注意! カップリングも傾向もごった煮の無法地帯です。苦手な方はUターンどうぞ。最近はシモネタにも注意した方がよさそうです。今日、昨日、明日。起きてから寝るまでが一日です。
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 飲料擬人化です。牛乳と緑茶。あとちょろっと死にネタというか消滅ネタ。

 牛乳の歴史と緑茶って萌える関係だなと思いました。牛乳と緑茶って始めて日本に入ってきた時期もルートも一緒なんですね。牛乳がメソポタミア発中国経由、緑茶が中国発で、600年代くらい。メソポタミアからやってきた牛乳が中国で緑茶に出会い、意気投合して一緒に日本に越してきたわけですね。
 年は牛乳の方が多分ちょっと上(数百年単位)なんですが、何分どちらも昔のこと過ぎてはっきりとしたことは解りません。緑茶のことを上で中国発って書きましたが、正確には後々中国になる地域の一部発。当時彼らの生まれた地域に国なんて概念はまだ存在していませんでした。メソポタミア付近はシュメール人の王朝が存在したと言い伝えられていますが、あの辺は言い伝えを真に受けると人類存在以前から国があることになるのでスルーです(一人の王様の統治期間が数万年とか、流石に信じるに値しない)。
 それはそうと牛乳と緑茶です。一緒に日本へ越したはいいんですが、「仏教流行ってるし殺生とか駄目じゃね?」というお触れが出た所為で酪農全般が廃れてしまい、牛乳は日本では暮らせなくなってしまいます。そして緑茶もまた、喫茶の習慣が根付かなかったため日本を去ることになりました。
 その後、牛乳はメソポタミア→ヨーロッパ→アメリカを点々としながら世界中にシェアを拡大していきます。一方緑茶は全くシェアを広げられず、里帰りした中国でも「葉っぱそのままより炙ったり炒ったりの方が美味しいって!」と別製法の茶ばかりが流行ってシェアなどむしろ失うばかり、ひょっとしたらこれ死ぬかも、な状況に陥ったりしました。しかしながらまぁすんでのところで踏みとどまり、再び日本へ引っ越すことに。だいたい平安時代の頃です。今度は何故か喫茶習慣が根付いたため、最終的に中国シェア・・・というか日本以外のシェアは全て失いましたが何とか消滅は免れ、それからの日々を主に寺などに引き篭もりつつ安穏と過ごしました(日本最古の茶園は鳥獣戯画で有名なお寺の中です)。
 そんな牛乳と緑茶が再開を果たすのは江戸時代も鎖国後です。オランダ船に乗って牛乳は再び日本へやってきました。千年以上振りの再会です。
 それからの牛乳と緑茶は暫しまったりとした時間を過ごしたのち、開国や幕末の動乱に巻き込まれる形でシェアを拡大し、色々な騒ぎを(所詮飲料なので)傍観し、1970年頃までは(飲料的な意味では)変わりなく暮らしていました。
 変化が訪れるのは日本が「好景気っていうかインフレじゃね?」な気配を帯び出し「機械最高!」な国になりだした頃でした。1972年、日本で搾乳自動化ロボットの試案が出され、牛乳は自然の恵み的なものから工業製品的なものへ変わってしまったのです・・・(こう書くと批判してるっぽいですが搾乳ロボットは素晴らしいと思います)(ただ飲料擬人化的には切ないってだけで)
 変わってしまったということは、もはや牛乳は今までのようには存在していないということです。新たな存在に生まれ変わった牛乳はメソポタミアから流浪の果てに日本へやってきた牛乳ではありません。ここで記憶喪失ネタをやらかしてもいいですが、敢えて「消滅」としましょう。新たな牛乳は日本で生まれた二代目なのです。ロボット時代の申し子のちびこい子供を残して、メソポタミアからやってきて中国で出会い、別離再開を経て緑茶と一緒に暮らした牛乳は消えてしまったのでした。
 それからの緑茶はとにかく淋しく思う暇も無いくらい二代目牛乳の世話に忙殺される日々を送ればいいと思います。ちびっ子が大きくなる頃には、どうしようもなく哀しい時期は過ぎてるよ多分。

 ご近所の茗茶さん(=緑茶の双子の兄)も絡めたかったんですが、余りにも壮大な様式美を展開しそうになったので省きました。
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