注意! カップリングも傾向もごった煮の無法地帯です。苦手な方はUターンどうぞ。最近はシモネタにも注意した方がよさそうです。今日、昨日、明日。起きてから寝るまでが一日です。
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 クリスマス企画です。初めにクリスマスお知らせをご覧下さい。

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 娯楽室へ移った人々はそこへ用意されていた暖かな飲みものに喜んで手を付けた。人々は湯気を立てるグリューヴァインのカップを両手に包み、その香気を存分に吸い込んだ。シナモンや柑橘類のピールの清々しさと、砂糖や林檎の甘さが混ざり合った、アルコールの蒸気が、彼らを良い気分にさせる。
「こういうの飲むとクリスマスなんだって思うわ」
「今日は皆揃えて良かったよ。城之内君は無理かもって言ってたけど、なんとかなったんだ?」
「なんとか。本当になんとか、な。しこたま嫌味を言われたぜ」
 瀬人の工場の作業員だった一人が溜息混じりに言った。
「クリスマスの土曜に、急にだぜ、工場稼動させろなんて言う奴がいるかよ。ここにも来やしねぇし、おもちゃ会社なんてやってるくせ、クリスマスを楽しみにしてる人間の気持ちをこれっぽっちも理解してねぇのはどうなんだよ」
 その場の全員が困ったように顔を見合わせた。その中で、作業員の彼は手にしていたコップを高く掲げた。
「あの情緒の欠片も無い野郎がもったいぶって休みにしてくれたクリスマスに乾杯!」
「おいおい。モクバの前でそんな言い方すんなって」
「んだよ、ここに来ねぇってことはモクバの誘いだって断ってんだろ。モクバだって怒っていいトコじゃねぇの」
 水を向けられた瀬人の弟が肩を竦める。
「兄サマは、クリスマスなんて馬鹿らしいってさ。そういう風に思ってるんだ。確かにあちらこちらから下らないパーティの誘いが来るのもクリスマスならではの行事だけど」
「だからって、自宅でやるパーティまで馬鹿らしいなんて言うのは良くないわ」
 と、今のところ紅一点の客人が腹立たしげに息を吐いた。こういう女性方は、愛すべきかな、中途半端など許さぬほどに、いつでも大真面目である。
 彼女は非常に可愛らしかった。紅一点の彼女が誰の夫人でも無いことが不思議なくらいに――尤も、代わりに彼女と彼らは非常な友情に結ばれているのだが――可愛らしかった。怒りに膨らませた頬は林檎のようで、尖らせた唇は花びらのような、愛らしい女性であった。快活で、晴れやかな気性の女性だった。しかし世話女房的な、もしも彼女が誰かの夫人になることがあったとすればたちまち夫を尻に敷いてしまうだろうような、どこまでも世話女房的な女性であった。
「まあ、良くはないんだろうけど」
 瀬人の弟は言った。
「怒ればいいのよ。我慢すること無いわ」
 周りの男たちも二、三頷いた。
「我慢してるってわけでも無いんだよ。来て欲しいとは思うけどね。怒ろうにもさ、兄サマがああだってことで大層な目に遭ってるのは兄サマ自身だもの。例えば、兄サマはなんらかの理由でここに来たく無いと思った。大方、馴れ合いは御免だとか、そんなことだろうと思うよ。で、その結果は? オレたちはこうしてパーティを開いて今も美味しいグリューヴァインなんかを飲んでる。当初の予定と変わりなく」
「今日のご馳走にあり付けないのは海馬君の方だってこと?」
「それだけでは無いとも思うけど、とても解りやすく言うならそういうことだよ」
 瀬人の弟は残っていたグリューヴァインを飲んでしまうとコップを置いて言った。
「つまり、兄サマがこういう集まりを嫌って、ここに来ない結果はさ。オレが思うには、兄サマに全く不利益をもたらさない快適で愉快な時間を兄サマが失ったということなんだ。こういうのが嫌いだって言うなら、無理矢理引っ張ってきたりまではしないよ。だけど勿体無いよね。こういう場に来てみる前から自分はこういうのを嫌いなんだって決め付けてるのは」
 それは全くなことだった。あの世話好きの女性も納得顔で頷く。
「だから、オレは毎年誘うんだよ。ひょっとすると兄サマは死ぬまでクリスマスなんて馬鹿らしいって言ってるかもしれない。けど、何の拍子にちょっと顔を出してみようかって気になって、その上パーティを楽しむなんてことになってくれるか分からないからさ。パーティをするからどう? ってね。それで、ちょっとでもクリスマスを楽しむ気になって、城之内が訴えるまでも無くクリスマスの土曜日は工場を閉めて当たり前だって思うようになればさ」
 瀬人の弟はそう言うと、ちょっとの間を置いて、もしかすると今日だってこれからここにやってくるかもしれない、と付け足した。他の面々がまさかと笑って彼の開いたコップにヴァインを継ぎ足す。それから彼らはゲームなぞをやって他の参加者が来るまでの暇潰しを始めた。
 クリスマス企画です。初めにクリスマスお知らせをご覧下さい。

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 泥のような眠りの最中にふと目を覚まし、完全に覚醒してしまおうと上体を起こしながら、瀬人は誰に聞くでも時計を見るでもなく、広間の鐘がまた十二時を知らせるところであると分かった。あの自称エジプト王の斡旋でやってくる神と会議を執り行おうというには随分際どい時間に目覚めたものだと、彼は心の中思う。今度の神もやってくれば勝手に天蓋が開くような事態になるのだろうかと、考え出すとどうにも気味が悪く、彼は自分で垂れ下がる布の幕をすっかり開ききった。それから、寒さに掛け布を引き寄せて、じっと神の出現を待った。
 いざ十二の鐘が鳴らされると、ところが、神は現れなかった。十分待ち、二十分待ち、瀬人はしだいに不安に包まれてきた。彼は神の出現にはそなえ、覚悟していたが、それ故、何も現れないことに不意を突かれていた。
 三十分待って、彼はあることに気が付いた。部屋の戸の向こうから差してくる光の筋は、夜間照明のそれより幾らも明るかった。この怪しい光の本体を検めるべく、瀬人は起き上がり、扉を開けた。開けたところには何も無かったが、光は広間の方角から一層強く溢れてきていた。彼はそろりと歩き出した。
 広間にはクリスマスツリーが立てられていたが、彼はそれに見覚えが無かった。そして、その大きな高天井にさえ届きそうなツリーと同じくらいの身の丈の神になど、もっと見覚えが無かった。いや、正確には、神の姿には見覚えがあった。神がそこにいるという状況に覚えが無かった。
「第二の神か」
 彼が問うと巨神がゆっくり頷いた。いかにも、と、またあの不思議な音で彼に話し掛けた。
「私は今を見せよう。今年のクリスマスを見せよう」
 たちまち広間のシャンデリアが灯り、どこからか、彼の女中たちが現れた。
「見えていないのか?」
 最初の神に過去へ連れて行かれた時のことを思って、瀬人はそう尋ねた。巨神が、見えていない、と鸚鵡返しに答える。女中たちはそれらの遣り取りを全く意に介せぬ様子で動き回っていた。彼女らは、ワゴンを押したりブラシを掛けたり忙しくしていたが、暫くすると全部どこかへ仕舞ってしまって、綺麗に足をそろえた二列に並んだ。
「ああ寒かった!」
 玄関扉が開き、ホールへ集団が飛び込んできた。先頭を切っていたのは瀬人の弟だったが、その後ろの面々も彼は知っていた。それは先ほど過去のクリスマスで学生服を着ていたものたちであったし、内一人については、イヴの夕方に工場でクリスマスの休暇の訴えを持ってきた男でもあった。
「あとからもうちょっと来るから。そしたら娯楽室の方に通してくれる?」
「かしこまりました」
 一人の女中が頭を下げる。
「何、もうちょっとって誰くんの?」
「大学の奴ら。お前ら生で見てみたいって言うからさぁ」
「お、何、もしかして可愛い女の子きたりとか?」
「来るけど決闘ジャンキーの遊戯ファンだぜ。友だちとしてはいい奴だけど口説くのはおすすめしない」
 一団が騒ぎながら娯楽室に向かうのを見送っていると、神の巨大な手が瀬人の背を押した。付いて行って見ろと言うのだった。瀬人は気が進まなかったが、抗うには、その手は大き過ぎた。
 クリスマス企画です。初めにクリスマスお知らせをご覧下さい。

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 その音とともに、過去の瀬人の姿は数年分大きくなった。さっき町並みの中にいた彼らは、今度は、赤い絨毯と大きなシャンデリアに飾られた広いパーティ会場に立っていた。彼の顔は、近年のような陰鬱に凍り付いた人相ではなかったが、厭世と貪欲の兆候は既に見え始めていた。
「本日はお招きに預かりまして」
 今よりは幾らか高く若い声がホールに響いた。彼の傍には、先の晩、鎖に繋がれ夜空に這いずっていた人々が立ち並んでいた。彼らとその時なんの話をしていたか、瀬人はすっかり思い出していた。この頃の彼にとって、クリスマスパーティとは商談の場に過ぎなかった。若い彼は、子供の時分の心を綺麗さっぱり失っていた。
「このようなものを見せてどうしようというのだ」
 瀬人は、現在の瀬人は呻くようにして言った。赤い竜の神は、それには答えず、もう一つのクリスマスを見せようという風に音を立てた。また風景が変わって、豪奢なパーティ会場はどこか一般的な家庭の一室に取って代わった。
「メリークリスマス!」
 学生服の集団が、安い菓子類を広げ、缶ジュースで乾杯をしている。その中に彼はいなかった。
「本当は海馬君にも声を掛けたんだけど」
「遊戯も粘るよな。どうせ行かねってんだろ」
「うん、断られちゃった」
 これがいつのクリスマスなのか、彼にははっきりと解った。というのも、そうして学生服を着た同じ年のものたちに誘いを掛けられたのなど、あとにも先にもこれきりだったからだ。
「けど仕方ないんじゃない? 彼にしてみれば、この時期は稼ぎ時だろ」
「そういうお前のトコはいいのかよ?」
「うちは客層が違うからさぁ。子供向けってわけじゃないし、サンタクロースの来店はあまりね」
 一人がそう言った時、先ほどの亡霊に似て非なる姿の少年が宙を見上げた。
「あー、ええとね……一年に一回、クリスマスの日に、寝てる子供の枕元にプレゼントを配る人」
「なんだ、もう一人の方はサンタ知らねぇのか。えっと、そこにいんの?」
「いるよー。表に出るのは交替だけど、急に替わっても話解んないしさ。ああ、違う違う。実在する人じゃなくてね……」
 素朴で賑やかなパーティが瀬人の目の前で進んでいく。彼は、この時、本当に仕事をしていた。だがそれは急ぎではなかったし、夕方か夜からの数時間を自由に使えぬことの理由にするには、幾らも不足があった。そして、もし精緻なプログラムを組む時のように小数点以下の過不足も見逃さずにいたならば、この場に自分がいて、翌年もそのまた翌年も現在に至るまで、自分の失ったものを取り戻す機会を得られていたのかもしれないと思った時、彼の視界は酷く霞んできた。
「帰らせてくれ」
 現実に、と彼は続けた。赤い竜の神は何も言わずじっと彼を見た。視線に耐えかねた瀬人が今もゆったりと巻き付いている神の胴から逃れようとそれを押しやる。するとどうしたことか、神全体が、彼のソリッドビジョンが消える時のように、虹色の光を溢れさせながら砕け散った。
 瀬人は疲れ果て、耐え切れない睡魔を感じた。そして彼は彼の寝台の上にいるのも感じた。これがソリッドビジョンなら電源を切らねばなるまいが、全ては魔法が解けたかのように跡形無かった。彼はよろめいて横になると、光が収まるか収まらないかの内に、深く眠りに陥ってしまった。
 クリスマス企画です。初めにクリスマスお知らせをご覧下さい。

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「私は時をかけよう。そなたに過去を見せよう」
 低い音が、瀬人の心臓にそう語りかけた。赤い竜の神はその長い身体で瀬人を巻き取ると、何ごとか得体の知れない力で壁を突き抜け、左右に点々と家の並ぶ住宅街の道に出た。そこにある筈の瀬人の屋敷の庭はすっかりと消え失せた。痕跡すらも残っていなかった。暗闇も靄もともに消えてしまった。それは雪のちらつく、それでいて晴れた、冷たい、冬の日中であった。
「これは」
 瀬人は周囲を見回して、驚きに目を見開いた。それは子供の頃の一時期を過ごした町だった。再開発で疾うに消えた筈の町並みだった。神は彼を地面に下ろすと巻き付けていた胴体をそっと外した。その緩やかな動作は、極自然に行われたが、瀬人の触覚にまざまざと訴え掛けるものを持っていた。瀬人は空気中に漂う様々な香気に気が付いた。そして、その香りの一つ一つは、彼が失っていた考えや希望、喜び、配慮と結び付いていた。
 瀬人は道に沿って歩き出した。家々の門にも、等間隔に並ぶ電柱や街路樹にも、何もかも見覚えがあった。走ってきた子供たちにも、擦れ違う大人にも、覚えがあった。
「これらは昔あったことの再現に過ぎない。故に、我々には彼らが見えるが彼らに我々は見えない」
 低い音が瀬人にそう伝えた。だから瀬人は安心して感傷に浸った。それぞれの戸口には柊のリースや電飾が飾られていて、彼がここに住んでいたより更にもっと子供だった頃には彼の家もそうだったことを思い出させた。その頃の彼は、クリスマスを馬鹿馬鹿しいなどと言わず、サンタクロースの訪れを楽しみに待っていた。そしてこの頃はどうだったろうかということを彼は思い出そうとした。
「あぁ、そうか」
 瀬人は通りの向こうの公園を見て呟いた。真新しい玩具の車を走り回らせる小さな子供の傍で、それより少し大きな子供が土管に座って本を読んでいた。あれらは彼らに与えられたクリスマスのプレゼントだった。彼らの暮らす児童施設で、クリスマスの朝、枕元に置かれていたプレゼントだった。
「自分のいたところにくらい、支援をしても良かった」
 あの施設はどうなっただろうか。思った瀬人の身体に、再び赤い竜の胴体が巻き付いた。他のクリスマスも見るといい、と、骨を震わす音が言った。
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 瀬人が目を覚ました時、天蓋の隙間から覗いた外は、壁と窓の区別が殆ど付かないくらいに暗かった。彼は獲物を狩るシルバーフォングのように慎重に、闇を見渡そうと視線を巡らせていた。折りしも、広間の方から、扉や壁を隔て微かに、大時計の鐘が聞こえてきた。彼は鐘を聞こうと耳を澄ませた。
 驚くべきことに、鐘は六つ七つと続けて打たれ、更に八つ、九つも打たれた。そして、ちょうど十二を打ってぴたりとやんだ。十二時だった。彼が寝台に潜り直したのは殆ど十二時に近かった。時計が狂っているに違いなかった。あまりの寒さに、時計の内部が霜にやられでもしたに違いなかった。何故なら、鐘は十二打たれたのだから。
 彼は正確な時間を知ろうと部屋の小さな時計に目を向けた。その小さな長針と短針は、十二の上で仲良く重なり合っていた。
「どういうことだ」
 瀬人は呆然と声を上げた。しっかりと眠ったつもりだった。しっかりと、数分や数十分ではきかないほど眠った感覚がある。
「丸一日寝過ごして次の晩になったなど、あり得る筈が無い。二十四時間も寝ては背骨も痛むだろうし、第一使用人の誰も起こしに来ないなど。だが、太陽に異変が起きてこの闇が昼だというのも、もっとあり得る筈が無いだろう」
 だが万が一にもそんなことになっていたのであれば大変であるので、彼は寝台から起き出して、手探りで窓のところまで行った。外を見れば、そこは非常に暗く、靄も立ち込めていて、そして太陽がどうかしたと大騒ぎをする人々の声などは一切無い空間であった。彼は非常に安心をした。というのも、もし太陽が夜に飲み込まれるようなことがあったなら、彼の太陽光発電所は単なる奇妙な板の陳列所に過ぎなくなってしまっただろうと思われたからである。
 両方の時計が狂ったか、或いはアテムの霊に会ったのも何もかも夢で、本当に眠ったのはもっと早い時間だったのか、そのようなところだろうと考えて瀬人は再び寝台に入った。些か不気味な思いをしながらも横になり、時が過ぎるのを待った。霊は十二時だといった。何ごとも起きない。が、彼がいよいよ安堵の息を吐き出したその瞬間に、大きな雷鳴が轟き、そして霊が来た時と同じように、何か近付いてくる気配が部屋に充満した。
 彼の寝台の天蓋は、敢えて断言するが、しっかりと閉められていた。それが、勝手に開いて、瀬人とその第一の訪問者の顔を突き合わさせた。ちょうど今、書き手の視点が読み手に近付いているのと同じくらいに接近して。そして、この視点は精神的には読み手に非常に近しく定められているのである。
 それは、部屋に合わせたか幾分縮んだ姿で、とぐろを巻き浮かんでいる赤い竜であった。三体の神と聞いた時に予感もしていたが、まさか本当にこの神だとは! 神は、決闘においてそう呼ばれる、札に描かれた魔物の一体であった。このもの言わぬ神から何を聞けというのだろうか。もしや、もの言わぬのは決闘の札としてある時だけで、こうして現れた時には人のように話をするようになるのだろうか。
「お前が第一の神なのか」
 さよう、と、低く静かな声が聞こえた。否、瀬人の心臓はそのような意味だと理解したが、実際、耳に届いた音はもっと別な何かであった。傍から発せられたというより骨を直接震わされたように、おかしな低さの音だった。
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 瀬人は思わず自分の腰と床を見たが、しかしそこには何も見当たらなかった。
「まあ、お前の言いたいことも解るぜ。祭事は面倒だったし、夕方の客はオレの目から見ても胡散臭かった。貧しい村に救援物資を送ってやったつもりが途中の輸送役に横領されてた、なんて昔からよくあることだ。工場だって、生産が遅れてなきゃ普通に休みだったんだろうしな」
「解っているなら、それこそ何を言いにきたというのだ」
「やり方を考えろってことだ。オレにはお前の言いたいことも解るけどな、だからってそれをそのまま行動に移してたんじゃ、こうなるぜ」
 アテムは再び鎖を鳴らした。がちゃがちゃと耳障りな音が部屋の中に木霊した。
「お前はオレより長く生きる分、鎖もずっと長くなってくんだろうさ。楽園ばかりが冥界じゃない。悪鬼としてさ迷うのも、身軽ならそれなりに楽しいだろう。だが、鎖の重さで身動きが取れない奴らは、見てると憐れになる」
 同情など不快なだけだ。瀬人は常時のようにそう言おうとしたが、慌てて口を噤んだ。それを言ってしまっては、霊の言う下らない話を認めるのと同じだった。実際、瀬人はもうこの霊の存在を信じていたのだが、彼の意地がそれを言わせなかった。
「オレがどうしてここにいるのか、それは説明できないが、代わりに説明できることが一つある」
 小さな椅子の上で足を組み替え、アテムが言った。
「オレは、今晩ここへ、お前にはまだ鎖を短くする、更には消す機会も望みもあるということを教えに来てやったんだ。つまり、十年掛かってたらしいが、オレが神々を締め上げて調べた、機会と望みがあるわけさ」
「そんなことをしているから貴様の鎖は重いのではないのか?」
「自分の鎖をどうにかできないかはこれからまた調べるぜ。こっちの時間は永遠にあるからな」
「自分をあと回しにして他人の救済か。かつての、ご大層な友情ごっこを思い出すぞ。そんな情はあのオトモダチ連中のところででも発揮すればよかろう」
「オレとしては、お前も友人の一人だったと思いたいんだが」
 霊はちょいと肩を竦めて言葉を継いだ。
「ともかく、お前はこれから、三体の神の訪問を受けることになるぜ」
「それが貴様の言う機会と望みとやらか」
「そうだ。十二時になったら第一の神が、次の晩の十二時に第二の神が、その次の晩の十二時に第三の神が来るぜ」
 面倒な、と瀬人が呟いた。霊がまた肩を竦める。
「一度に纏めて来い。毎晩時間を取るなどできるか。こちらは霊と違って暇ではないのだ」
「そこら辺は安心しろ。神ってのは時をかけるものだ。実質全ては一晩で終わる。一晩の内に、お前には三回の十二時があったように感じられるだろう」
 アテムが椅子から立ち上がった。鎖が重い音を立てて床の上を這いずった。
「じゃあな。この世界で会うことはもう無いだろうが、この次に冥界で会う時には、お互い鎖の無い状態で会えるのを願ってるぜ。それから、お前が友人程度にはオレのことを思ってくれるってのもな」
 霊は窓辺に歩いていき、ガラスを擦り抜けて、背中から夜空に飛び込んだ。瀬人が思わず窓辺に寄ると、ガラスの向こうには、今しがた落ちていった彼以外にも、同じような鎖を巻き付けたものが漂っていた。漂って――否、彼らは見えない大地の上を歩いているかのようであった。或いは、鎖の重さに這い蹲っているようであった。中には一人二人が同じに鎖に縛られているものもいた。だが、一人として、鎖に縛られていないものはいなかった。存命中、瀬人と関わりがあったものも大勢いた。瀬人は、赤いスーツを着て素晴らしく大きな金庫やミサイル弾を引き摺った中年と初老の間の男とは、生前随分な因縁を持っていた。五人ばかり一緒くたに鎖を巻かれているのは、瀬人のかつての部下であった。その傍の、美しい女とともに縛られた若い銀髪の男にも瀬人は見覚えがあった。その瀬人よりも若い、かつては年嵩だった男は、愛する女を自らの業に巻き込んでしまったというので泣き喚いていた。彼らの不幸は、彼らが悔い改めようとしていて、しかし永久にその機会を失ったということに端を発していた。
 そして、それらに何が起こったのか、瀬人には解らなかった。だが、その全ては、彼の瞬きの合間に消えてしまった。
 瀬人は窓から離れた。天蓋の留金を検めた。それはいつも通りに、何事も無く、天蓋の布を押さえていた。彼はいつもの調子で馬鹿馬鹿しいと言おうとしてやめた。そして、この奇妙な現象を体験したためか、それとも仕事疲れか、或いは死後の世界などを覗き見たためか、はたまた単に時間が遅いからかは解らないが、非常に休息を必要と感じたので、すぐさま寝台に戻って目を閉じた。
 クリスマス企画です。初めにクリスマスお知らせをご覧下さい。

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「それで、オレの存在を信じる気にはなったか?」
「馬鹿な。こんなものは幻覚だ。幻聴だ。或いは寝しなの夢だ。疲れて意識が混濁しているのをいいことに、脳が記憶の引き出しを好き勝手開け放っているのだ」
「お前にこの姿であったことは無かったと思うんだがな。どこの記憶の引き出しが開いたって?」
 アテムが肩を竦める。百歩譲って、と瀬人が低めた声を出した。
「百歩譲って、貴様が霊だとかなんだとかのオカルト現象だとして、なんの理由でオレのところへやってくるのだ」
「それはお前が仕方の無い奴だからだぜ」
 霊が言った。瀬人が眉を顰める。
「仕方の無い奴じゃないか。オレがあれだけ言ってやったのに。あの頃少しは真っ当になってたと思ったんだが、また逆戻りしてるみたいに見えるぜ。……もう一回心を砕いてやろうか?」
「遠慮する」
 アテムの霊を睨み付けるようにして瀬人は言った。
「あれから何年経ったと思っている? 十年だ。貴様の言葉が無力化するには充分過ぎる年数だ。貴様が冥界とやらでのうのうとしている間に、こちらは様々なことを味わってきたのだ」
 嫌味たらしく瀬人が言うと、十年か、とアテムが繰り返した。
「随分経ってたみたいだな。太陽の航行が無い世界にいると日付感覚が狂うぜ。そうか。十年か」
 がちゃがちゃと、彼は腰の周りの鎖を引っ張って見せた。これの重さが時間を取らせたのだと、そう言いたいのかと思われるような様子だった。
「まあいい。お前に教えてやりたくてな。人生って言うのは、オレたちが思っていたほどゲームのようではなかったぜ、ってことを。死んだからって何もかもがリセットされるわけじゃない。楽園に行き損ねるとな、生きてる間にしたことを引き摺って歩く羽目になるんだぜ」
「死んでまで説教か」
「説教に聞こえるのはお前に心当たりがあるからだ。自分が楽園に行けるようないい人間じゃないって心当たりがな」
「戯言を。貴様に何が解る。さっさとゲームを降りた貴様に、その後を生きた人間のことなど解るものか」
 瀬人が不快そうに眉を寄せ、それにしても、と薄い笑いとともに言葉を吐き出した。
「散々オレに説教をしていった貴様に鎖が絡み付いているというのは、些か皮肉な様相ではないか」
「人に説教できるほどになったから、この程度の鎖で済んでるんだぜ。内乱を呼び国を滅ぼした王としちゃ短い方だ」
 先に見た通り、アテムが引き摺っているのは彼の国のものと思しきものばかりであった。瀬人と同時代に生きた分は、そこに括り付けられていない。
「さっき、何が解るって言ったな。解るさ。少なくとも、お前のこれはオレのよりずっと長くて思いんだろうってことが、オレには解るぜ」
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 知った顔であった。紛れも無く、見知った顔であった。いや、見知った表情であった。顔貌そのものは、似ていたが、違う顔であった。頬が幾分硬そうになり、皮膚の色も変わっている。いつもの学生服とチョーカーではなく、熱い国の民族衣装のような服と黄金の胸飾りを着けた、古代エジプトの王であった。引き摺られていたのはやはり鎖で、それは彼の腰の辺りに絡み付いていた。長い鎖はちょうど蛇のように床にのたうっている。それは――瀬人はそれをこと細かに観察してみたのだが――二つの冠や、背の高い金の椅子や、同じ眼の意匠を持つ七つの宝具を括り付けていた。アテムの身体は透き通っていて、そうした鎖の巻き付いている様がよく見えた。
 瀬人は、幽霊と言うのだろう彼の姿をまじまじと見て、それがそこに存在しているのだとは解っていたが、その地獄の業火のような色の瞳のぞっとさせる感覚にも気付いていたが、それでもこのことを信じ切れなくて、自分の目や頭を疑おうとした。
「なんだというのだ」
 声を発すれば幻覚など消え去るのではないかという彼の期待は裏切られた。
「なんだというのだ。なんの用があるというのだ」
「さて。用ならたくさんあるぜ」
 知った声だった。間違い無く。
「貴様は、誰、だ」
「オレの名前を教えて、お前は解るのか?」
「解らないと思うなら解るように名乗れ!」
 瀬人が声を高く張り上げる。
「霊だろうと、それが最低限のマナーだ」
 彼は初め「霊だろうとそれが最低限の礼だ」と言おうとしたのだが、この状況に一層相応しいよう言葉を取り替えてそう続けた。
「現世にいた間、お前の前では、武藤遊戯と名乗っていたぜ。本当の名前はアテムだったんだが、誰か、その事実をお前に伝えたか?」
「始めて聞いたな」
「そうか。ところで、やっと非ぃカガク的とかいうものの存在を認める気になったのか?」
 瀬人の短い気に限界が訪れた。
「その減らず口を閉じて出て行け」
「酷いじゃないか。それが客への態度かよ」
「客なら客らしくそこの椅子にでも座っていろ! ……座れるのなら」
 瀬人が言い足したのは、こんな透き通った幽霊でもすり抜けずに現実の椅子になど腰掛けられるものなのか、どうにも解らなかったからである。だが、この霊はその言いようを然して気にした風でもなく、瀬人が指した猫足の椅子に腰を下ろした。
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突付くと喋りますが阿呆の子です。
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