注意! カップリングも傾向もごった煮の無法地帯です。苦手な方はUターンどうぞ。最近はシモネタにも注意した方がよさそうです。今日、昨日、明日。起きてから寝るまでが一日です。
飲料擬人化昨日の続きです。昨日同様死にネタ消滅ネタ注意。
昨日終わりにちょろっと書いた茗茶さんですが、緑茶の双子の兄です。最初は姉にしようと思ってたんですが、お茶三姉弟の字面が気に食わなかったので三兄弟にすべく兄に変更です。あ、三兄弟なのは末っ子に紅茶が入ってるからです。
茗茶さんと緑茶が生まれたのは紀元前2737年、後に中国となる地域でのことでした。神農(炎帝)と呼ばれる中国地方初の部族連盟を作った姜さんちの長男が偶然発見した飲料、それが茗茶と緑茶です。
因みにこの神農、身の丈は2m超、額には二本の角が生え、腹部の皮膚は透明で、薬草や毒草を食べてはそれが内臓に与える影響を目視で(腹部透明だから見える)調べたそうです。どう考えても伝説上の人ですね。どうでもいいことを付け加えると、長い顎鬚が立派なお爺さんです。
神農お爺さんに見付けられた茗茶と緑茶はまず神農お爺さんの部族に広まりました。それからお爺さんが炎帝として連盟を組んだ黄帝の部族なんかにも広まったんじゃないかなぁと思います。しかし何分昔のこと過ぎて正確なことは解りません。どのくらい昔のことかといえば、この時代は北京原人の次の時代です。北京原人が絶滅したあと、女?という女神が泥を捏ねたり何だりして崑崙山辺りに人を作りました。この女?の兄兼旦那が伏羲ですが、この伏羲と女?の次の統治者に当たるのが神農、というくらい昔のことです。
神農お爺さんが死んでしまったあと(神様なのに死ぬ・・・)五人ほどリーダーシップを発揮する人が出て、更にそのあと中国地方初の王朝である夏王朝が成立しました。夏王朝のあと殷(商)王朝が出来ましたが、この殷が腐敗して殷の家臣だった周家が反乱を起こし、それに乗じて仙人たちが仙界大戦を始めたりしました。
神や仙人が歴史に入り込む時代、そんな頃から茗茶と緑茶は存在していたのです。というか殷周の頃には既に結構な年ですね。二人の扱いは截教(人でなく動植物等が成った所謂妖怪仙人)でいいと思います。
神仙の話に行を割いてしまいましたが、茗茶も緑茶も仙人ということで、そんな大戦やらをくぐり抜けシェアの拡大に励みました。
殷を倒した周がぐだぐだになってくると、次は春秋戦国時代に突入します。その結果秦が覇権を握り、ここで始めて皇帝が現れました。が、すぐに前漢に取って代わられ、前漢は新に取って代わられ、新は後漢に取って代わられ、三国志の時代に突入しました。
三国志の頃には多分仙人も歴史上から姿を消したんじゃないかと思いますが、茗茶と緑茶が姿を消したかと言うとそんなことはなく、その後も西晋東晋十六国に南北朝時代を通してシェアを広げました。
その後隋の時代がやってきて終わり、唐の時代がやってきて、とても漸く牛乳が中国に伝わります。ここで初めて牛乳と茗茶さんが顔を合わせました(メソポタミアからやってくる→中国西側に大きいシェアを持ってた方と先に会う筈)(日本に伝播したのが茗茶さんでなく緑茶→緑茶のシェアは東側?)。
牛乳が日本への移住を計画してると聞いた茗茶さんは同じく移住を計画していた緑茶に牛乳を引き合わせたりしたような気がします。擬人化的に。そしてやっと昨日の話に繋がるわけですね。
牛乳と緑茶は日本シェア開拓に失敗したあと一旦中国に戻ってきましたが、残念なことに牛乳は中国でもシェア獲得なりませんでした。インダス辺りまで強制送還です。そして緑茶は以前のシェアを頼りにまた茗茶さんと一緒に500~年ほど暮らすことになりました。
で、まぁその後1972年までの流れは昨日語ったからもういいですよね。昨日語ってないところを言うなら緑茶が日本に移住して暫く(数百年単位)した頃、中国湾岸部で茗茶さんが紅茶を見付けたり、その紅茶がヨーロッパ(東インド会社)に養子に出されたりしました。
1972年の頃には既に、茗茶さんは日本にもシェアを持っていました。ので、牛乳が消えてしまったあと二代目のちびを抱えて忙殺されている緑茶へ手を貸しに、というか孫が可愛いお祖父ちゃんのような状態で、始終緑茶のところへ遊びに行ってればいいと思います。緑茶とは兄弟ですし二代目牛乳は別に緑茶の子というわけではないので、お祖父ちゃんと呼ぶのはおかしいんですが、まぁ、年齢的に。それすら仙人なので見かけは若いんですが。
そんな感じで1972年以降は茗茶さんと緑茶と二代目牛乳と時々紅茶でお茶一家な生活をして欲しいところです。
ところで上の中国史は神話と伝説と史実と萌えがミックスされた上に飲料本位という、勉学的には全く信用する価値が無いものなのでお気を付けを。
>川池サマ
茗茶さんが絡んでる辺りも書いて見ました・・・萌え的には下三分の一くらい読めばいいと思います。でも飲料の歴史は面白いですよ! 調べれば調べるほど萌えに溢れてます。
あ、バトン見たんですが交流ある方結構被っちゃってるので回答に同意してディスプレイの前で頷くのみにとどめておきます。でも川池サマにリターンするなら緑だと思ってます・・・トップ絵の印象って大きいですよね。
他、拍手有り難う御座いました! 珈琲や紅茶辺りも萌えどころです。
昨日終わりにちょろっと書いた茗茶さんですが、緑茶の双子の兄です。最初は姉にしようと思ってたんですが、お茶三姉弟の字面が気に食わなかったので三兄弟にすべく兄に変更です。あ、三兄弟なのは末っ子に紅茶が入ってるからです。
茗茶さんと緑茶が生まれたのは紀元前2737年、後に中国となる地域でのことでした。神農(炎帝)と呼ばれる中国地方初の部族連盟を作った姜さんちの長男が偶然発見した飲料、それが茗茶と緑茶です。
因みにこの神農、身の丈は2m超、額には二本の角が生え、腹部の皮膚は透明で、薬草や毒草を食べてはそれが内臓に与える影響を目視で(腹部透明だから見える)調べたそうです。どう考えても伝説上の人ですね。どうでもいいことを付け加えると、長い顎鬚が立派なお爺さんです。
神農お爺さんに見付けられた茗茶と緑茶はまず神農お爺さんの部族に広まりました。それからお爺さんが炎帝として連盟を組んだ黄帝の部族なんかにも広まったんじゃないかなぁと思います。しかし何分昔のこと過ぎて正確なことは解りません。どのくらい昔のことかといえば、この時代は北京原人の次の時代です。北京原人が絶滅したあと、女?という女神が泥を捏ねたり何だりして崑崙山辺りに人を作りました。この女?の兄兼旦那が伏羲ですが、この伏羲と女?の次の統治者に当たるのが神農、というくらい昔のことです。
神農お爺さんが死んでしまったあと(神様なのに死ぬ・・・)五人ほどリーダーシップを発揮する人が出て、更にそのあと中国地方初の王朝である夏王朝が成立しました。夏王朝のあと殷(商)王朝が出来ましたが、この殷が腐敗して殷の家臣だった周家が反乱を起こし、それに乗じて仙人たちが仙界大戦を始めたりしました。
神や仙人が歴史に入り込む時代、そんな頃から茗茶と緑茶は存在していたのです。というか殷周の頃には既に結構な年ですね。二人の扱いは截教(人でなく動植物等が成った所謂妖怪仙人)でいいと思います。
神仙の話に行を割いてしまいましたが、茗茶も緑茶も仙人ということで、そんな大戦やらをくぐり抜けシェアの拡大に励みました。
殷を倒した周がぐだぐだになってくると、次は春秋戦国時代に突入します。その結果秦が覇権を握り、ここで始めて皇帝が現れました。が、すぐに前漢に取って代わられ、前漢は新に取って代わられ、新は後漢に取って代わられ、三国志の時代に突入しました。
三国志の頃には多分仙人も歴史上から姿を消したんじゃないかと思いますが、茗茶と緑茶が姿を消したかと言うとそんなことはなく、その後も西晋東晋十六国に南北朝時代を通してシェアを広げました。
その後隋の時代がやってきて終わり、唐の時代がやってきて、とても漸く牛乳が中国に伝わります。ここで初めて牛乳と茗茶さんが顔を合わせました(メソポタミアからやってくる→中国西側に大きいシェアを持ってた方と先に会う筈)(日本に伝播したのが茗茶さんでなく緑茶→緑茶のシェアは東側?)。
牛乳が日本への移住を計画してると聞いた茗茶さんは同じく移住を計画していた緑茶に牛乳を引き合わせたりしたような気がします。擬人化的に。そしてやっと昨日の話に繋がるわけですね。
牛乳と緑茶は日本シェア開拓に失敗したあと一旦中国に戻ってきましたが、残念なことに牛乳は中国でもシェア獲得なりませんでした。インダス辺りまで強制送還です。そして緑茶は以前のシェアを頼りにまた茗茶さんと一緒に500~年ほど暮らすことになりました。
で、まぁその後1972年までの流れは昨日語ったからもういいですよね。昨日語ってないところを言うなら緑茶が日本に移住して暫く(数百年単位)した頃、中国湾岸部で茗茶さんが紅茶を見付けたり、その紅茶がヨーロッパ(東インド会社)に養子に出されたりしました。
1972年の頃には既に、茗茶さんは日本にもシェアを持っていました。ので、牛乳が消えてしまったあと二代目のちびを抱えて忙殺されている緑茶へ手を貸しに、というか孫が可愛いお祖父ちゃんのような状態で、始終緑茶のところへ遊びに行ってればいいと思います。緑茶とは兄弟ですし二代目牛乳は別に緑茶の子というわけではないので、お祖父ちゃんと呼ぶのはおかしいんですが、まぁ、年齢的に。それすら仙人なので見かけは若いんですが。
そんな感じで1972年以降は茗茶さんと緑茶と二代目牛乳と時々紅茶でお茶一家な生活をして欲しいところです。
ところで上の中国史は神話と伝説と史実と萌えがミックスされた上に飲料本位という、勉学的には全く信用する価値が無いものなのでお気を付けを。
>川池サマ
茗茶さんが絡んでる辺りも書いて見ました・・・萌え的には下三分の一くらい読めばいいと思います。でも飲料の歴史は面白いですよ! 調べれば調べるほど萌えに溢れてます。
あ、バトン見たんですが交流ある方結構被っちゃってるので回答に同意してディスプレイの前で頷くのみにとどめておきます。でも川池サマにリターンするなら緑だと思ってます・・・トップ絵の印象って大きいですよね。
他、拍手有り難う御座いました! 珈琲や紅茶辺りも萌えどころです。
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