注意! カップリングも傾向もごった煮の無法地帯です。苦手な方はUターンどうぞ。最近はシモネタにも注意した方がよさそうです。今日、昨日、明日。起きてから寝るまでが一日です。
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 昨日の日記書いたあとで古代編を読み直したんですが、セトを見てると、やり方はきっついけど国家安泰に関してはかなり気に掛けてるんだなーと思います。権力こそが世に平和をもたらすって科白は傲慢とも取れますが、当時の古代エジプトの状況的には間違ってないので。古王国時代も中王国時代も王権が崩壊したところを周辺国に攻め入られて半植民地化してたりします。あと、宗教的なところでファラオは神なので、ファラオに何かあると民衆が不安に陥ったりします。
 僅かな民の犠牲など王家の谷の石ころに過ぎないというのも、最大多数の最大幸福的なものかなと思うんですがこれはどうなんでしょうか。民衆を全て取るに足りないものだと思っているにしては、「王権」だけでない「王国」を気にする科白が多いような。確か、王権が崩壊すれば王国も崩壊する(から王権を護るために反逆者を野放しにはできない)という感じの科白もありました。
 ところでセトはそんな具合に古代編の中で自分の王国や王権に関する考えをよく語っているのですが、アテムってそういうシーン少ないですよね。闇遊戯としてバクラを倒す意思を表明してたり、個人的な感情(アクナムカノン王の善政を信じるとか)を語ったりは結構してるみたいなんですが、アテム自身の治世についての意見はほぼ見受けられない気がします。不思議なような、あれが闇遊戯とバクラの記憶によるゲームの世界というのを考えると不思議でもないような。
 個人的には、セトは勿論、アテムや他の神官たちの治世についての考えも聞いてみたかったです。


 拍手有り難う御座いました! 解釈っていうかもう読み過ぎた深読みです。
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