チェンジ・ザ・ライフ 4
2011/2/13


 そうして数日の間、瀬人は真面目な生徒として学校に通った。時折というには頻繁に教師からの疑わしげな視線が投げられているのだが、構わず心を入れ替えたかのような生活態度で授業を受けている。
 かのような、ではなく、実際に心を入れ替えようとも思っていた。これまでは会社を優先するあまり不登校のような出席率だったのだとしても、少し酷い反抗期だったのだとしても、言ってみれば今の自分は記憶を失った新しい自分なのだ。心を入れ替えるにはいいタイミングではないか。
 彼は、自分の性格を反抗期によるものだと思って疑わなかった。判断材料が、年齢と、断片の記憶だけならば、それも仕方の無いことだろう。また、城之内たちがあまり品行方正な生徒に見えなかったことも彼の思い込みに拍車をかけた。所謂、不良崩れのような、そんなグループで仲良くしていたのだろうと。
 人は、記憶を無くすと、これほどまでに酷い思い違いも平気でしてしまうらしかった。


「あ、兄サマ、ちょっと」
 今日も今日とて真面目な学生生活を終え、屋敷に帰り、自室に入ろうとしていた瀬人をモクバが呼び止めた。モクバは、見れば手に書類のようなものを持っている。
「帰ってきたばっかりで悪いんだけど、これからオレと一緒に社に行ってくれない?」
「社に?」
 実を言うと、記憶を失ってからの瀬人は、一度も彼の会社を訪れていない。記憶がすぐに戻るものであれば、下手に出向いて混乱を誘うよりはと、モクバが止めていたのだ。だが結局、記憶は戻らないままに一週間越えである。
「一週間くらいなら休暇で誤魔化せたんだけど、やっぱり長引くと何か事情があって来れないんじゃないかって勘繰られ出すからさ。会議に顔出すだけでいいし」
「待ってくれ、会議なんて、そんな急に」
「大丈夫、大丈夫。兄サマは話を振られたら返事するくらいでいいから。何かあればオレもフォローするしさ。その時は適当に話を合わせてね」
 かなりの無茶だが、モクバは兄の知能が健在であることは解っているのだ。話を合わすくらいは問題無いだろうと判断した。不安なのは、自分の知能が高いという実感が無い瀬人ばかりである。
「基本的なことは着くまでに車で説明するよ。だから早く着替え……はいいか。学ランのままの方が、学業が忙しかったって言いわけはしやすいもんね」
 モクバに手を引かれ、逃げ出したい気分で瀬人は玄関前に付けられていた車に乗り込んだ。運転席と後部座席の間に仕切りのある、そして二人で乗るには些か胴の長い車だ。因みに、瀬人の専用車なのだが、彼は当然覚えていない。
「これ、資料ね。でも読み切れないと思うから要点だけ説明すると、D製菓っていう会社があって、今までインダストリアル・イリュージョン社と提携して玩具付きのお菓子を出したりもしてたところなんだけど。つまり、うちもパッケージに大会の広告打ったりしてたんだ」
 インダストリアル・イリュージョンといえば、陽気で曲者なアメリカンが会長をしている、海馬コーポレーションの最大取引先である。記憶を失ったあとすぐに一度聞いていた説明を振り返り、瀬人は脳内でその菓子パッケージを想像した。
「次の広告の話か何かなのか?」
「え? 違う違う。買収の話。それで、広告打ったりはしてたんだけど、結構契約で揉めることが多くて。うちとしては提携先を他社に乗り換えたいんだ。でも、ペガサスの方がD製菓と長期で契約しちゃっててさ。しかも違約金も高めで。簡単には乗り換えられないって言うし、でも乗り換えるなら一緒に乗り換えないと広告効果も薄くなるし、じゃあうちがD製菓になっちゃえばいいかーって」
 所謂、敵対的買収である。簡単に言うが、簡単には成立しない。買収に関する詳細なやり方は忘れていても、簡単にいかないことくらいは今の瀬人にも想像できた。
「そんな理由で、買収なんて巧くいくのか?」
「契約見直しなどまだるっこしい! 買収してしまえ! って言ったの兄サマじゃない」
「記憶に無い!」
「まあそういうことだから、買収の話ね。巧くいかせるにはどうしよう、って会議」
 無理だと訴えようが、車に乗った時点で瀬人に拒否権は無い。無情に進む説明を聞く内に、彼らの車は自社ビルに到達した。


「お疲れ様です!」
 エントランスへ入った二人を、厳ついブラックスーツの男たちがお辞儀で迎える。角度は明らかに上司に対する深さだ。瀬人は初めて自分が社長だったという事実を認識した。
 疑っていたわけではない。が、自分は高校生で、弟に至っては小学生だという。それが巨大コングロマリットの社長と副社長だなど、聞かされてもどこか遠い世界の話のようだったのだ。
「ご苦労様。磯野、このあとの会議どこでやるんだっけ?」
「七階会議室です。そろそろ準備が終わって人が入り出した頃かと。……社長?」
 呼び掛けられて意識を向けると、男が差し出した手を所在無さ気に宙へ浮かせている。
「……なんだ?」
「いえ、その、書類をと。もうお読みになっていないようでしたので」
「あー、兄サマってば休暇ぼけしてるから。最新書類は会議で配布される筈だし、それは磯野に預けちゃいなよ」
 預ければいいらしい。表面上はなんでもない風に、瀬人は手にしていた書類を傍らの男、名前は磯野のようだ、に渡した。
「じゃあ会議室に行こうか。磯野、予定は一時間だけど、兄サマがこの調子じゃ後ろに倒れるかもしれないし、あと調整しといて」
「了解致しました」
 再び頭を下げる男を背に瀬人たちはエレベーターに乗り込んだ。七階のボタンが押され、ドアが閉まる。
「さっきの、磯野という男は、秘書か何かか?」
「んー、まあそんなとこ。SPとかイベントスタッフとかサーバルームの管理者とか、色々兼任してるけど」
「え……? は……? どれも業種が大幅に違うような気がするんだが……?」
 警備員とイベントスタッフはまだ解るかもしれない。イベント時に会場警備をする人間だって、イベントスタッフには違いない。だが、秘書が警備員をして、イベント会場に出張して、なおかつサーバルームの管理もしているとは、何ごとか。
「だって、兄サマが身の回りの人くるくる入れ替わるの嫌がったからさぁ。お陰で、磯野一人いれば大抵の用事が済むようになっちゃって」
「彼は過労になったりしないのか」
「なんか意外と平気みたい」
 全くもって意外だ。瀬人が言葉を失っている内に、エレベーターは七回に到着した。廊下へ出ると、すぐ傍で、会議室のプレートを掲げたドアが半開きになっている。
「お待たせー。皆揃ってるね、すぐ始められる?」
「はい、資料がこちらで」
 中年の男がホチキス留めされた紙の束を二部差し出してくる。受け取って、瀬人は一部をモクバに渡した。誰も何も言わないので、この行動は正解なのだろう。ほっとしつつ、彼は部屋の奥側に用意された席に向かった。それ以外の席は、既に誰かしらが前に立つなり手を掛けるなり、自分の席だと主張している。
「それじゃ始めようか。兄サマが休暇明けだから、最初に現状の説明をお願い」
「はい。では、資料の最終ページにD製菓の基本情報を載せてありますので、そちらをご覧頂きながら……」
 説明を聞きながら、瀬人は会議の参加者をこっそりと見回していった。年齢の幅は広いように見える。性別も、きっちり半々ではないが男女ばらけている。要は、集団に纏まりが無い。纏まりの無さの最大要因は瀬人とモクバだが、それを除いても充分に纏まっていない。
 年も性別も無い実力主義の会社だったのだろうか? 高校生が社長で通っているのだから、その線はありそうだ。
「……現状は以上です。買い付けを進めているものの、残りの株の大半はD製菓の持ち株会やグループの上位会社が所持している状態となり、このままでは取得目標比率に届かない公算が高くなっています」
「持ち株会かぁ……結構買ってる社員とかで、誰かこっちに寝返りそうなのいないの?」
 モクバの問いに、現状では、と別の社員が答える。
「持ち株会ってことは、勤続年数の長い社員ほど株を持ってる可能性が高いんだよね。それなりのポストに就いてる社員を狙い撃ちにしても駄目?」
「買い付けに応じれば吸収合併後も今のポストを保障すると、持ち掛けてはみたのですが」
「年齢が上に行けば家族のいる率も高いだろうしな……」
 何気無い呟きのつもりだった。危険な橋を渡りたがるものは少ないだろう、と、思っただけだ。だが卓に着いていた全員が、瀬人の言葉にはっとしたような顔付きをしていた。
「なるほど、甘い言葉で駄目なら脅しを掛けるんですね!」
「買い付けに応じるならポストを保障する、応じないなら……そうだ、銀行に話を通しましょう!」
「ローンを盾にですね! 年代的に家や車のローンが残っている可能性は高い。家族がいればこれは効くでしょう!」
「い、いや、待て、そうではなく」
 普段はいったいどんな方針で経営を行っていたのか、想像は付いたが、瀬人は認めないとばかりに声を上げた。
「そうでなく、それは面倒が起きるだろうからだな」
「ああ、確かに、銀行に借りを作るのは面倒ですね」
「だろう、だからだな、あぁ、グループの上位会社というのは、どこがどれくらい持っているんだ? それを考慮に入れてからでも」
 どう考慮に入れるのかなど全く解らないが、ともかく瀬人はそう言った。話題さえ変えれば、先ほどのようにまたモクバが進行をしてくれるだろう。
「ええと、まず最大の保有者がDグループ元締めのD食品です。次いで、D食品がDの里水菓子処と名乗っていた頃に暖簾分けされたD屋和菓子処。D製菓は十年ほど前にここから近代菓子部門が分離されて出来た会社ですね。次がやはり暖簾分けで出来たD屋甘味処。これらが残りの株のそれぞれ三割と二割ずつを持っています」
 基礎知識無く聞いても何が何やらである。いかがでしょう社長、と聞かれても、何が何やらなのだ。
「あぁ……どこも随分と老舗なんだな。株式会社化はしているのか?」
「ええ、昭和に入った辺りで……さすが社長! 恐ろしいことを考えますね!」
 考えていない。何も考えていない。これではさっきと同じではないかと内心叫びたい気分の瀬人を他所に、またも社員たちが盛り上がる。
「老舗の小さな会社は株を無防備に市場に流していることが多い。経営が近代化されて落とし難いD製菓の株を直接ではなく、その保有会社の株をまずは買い占めるんですね!」
「そして、株を返して欲しければD製菓の株と交換しろと!」
「老舗は体面と伝統を気にしますから、自分の存続が危うくなれば近年分離した会社などすぐに尻尾切りをしますよね!」
「そうだ、何故思い付かなかったんでしょう。社長が就任前によくやっていた手ですよね!」
「証券所の白い悪魔は今も健在でしたか!」
「はい、じゃあ会議はこれで終わりね。和菓子処と甘味処を調べて、買い占めやすそうな方を狙うように。裁量権以上の決済が必要になったらオレに回して」
「了解しました! 今から、すぐに調べます!」
 ばたばたと、慌しく人々が去っていく。それを呆然と見送り、それから瀬人は横を向いた。
「白い悪魔とはなんだ」
「え? ああ、兄サマの中学の制服白い学ランだったから」
「そっちじゃない! 悪魔とはなんだ!」
 モクバは、いかんとも表現し難い顔をして言った。
「ええ……と……説明、要る?」
 全く、この会議のあとでは、実に説明など不要であった。


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 白い悪魔。一話でモクバが言ってた、マネーゲームで荒んでった頃の瀬人でした。アニメ乃亜編に出てた、剛三郎からの最終試験の辺りです。老舗の株買い占めとか悪魔だ。