致死量に届くまで 7
2006/12/18


 告白するのに、中庭なんて目立つ所を使うものじゃないな。
 心の中で呟いて、海馬瀬人は木陰から身を現した。ここで始まった関係だから、ここで終わらせようと思った。それだけのことだ。他に何か考えがあったわけでもない。
 城之内が近付いてくる。音を立てぬよう静かに息を吐いて、海馬はそれを見詰めた。
 ずっとずっと好きだった、このお決まりとも思える科白を言おうとしている。だがお決まりの断り文句、ごめん、悪いけどアンタとは付き合えないよ、は返されないだろう。断られないと思っているのではない。しかし、そんな風に拒絶される時期はもう過ぎてしまった。


「よう。中庭なんかに呼び出して、今日は何かあんの?」
「あぁ。話がある」
「へぇ? 奇遇だな、オレも話があるんだよ」
 城之内の様子はいつもと全く変わりない。彼ではなく海馬が終わりを言い出すなど、きっと夢にも思っていないだろう。城之内の話が何なのかは知らない。終わりを告げられるのかもしれない。そのつもりでは来たけれど、城之内から言い出されるのは怖かった。
「城之内」
「うん? あ、お前からでいいぜ」
「もう終わりにしよう」
 彼はさっきまで枯木を見たり雪の降りそうに厚い雲を見上げたりと視線をうろつかせていたくせに、その言葉を聞くや否や勢いよく振り返った。
「お前に言われるとは思わなかった」
「だろうな」
「なぁ、なんで?」
 伝えなければ。この関係を終わらせてでも言いたかったことなのだから。そう思うのにあと少しの心が決まらない。
「海馬?」
「もう約束を守れない。いや、最初から、本当は守ってなんかいなかった」
 城之内にあまり驚いた様子は無い。気付いていたのか、それともまだ何を言われているのか解っていないのか。
「ずっとずっと好きだった」
 言ってしまった。後悔はない。どんな結果が待ち受けていようと、それでいいと決めたのだ。
「……知ってた」
 城之内は困ったような顔をした。半月前に海馬が想像した通りの表情だ。やはり優しい。残酷なまでに。記憶に残したくないくらいの振り方をしてくれれば、いつかは忘れることもできただろうに。
「いつから」
 海馬が問うと、城之内は小脇に抱えていた茶色い大きな封筒を投げて寄越した。受け止めたその中身を出して見た。見覚えのある書類が三枚入っていた。
「オレのが断然男前じゃん」
 書類には一枚ずつ写真が付いていた。写真の中の男は皆カナリヤ色の髪をしていた。以前海馬が虚構を求めて男たちを買った時のものだった。捨てた筈だった。仕事の、不必要な書類と一緒に。
「なんで、どこで」
「内緒」
 メイドが不始末をしでかしたのだろうか。それとも気付いた誰かがゴミを漁ったのか、あるいは城之内が。
「まぁ、出所なんてどうでもいいんだよ」
「よくない」
「……大丈夫だって、お前の悪いようにはならねぇから。それより今度はオレの話を聞けよ」
 終わりを告げた。好きだとも言った。それでもまだ話があるというのか。
「オレさ、許してみることにしたんだ」
「この間言っていた女を?」
「そう。解っちまったんだよな。あの人、親父のことマジで好きだったんだなって。だってさ、その写真、お前も一緒だったんだろ。だからすぐ解ったんだろ。こういうことだったのかなって、だったらもう許してもいいやって思ったんだよ」
「……だったらの繋がり方がよく解らないが」
「だから……お前と一緒だったのかなって思ったら、こう、なんか巧いこと気持ちが摩り替わって腹立たなくなったってことだよ。解れよ、感覚的に」
 この言葉をどう受け取ればいいのだろう。終わりを告げた。好きだとも言った。約束を破ったと言ったのだ。その返事としてはあまりにも不適当ではないか。
「で、それは前置きなんだけどよ」
 これ以上に何を話す。さっきから、見っとも無く縋るような真似はしたくないと耐えているのに、それを無に帰すような、こんな扱いはあんまりだ。
「もう少し、気を使ったらどうなんだっ。好きだと言ってるのに、振るなら振るでっ」
 声を荒げた拍子に、感情の堰が切れたみたいにぼろぼろ涙が零れていった。視界が滲んで、急速に、動いた。
「え」
 一瞬何が起きたのか海馬には解らなかった。温かい塊にぶつかって、それで城之内に引き寄せられたのだと理解した。
「何」
 城之内の腕がきつく拘束してくる。これは抱き締められていると言うのではなかったか。
「ごめん、やっぱり先に本題言えばよかった」
 本題は何か良い話なのだろうか。何となく察することができた気がする。けれども、そんなに都合の良い話があるだろうか。
「オレさ、ひょっとしたらもう舞よりお前のこと好きかもしれない」
 都合の良い、話が。
「まだ曖昧で悪いんだけどよ。いつか、や、近い内に絶対ちゃんと愛してるって言うから、できたらそれまで待っててくれねぇ?」
 こんな、御伽噺みたいに都合の良い話があるなんて思わなかった。
「なんで、そんな急に」
「お前があんまり一生懸命だったから、お前を好きになっちまったんだよ。今度は優しくできる気までしてるんだよ。それに、オレだって一人ぼっちのままじゃ淋しいんだよ」
 苦しい程抱き締めてくる腕はとても優しい。こんなことは今まで一度だって無かった。許したと言っていたから、だから取り戻したのだろう。ずっとこれが欲しかった。優しい、腕。今は自分のためだけにある。
「なぁ、どう? もう待てねぇ? 愛想尽かした?」
 取り戻した腕を自分に向けて来るとはこれっぽっちも思ってなかった。あの女に向けるものだとばかり。
「ずっとずっと好きだった。今も、まだ」
「海馬」
「近い内、だな?」
「約束する」
 最初の約束は苦しいばかりのものだった。苦し過ぎて身体も心も色々なものが駄目になる、そんな約束だった。ただの海馬瀬人でいられたならそんな約束でも守っている演技をし続けられた。不調を引き摺り続けて、それで死んでしまったとしてもよかった。けれど社長であることも兄であることも捨てるわけにはいかないから、好きだと伝えられない苦しさで本当に駄目になってしまう、その時までだけは自分自身でいる、それが限界だった。ただの海馬瀬人でいられなくなるまでの恋だった。
 今度の約束はきっと御伽噺の最後のような幸せをくれるに違いない。


 死んでもいいくらい好きだった。恋とは毒のようなものだ。
 好きで好きで堪らなくて、定められた分量を守れなかった。モルヒネ中毒の患者のように、ぼろぼろになって、それでも際限なく求めることしかできなかった。恋が愛によって中和されるものだとすれば、中和剤は初めから無かった筈だった。知っていてそれに手を出したのだ。
 中和剤がいつの間にか用意されていたなんて、全く気付きもしなかった。それはまだ完全なものではないようだけれど、完成を待つくらいはできるだろう。不完全な中和剤さえ無かった間は、ゆっくりと心を蝕むその毒が、致死量に届くまでの恋をしていた。


 今日からは、恋愛をする。





+++Happy End+++


<BACK RECHOICE>

 最後の最後で大逆転でした。両方読んだ方はいらっしゃるのでしょうか。
 分岐点は、瀬人の捨てた三枚の書類が、城之内君の許へ渡ったかどうかでした。些細なことで変わる運命というのをやってみたかったのです。
 ここまでお付き合い下さり、有り難う御座いました。