が引け、また妻を持つ予定も無いとなれば、瀬人が当主としてそこを使うのも不自然なことではなかった。内装は些か古い時代の貴婦人趣味を留めていて、天蓋の付いた寝台やレースのカーテン、薄桃の壁がやかましく存在を主張している。靄と霜はレースのカーテンの向こうにどんよりと潜んでいたが、ちょうどそれは天空の神がじっと運命の何たるかを考えながら、赤く長い身体を屋敷に巻き付かせているのかと思われるような様相であった。
 ところで、天蓋の留金は、それが非常に高価なものであるという他には、別段変わったものではなかった。それは事実である。また、瀬人がそれを日々見ていたことも確かである。また、瀬人が決闘者の何人とも、魔術師使い、ゴースト使い、戦士使いなどを全て含めても――とまで言っては少し横暴だが、決闘者の何人とも異なって、超常現象に対する信心を殆ど持っていなかったというのも全くの事実である。また、瀬人は、この日の午後に伝説の決闘者という呼称を耳にしたきり欠片も伝説の片翼であるエジプト王について思いを馳せなかったということも、心に刻んでおいて頂きたい。その上で、瀬人が寝に向かった先の天蓋の留め具を、何をどう変えたというのでもないのにアテムの顔と見たのは何故かと、説明できるものならどなたでも、それを説明して頂きたい。
 アテムの顔。それは古代の王墓で眠るミイラのように閉じた闇の中にあるのではなく、真っ暗な闇のフィールドで六芒星の呪縛に囚われたモンスターのように、不気味な光を纏っていた。その顔は怒ってもいなければ猛ってもいず、その昔彼が決闘で勝ちを決める時にちょっとしていたような様子で、即ち幽霊然とした存在の仕方には合わない類の不敵さで、じっと瀬人を見ていた。頭髪は瀬人の知る奇抜さを残しながらも、それよりは少し髪の束が乱れたようになっていた。顔色、というよりも皮膚の色は、幾分も黒くなっていて、彼が依り代の少年の二重人格ではなくエジプト王の魂だったのだと今更ながらに知らしめている。
 瀬人がよくよく目を凝らせば、それはやはり単なる天蓋の留金であった。彼は常時のようにこのオカルト現象を心内で否定し、常時のように恐れなど無いような様子でいたが、今も実際に恐れを感じていなかったかといえば、そんなことは無かった。だが、彼は怯み後ろに下がっていた足を再び踏み出して、天蓋を捲りその内に入った。
 彼は天蓋を閉める前に、一瞬、手を伸ばすのを躊躇った。そして首を外に出して天蓋の弛みの源を見た。果たして、そこには窓からの微かな星明りを鈍く跳ね返す金の留金一つ以外には何も無かった。瀬人は小さく鼻を鳴らすと、さっと天蓋を閉め切ってしまった。
 衣擦れの音は若い女の悲鳴のように天蓋の内に響き渡った。奇妙に反響までもしてみせたが、瀬人は反響などに怯える性質ではなかった。しっかりと幕を重ねて内を暗くし、掛け布を持ち上げて、身体を横にした。しかも、エンドテーブルに置かれたランプの灯りも消して。



クリスマス・キャロル その8
 皆々様には、三千年も前にあったような戦車が馬に引かれて駆けて行くとでも、或いは、立派に編まれた大きな葦舟が夜の空気に浮かび通過して行くとでも、好きに表現して頂いて構わない。ともかく、ここでは、セキュリティの問題さえクリアすればだが、誰でも三つばかり入れ子になった棺を戦車なり舟なりに乗せて屋敷の玄関を潜り、廊下を進み、部屋に入ることができるし、しかもそこで入れ子をばらして中身を取り出すこともでき、更にはそれらを容易に行うことができるということを書きたいのだ。そうするだけの広さは、彼の屋敷には充分過ぎるほどにあった。それが、瀬人が天蓋の外にまるでそのようなことが実際に行われたかのような気配を感じた原因であろう。
 瀬人はそんなものには少しも構わずに寝台の上で寝心地のいい体勢を探しもぞもぞと足を動かした。だが、いざ目を瞑る前、何ごとも本当に起きていないと確かめるため、彼は細い腕を伸ばして天蓋の幕をほんの少しだけ開いてみた。そうしたくなるほどには、瀬人も闇に浮かんだ顔に覚えがあったのだ。
 窓、壁、床、全てが天蓋を閉める前の通りであった。家具の陰にも何も見当たらなかった。三重棺などどこにも無く、いつも通りの小さな猫足の椅子と円卓があるばかりであった。
 そこで落ち着いて、彼は再び天蓋を閉め切った。うっかり開いてしまわぬように閉じ紐を括り合わせた。それはいつもの動作ではなかったが、彼を非常に安心させた。だが、次には、彼は、馬鹿なと叫ばずにはいられなかった。閉じ紐の結び目の位置に、あの覚えがあるようで無いエジプト王の顔がちらついて見えた。
 飛び起きた彼の耳に、ちゃらちゃらと、何か重い鎖でも引き摺っているかのような音が小さく聞こえてくる。瀬人はかのエジプト王の、彼が言うところの本体が、いつも鎖からぶら下げられていたのを俄かに思い出した。そんなわけがあるかと首を振り、だが、その音がどんどんと近付き、終いに天蓋の幕一枚を隔てたすぐそこまでやってきた時には、彼の顔色も変わらざるを得なかった。触りもしないのに天蓋が開くと、ちょうど「この顔を見よ、知らぬようで知っている、依り代を通さない彼の顔だ」とでも言うように、庭の警備灯の光が窓の正面を一瞬横切っていった。



クリスマス・キャロル その9
 知った顔であった。紛れも無く、見知った顔であった。いや、見知った表情であった。顔貌そのものは、似ていたが、違う顔であった。頬が幾分硬そうになり、皮膚の色も変わっている。いつもの学生服とチョーカーではなく、熱い国の民族衣装のような服と黄金の胸飾りを着けた、古代エジプトの王であった。引き摺られていたのはやはり鎖で、それは彼の腰の辺りに絡み付いていた。長い鎖はちょうど蛇のように床にのたうっている。それは――瀬人はそれをこと細かに観察してみたのだが――二つの冠や、背の高い金の椅子や、同じ眼の意匠を持つ七つの宝具を括り付けていた。アテムの身体は透き通っていて、そうした鎖の巻き付いている様がよく見えた。
 瀬人は、幽霊と言うのだろう彼の姿をまじまじと見て、それがそこに存在しているのだとは解っていたが、その地獄の業火のような色の瞳のぞっとさせる感覚にも気付いていたが、それでもこのことを信じ切れなくて、自分の目や頭を疑おうとした。
「なんだというのだ」
 声を発すれば幻覚など消え去るのではないかという彼の期待は裏切られた。
「なんだというのだ。なんの用があるというのだ」
「さて。用ならたくさんあるぜ」
 知った声だった。間違い無く。
「貴様は、誰、だ」
「オレの名前を教えて、お前は解るのか?」
「解らないと思うなら解るように名乗れ!」
 瀬人が声を高く張り上げる。
「霊だろうと、それが最低限のマナーだ」
 彼は初め「霊だろうとそれが最低限の礼だ」と言おうとしたのだが、この状況に一層相応しいよう言葉を取り替えてそう続けた。
「現世にいた間、お前の前では、武藤遊戯と名乗っていたぜ。本当の名前はアテムだったんだが、誰か、その事実をお前に伝えたか?」
「始めて聞いたな」
「そうか。ところで、やっと非ぃカガク的とかいうものの存在を認める気になったのか?」
 瀬人の短い気に限界が訪れた。
「その減らず口を閉じて出て行け」
「酷いじゃないか。それが客への態度かよ」
「客なら客らしくそこの椅子にでも座っていろ! ……座れるのなら」
 瀬人が言い足したのは、こんな透き通った幽霊でもすり抜けずに現実の椅子になど腰掛けられるものなのか、どうにも解らなかったからである。だが、この霊はその言いようを然して気にした風でもなく、瀬人が指した猫足の椅子に腰を下ろした。