チェンジ・ザ・ライフ 5
2011/2/20


「何、なんか元気無くね?」
 翌日、瀬人が向かったのは学校だった。今後、昼間は学校に行き、夕方から少し会社に顔を出す日々を、暫く続ける予定である。
「昨日、会社に行った」
「あ、仕事覚えてなくてミスでもしたとか?」
「いいや、絶好調だった」
 だったらいいじゃん、と言い掛けて、城之内は口を噤んだ。海馬瀬人が海馬瀬人として今までの仕事を絶好調にこなせたということは、だ。
「ちょーっと、過去が垣間見えたって感じ?」
「ちょっとじゃない」
 机に突っ伏した瀬人の頭を城之内がぽんぽんと軽く叩く。城之内も、瀬人の会社での様子を直接見たことは無い。精々、携帯で部下と思しき人物に極悪非道な指示を出しているのを数度見掛けた程度だ。その数度で、充分に会社の方針が察せられはしたのだが。
「ま、あんま気にすんなって。手段は、うん、なんつーかお前が今思ってる通りだけど、目的のために頑張ってたことには変わり無いし」
 そうだったのだろうか、と問おうとして、瀬人は口を噤んだ。どうにも、似たような言葉を聞いた覚えがある。それは確か、こんな具合だった。


「正気の沙汰とは思えん」
 その言葉に、眼前の少年は真っ黄色な髪をぐしゃりと掻き上げながら、うるせー、と小さな抗議の声を発した。
「オレだって、自分でも、なんだって男なんかって思ってんだよ」
「そちらではない」
「え?」
 俯きがちだった顔が、ぱっと勢いを付けて上げられる。どこをどう取っても、それは城之内の顔だ。
「ゲイでもバイでも、そういう性的嗜好が存在することは了承しよう。それを踏まえても、何故オレなのだ。金か? それだとしても、もう少し割りのいい相手は幾らでもいると思うぞ?」
「ああ、そっち……別に金とかそんなじゃねーし。割りとか、ヒモ志望じゃねぇんだから、そんなの計算しねーし」
「いっそ金と言われた方が納得できるのだが」
 目の前の人物から困惑が伝わってくる。だが、顔には出していなかった筈だが、この時困惑していたのは彼だけではなかった。
「そりゃ、お前は性格も悪いし、性格も悪いし、性格も悪いけど」
「解っているのではないか。しかし三度も繰り返す必要は無い。自分が何を言ったかすら記憶していられないのか?」
「三回繰り返したくなるくらい、お前は性格も悪いけど!」
 むしろ性格が悪いと言えばいいものを。性格も、と言うのなら、性格以外の項目も挙げてもらいたい。
「けど、お前が世界中敵だらけだって風にツンケンしてるのは、夢のために頑張ってるからだって知ってるし。まあ、幾ら目的のためだっても、ちょっと頑張り過ぎじゃね、って思うトコもあっけどさ」
 数秒、どちらも黙っていた。沈黙を破ったのは、戸惑いを隠し切れない声だった。
「心底、正気の沙汰とは思えん。そんなことを言う人間など、いまだかつて見たことが無いわ」
「そ? ……んじゃさ、そんな貴重な人間であるところのオレを逃すのはちょっと勿体無いって、うっかり考えてみたりしねぇ?」


 机に突っ伏した体勢から、がばりと瀬人は身を起した。城之内が、うお、と、突然のことに驚いた声を上げる。瀬人は立ち上がり、まだ驚いた様子のままの城之内の腕を掴み、ドアに向かって歩き出した。
「ちょ、おま、どこ行くんだよ! もうすぐホームルーム始まるって!」
「始まるまでには終わらせる! 用件は簡単だからな!」
「だったら教室で言えっての!」
 言えるか、と瀬人は内心で叫んだ。言えるか。言えるものか。人気のあるところで、プライベートな話などして溜まるか。
 急ぎ足で廊下を歩き、手近な空き教室に入り、人がいないことを確認しドアを閉めると、瀬人はふうと大きく息を吐いた。やや緊張している。問うことに。
「んっとに、なんだってのよ」
 だが、聞くならさっさと聞いてしまいたい。瀬人は、全く言葉を選ばず、直裁に問うた。
「オレたちは、付き合っていなかったか……?」
「……あー、うん、実は、ね」
 一拍だけ悩んで、城之内はそう答えた。尤も、瀬人が記憶喪失になる直前には別れていたりするのだが、付き合っていたという事実は事実だ。
「何、なんか思い出した?」
「……自分の最低な受け答えを思い出した」
 城之内にとっては、いったいどれのことだろう、という話である。最低な受け答えなど両手では数え足りない、むしろ両足込みでも数え切れず、仕方が無いので星の数ほどあったと表現する程度には、繰り返したものだ。
「告白されて、真っ先に金目当てかと聞くなんて、人として最低にも程がある……」
 ああ、なんだそれか。口から出そうになった言葉を城之内は慌てて飲み込んだ。折角、どれのことだ、と追い討ちを掛けずに済んだのだ。それはまだマシな方の受け答えだったなど、知らせる必要は無い。
「ええと、ほら、お前はちょっと環境特殊だったし。状況もちょっと特殊だったし。警戒心も大事だし、うん」
「だとしても……!」
「あ、こら、しゃがみ込むなって。埃積もってんのに、服汚れっぞ」
 そしてホームルームに遅れてしまう。思い出して落ち込む気持ちは解るが、こんな空き教室の隅で小さくなられても困る。城之内は遅刻による減点を溜め過ぎていて、そろそろ罰掃除が回ってくる頃合なのだ。
「なー、教室戻ろうぜー。落ち込むなら、昼にゆっくり付き合ってやっから」


 そう言って教室まで連れ戻したものの、この状況はどちらかと言えば城之内が困るところだった。瀬人の記憶は部分的にしか戻っていない。付き合うことになったところしか瀬人は思い出していない、つまり別れたことは覚えていない。
 さて、どうしたものか。担任の話など右から左に聞き流し、城之内はそのことばかりを考えていた。恐らく、正しい対応は、付き合いはしたが既に別れているという真実を包み隠さず教えることなのだが、どうにもそれは躊躇われた。
 初めに友だちの振りをしてしまったのがそもそもの間違いだった。別れたと言う言葉が不自然に聞こえるだろうくらいに、なんだかんだ記憶を失ったあとの瀬人と城之内は親しくしてしまったのである。
 友だちの振りをしたのが間違いだった。でも、アレは、なんかそういうことにしないと可哀想な感じだったし。つかコレ縒りを戻す、もとい、心機一転お付き合いし直すチャンスじゃね? あとでもし全部の記憶が戻ったら、どうなるのか怖いけど。
 ホームルームの時間いっぱいを使ってそう結論付け、城之内はあとの授業を寝ながら昼休みを待った。瀬人との交際が成立していたのだから推して測れというものだが、彼は非常に前向きかつ深く考えることが苦手で、その上に向こう見ずであった。良くも悪くも、彼は無鉄砲で、挑戦心にも溢れていた。
 そして、良い意味で、瀬人は瀬人であった。知能は失われていないのだから、当然、軽妙な――というには多少堅苦しいが――会話にはなんら変わるところが無い。敢えて言うならば会話から嫌味は取り除かれたが、それは負の損失ではない。好きなものが変わることも無かったらしく、ゲームにも興味を示して乗ってくる。つまり、趣味が合うことにも変わり無い。
 加えて、何より、記憶が無いなりにどうにかこうにか巧くやろうと努力する姿は、かつての瀬人の、美点だけを色濃く残していた。勤勉で勤労で努力家で人間嫌いだった人物から、人間嫌いの部分だけが抜け落ちているのだ。
 人間嫌いが引き起こす諸々の事象に耐えかねて一度は別れた城之内だが、瀬人は瀬人であり、なおかつ人間嫌いが緩和されたとなれば、縒りを戻したくもなるというものだった。


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 前回城之内君が出てこなかった分、城之内君の出張る回にしてみました。思い出したり、思い知ったり、忙しい瀬人です。