セネト・パピルス 終わりに
2010/8/21


 長らく連載を続けていた話でしたが、これで、一先ずは完結となりました。遅筆を見捨てず最後までお付き合い下さった方々に感謝です。
 この話は、古代エジプトの人々が神話に対してそうしたように、好きな解釈で様々に読んでもらえればいいと思って書いていました。特に後半で他のことに関する伏線は回収しておきながら人間模様について色々と投げっ放しだったのは、そういう意図です。
 人間模様はさておき、全体的なところに一つだけ私の見解を述べると、この話は決して悲劇ではないのだと思います。話の舞台である古代エジプトの信仰に合わせて言うならば、セトは魂の死を迎えたのではなく、ただ彼の愛した人々(この愛とは恋愛のみならず親愛やら敬愛やら畏愛やら恩愛やらが含まれるわけですが)のところへ往っただけなのです。
 そしてまた時々には、地上の人々のところへやってきて姿を見せもするでしょう。セトが見上げる空に龍のごとき雲が浮いていたように、柘榴の木の下からセトの祈願文を銜えて飛んでいったのと同じ種類の鳥が終盤アメン=ラァの企みを挫いてマナを助けたように、ユギが悩みナイルの畔を歩いた時には、どれほどの季節外れであっても、一輪の睡蓮が咲いている筈なのです。

 話の舞台は、もっと厳密に言うと、十八王朝末の王ホルエムヘブ(昔ツタンカーメンの暗殺疑惑などがあった人です)が、実は二人いて、初めのホルエムヘブと終わりのホルエムヘブの間にもう一王朝あったとしたらどうだろう、という架空年代でした。
 歴史の話をすると、ホルエムヘブは自分の血筋ではなく忠臣セティの息子パラメセスに王位を譲ります。そこから暫く古代エジプトは栄華の時を誇りますが、しだいに王権を弱まらせ、三百年近くののちには、上エジプトをアメン神官団に掌握され、王は下エジプトの扇状地を治めるのみとなりました。そして二つに分かれ弱ったエジプトは、ヌビア(作中のクシュ)に侵攻されたのを始めとし、国土を回復しては周辺国に支配されるという繰り返しの中に身を置くことになります。そして紀元前三四三年にペルシア支配を受けたのを最後に、独立王朝が築かれることはありませんでした。
 作中の時代からは凡そ千年、原作において千年の平和を願い作られたという千年宝物の、効果が切れる頃のことです。

 さて、長くなりましたが最後に言っておかなければならないことが一つあります。実は、構想から執筆まで、更に執筆開始から完結まで、遅筆の限りを尽くしたため、書いてる途中で古代エジプト学が進み色々新事実が出てきてしまいました。例えば私は冥界のことをドゥアトという名称で通しているのですが、どうやら最近はダタと読む説が有力なようです。ウシル(オシリス)も、最近はアシルが優勢なようです。他にも最新の古代エジプト学に基づいていないところがちょこちょこありますが、構想を始めた当初の情報で一貫したということでご了承下さい。
 そういうわけですので幾らかは内容が古いものもあるかもしれませんが、私が話を書く際に参考にした資料及び文献を次のページに挙げます。興味がありましたらご覧下さい。


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 次ページの資料・文献はあくまで参考物です。作中のエジプトは架空年代のファンタジカルエジプトです。
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