注意! カップリングも傾向もごった煮の無法地帯です。苦手な方はUターンどうぞ。最近はシモネタにも注意した方がよさそうです。今日、昨日、明日。起きてから寝るまでが一日です。
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 昨日言っていたクレオパトラを見ました。オペラでした。話の内容的にはアントニーとクレオパトラに似て非なる感じです。雲が龍に見えるシーンは無かった・・・
 アントニーとクレオパトラより悲劇度が高かったかな? と思います。最後クレオパトラが死に恐怖し絶望して死んでいくので。アントニーとクレオパトラのクレオパトラはエジプト人的ですが、今日見たクレオパトラはギリシャ人寄りっぽかったです。プトレマイオス朝はギリシャ系王朝だからさもありなんですが。
 アントニーとクレオパトラのクレオパトラは死に関して結構ポジティブですが、それってエジプトっぽいですよね。死ぬ前に、「着飾って逝かなければ、アントニーを迎えに港へ行くのだから」みたいな科白がありますが、(アントニーは先に死んだけどローマ人で)冥界への行き方が解らずうろうろしてるだろうから迎えに行って一緒に冥界に行かないと、って感じでしょうか。
 この冥界で人生リトライ概念のお陰で、エジプト人は「(現代人的感覚の)生きている」という意味のことを言うのに、非常に苦労したようです。単に生きてると言っては現世(現代日本人の感覚で言う「生きた人の」世界)に生きているのか、来世(冥界とかイアル野と呼ばれる場所)に生きてるのか解らないという。
 解らないならどうしていたのかというと、現代的な意味で生きていると言う時には、「地上に両足で立っている」と言ったりしました。普通はニュアンスとかでただ生きているといってもどっちで生きているのか伝わるわけですが、絶対に間違えてはならない時とか話がややこしくなって噛み合わなくなったりした時には地上に両足で立っていると言ったようです。
 今日見たクレオパトラは時代背景が末期王朝なのもあってか悲劇的だったわけですが、絶頂期の古代エジプトの人々はだいたい死ぬことに楽天的だったみたいです。で、死ぬのがそんなに怖くないから人生自体も楽天的に(地に両足を付けて)生きてた模様。そしてその楽天的思考の所為で哲学が欠片も発展しなかったらしいです。つまり、深く、考え込まない・・・!
 考え込まない所為で論理的思考も苦手だったようです。まぁ、パピルスや壁文を見れば解りますね! たった数行の間に矛盾が詰め込まれている文書たち・・・全文残ってても、あれ? どっか欠けてるのかな? と思わせる当時のベストセラー話題作・・・
 しかしそんな古代エジプトが好きです。古代エジプトの文書は矛盾込みで面白いですよね。実の姉弟の筈のイシスとセトに「父の違う弟」という科白があったりとか。邪推するぞ・・・! 穴兄弟の逆的な意味で・・・!
 さすがにそれは邪推し過ぎですが、そこに限らず矛盾のお陰でどうとでも解釈できるのは萌え的には非常に有り難いです。妄想の余地を有り難う古代の人たち・・・!


 拍手有り難う御座いました! 龍の起源に運命を感じる・・・
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