注意! カップリングも傾向もごった煮の無法地帯です。苦手な方はUターンどうぞ。最近はシモネタにも注意した方がよさそうです。今日、昨日、明日。起きてから寝るまでが一日です。
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 クリスマス企画です。初めにクリスマスお知らせをご覧下さい。

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 瀬人は思わず自分の腰と床を見たが、しかしそこには何も見当たらなかった。
「まあ、お前の言いたいことも解るぜ。祭事は面倒だったし、夕方の客はオレの目から見ても胡散臭かった。貧しい村に救援物資を送ってやったつもりが途中の輸送役に横領されてた、なんて昔からよくあることだ。工場だって、生産が遅れてなきゃ普通に休みだったんだろうしな」
「解っているなら、それこそ何を言いにきたというのだ」
「やり方を考えろってことだ。オレにはお前の言いたいことも解るけどな、だからってそれをそのまま行動に移してたんじゃ、こうなるぜ」
 アテムは再び鎖を鳴らした。がちゃがちゃと耳障りな音が部屋の中に木霊した。
「お前はオレより長く生きる分、鎖もずっと長くなってくんだろうさ。楽園ばかりが冥界じゃない。悪鬼としてさ迷うのも、身軽ならそれなりに楽しいだろう。だが、鎖の重さで身動きが取れない奴らは、見てると憐れになる」
 同情など不快なだけだ。瀬人は常時のようにそう言おうとしたが、慌てて口を噤んだ。それを言ってしまっては、霊の言う下らない話を認めるのと同じだった。実際、瀬人はもうこの霊の存在を信じていたのだが、彼の意地がそれを言わせなかった。
「オレがどうしてここにいるのか、それは説明できないが、代わりに説明できることが一つある」
 小さな椅子の上で足を組み替え、アテムが言った。
「オレは、今晩ここへ、お前にはまだ鎖を短くする、更には消す機会も望みもあるということを教えに来てやったんだ。つまり、十年掛かってたらしいが、オレが神々を締め上げて調べた、機会と望みがあるわけさ」
「そんなことをしているから貴様の鎖は重いのではないのか?」
「自分の鎖をどうにかできないかはこれからまた調べるぜ。こっちの時間は永遠にあるからな」
「自分をあと回しにして他人の救済か。かつての、ご大層な友情ごっこを思い出すぞ。そんな情はあのオトモダチ連中のところででも発揮すればよかろう」
「オレとしては、お前も友人の一人だったと思いたいんだが」
 霊はちょいと肩を竦めて言葉を継いだ。
「ともかく、お前はこれから、三体の神の訪問を受けることになるぜ」
「それが貴様の言う機会と望みとやらか」
「そうだ。十二時になったら第一の神が、次の晩の十二時に第二の神が、その次の晩の十二時に第三の神が来るぜ」
 面倒な、と瀬人が呟いた。霊がまた肩を竦める。
「一度に纏めて来い。毎晩時間を取るなどできるか。こちらは霊と違って暇ではないのだ」
「そこら辺は安心しろ。神ってのは時をかけるものだ。実質全ては一晩で終わる。一晩の内に、お前には三回の十二時があったように感じられるだろう」
 アテムが椅子から立ち上がった。鎖が重い音を立てて床の上を這いずった。
「じゃあな。この世界で会うことはもう無いだろうが、この次に冥界で会う時には、お互い鎖の無い状態で会えるのを願ってるぜ。それから、お前が友人程度にはオレのことを思ってくれるってのもな」
 霊は窓辺に歩いていき、ガラスを擦り抜けて、背中から夜空に飛び込んだ。瀬人が思わず窓辺に寄ると、ガラスの向こうには、今しがた落ちていった彼以外にも、同じような鎖を巻き付けたものが漂っていた。漂って――否、彼らは見えない大地の上を歩いているかのようであった。或いは、鎖の重さに這い蹲っているようであった。中には一人二人が同じに鎖に縛られているものもいた。だが、一人として、鎖に縛られていないものはいなかった。存命中、瀬人と関わりがあったものも大勢いた。瀬人は、赤いスーツを着て素晴らしく大きな金庫やミサイル弾を引き摺った中年と初老の間の男とは、生前随分な因縁を持っていた。五人ばかり一緒くたに鎖を巻かれているのは、瀬人のかつての部下であった。その傍の、美しい女とともに縛られた若い銀髪の男にも瀬人は見覚えがあった。その瀬人よりも若い、かつては年嵩だった男は、愛する女を自らの業に巻き込んでしまったというので泣き喚いていた。彼らの不幸は、彼らが悔い改めようとしていて、しかし永久にその機会を失ったということに端を発していた。
 そして、それらに何が起こったのか、瀬人には解らなかった。だが、その全ては、彼の瞬きの合間に消えてしまった。
 瀬人は窓から離れた。天蓋の留金を検めた。それはいつも通りに、何事も無く、天蓋の布を押さえていた。彼はいつもの調子で馬鹿馬鹿しいと言おうとしてやめた。そして、この奇妙な現象を体験したためか、それとも仕事疲れか、或いは死後の世界などを覗き見たためか、はたまた単に時間が遅いからかは解らないが、非常に休息を必要と感じたので、すぐさま寝台に戻って目を閉じた。
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「それで、オレの存在を信じる気にはなったか?」
「馬鹿な。こんなものは幻覚だ。幻聴だ。或いは寝しなの夢だ。疲れて意識が混濁しているのをいいことに、脳が記憶の引き出しを好き勝手開け放っているのだ」
「お前にこの姿であったことは無かったと思うんだがな。どこの記憶の引き出しが開いたって?」
 アテムが肩を竦める。百歩譲って、と瀬人が低めた声を出した。
「百歩譲って、貴様が霊だとかなんだとかのオカルト現象だとして、なんの理由でオレのところへやってくるのだ」
「それはお前が仕方の無い奴だからだぜ」
 霊が言った。瀬人が眉を顰める。
「仕方の無い奴じゃないか。オレがあれだけ言ってやったのに。あの頃少しは真っ当になってたと思ったんだが、また逆戻りしてるみたいに見えるぜ。……もう一回心を砕いてやろうか?」
「遠慮する」
 アテムの霊を睨み付けるようにして瀬人は言った。
「あれから何年経ったと思っている? 十年だ。貴様の言葉が無力化するには充分過ぎる年数だ。貴様が冥界とやらでのうのうとしている間に、こちらは様々なことを味わってきたのだ」
 嫌味たらしく瀬人が言うと、十年か、とアテムが繰り返した。
「随分経ってたみたいだな。太陽の航行が無い世界にいると日付感覚が狂うぜ。そうか。十年か」
 がちゃがちゃと、彼は腰の周りの鎖を引っ張って見せた。これの重さが時間を取らせたのだと、そう言いたいのかと思われるような様子だった。
「まあいい。お前に教えてやりたくてな。人生って言うのは、オレたちが思っていたほどゲームのようではなかったぜ、ってことを。死んだからって何もかもがリセットされるわけじゃない。楽園に行き損ねるとな、生きてる間にしたことを引き摺って歩く羽目になるんだぜ」
「死んでまで説教か」
「説教に聞こえるのはお前に心当たりがあるからだ。自分が楽園に行けるようないい人間じゃないって心当たりがな」
「戯言を。貴様に何が解る。さっさとゲームを降りた貴様に、その後を生きた人間のことなど解るものか」
 瀬人が不快そうに眉を寄せ、それにしても、と薄い笑いとともに言葉を吐き出した。
「散々オレに説教をしていった貴様に鎖が絡み付いているというのは、些か皮肉な様相ではないか」
「人に説教できるほどになったから、この程度の鎖で済んでるんだぜ。内乱を呼び国を滅ぼした王としちゃ短い方だ」
 先に見た通り、アテムが引き摺っているのは彼の国のものと思しきものばかりであった。瀬人と同時代に生きた分は、そこに括り付けられていない。
「さっき、何が解るって言ったな。解るさ。少なくとも、お前のこれはオレのよりずっと長くて思いんだろうってことが、オレには解るぜ」
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 知った顔であった。紛れも無く、見知った顔であった。いや、見知った表情であった。顔貌そのものは、似ていたが、違う顔であった。頬が幾分硬そうになり、皮膚の色も変わっている。いつもの学生服とチョーカーではなく、熱い国の民族衣装のような服と黄金の胸飾りを着けた、古代エジプトの王であった。引き摺られていたのはやはり鎖で、それは彼の腰の辺りに絡み付いていた。長い鎖はちょうど蛇のように床にのたうっている。それは――瀬人はそれをこと細かに観察してみたのだが――二つの冠や、背の高い金の椅子や、同じ眼の意匠を持つ七つの宝具を括り付けていた。アテムの身体は透き通っていて、そうした鎖の巻き付いている様がよく見えた。
 瀬人は、幽霊と言うのだろう彼の姿をまじまじと見て、それがそこに存在しているのだとは解っていたが、その地獄の業火のような色の瞳のぞっとさせる感覚にも気付いていたが、それでもこのことを信じ切れなくて、自分の目や頭を疑おうとした。
「なんだというのだ」
 声を発すれば幻覚など消え去るのではないかという彼の期待は裏切られた。
「なんだというのだ。なんの用があるというのだ」
「さて。用ならたくさんあるぜ」
 知った声だった。間違い無く。
「貴様は、誰、だ」
「オレの名前を教えて、お前は解るのか?」
「解らないと思うなら解るように名乗れ!」
 瀬人が声を高く張り上げる。
「霊だろうと、それが最低限のマナーだ」
 彼は初め「霊だろうとそれが最低限の礼だ」と言おうとしたのだが、この状況に一層相応しいよう言葉を取り替えてそう続けた。
「現世にいた間、お前の前では、武藤遊戯と名乗っていたぜ。本当の名前はアテムだったんだが、誰か、その事実をお前に伝えたか?」
「始めて聞いたな」
「そうか。ところで、やっと非ぃカガク的とかいうものの存在を認める気になったのか?」
 瀬人の短い気に限界が訪れた。
「その減らず口を閉じて出て行け」
「酷いじゃないか。それが客への態度かよ」
「客なら客らしくそこの椅子にでも座っていろ! ……座れるのなら」
 瀬人が言い足したのは、こんな透き通った幽霊でもすり抜けずに現実の椅子になど腰掛けられるものなのか、どうにも解らなかったからである。だが、この霊はその言いようを然して気にした風でもなく、瀬人が指した猫足の椅子に腰を下ろした。
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 皆々様には、三千年も前にあったような戦車が馬に引かれて駆けて行くとでも、或いは、立派に編まれた大きな葦舟が夜の空気に浮かび通過して行くとでも、好きに表現して頂いて構わない。ともかく、ここでは、セキュリティの問題さえクリアすればだが、誰でも三つばかり入れ子になった棺を戦車なり舟なりに乗せて屋敷の玄関を潜り、廊下を進み、部屋に入ることができるし、しかもそこで入れ子をばらして中身を取り出すこともでき、更にはそれらを容易に行うことができるということを書きたいのだ。そうするだけの広さは、彼の屋敷には充分過ぎるほどにあった。それが、瀬人が天蓋の外にまるでそのようなことが実際に行われたかのような気配を感じた原因であろう。
 瀬人はそんなものには少しも構わずに寝台の上で寝心地のいい体勢を探しもぞもぞと足を動かした。だが、いざ目を瞑る前、何ごとも本当に起きていないと確かめるため、彼は細い腕を伸ばして天蓋の幕をほんの少しだけ開いてみた。そうしたくなるほどには、瀬人も闇に浮かんだ顔に覚えがあったのだ。
 窓、壁、床、全てが天蓋を閉める前の通りであった。家具の陰にも何も見当たらなかった。三重棺などどこにも無く、いつも通りの小さな猫足の椅子と円卓があるばかりであった。
 そこで落ち着いて、彼は再び天蓋を閉め切った。うっかり開いてしまわぬように閉じ紐を括り合わせた。それはいつもの動作ではなかったが、彼を非常に安心させた。だが、次には、彼は、馬鹿なと叫ばずにはいられなかった。閉じ紐の結び目の位置に、あの覚えがあるようで無いエジプト王の顔がちらついて見えた。
 飛び起きた彼の耳に、ちゃらちゃらと、何か重い鎖でも引き摺っているかのような音が小さく聞こえてくる。瀬人はかのエジプト王の、彼が言うところの本体が、いつも鎖からぶら下げられていたのを俄かに思い出した。そんなわけがあるかと首を振り、だが、その音がどんどんと近付き、終いに天蓋の幕一枚を隔てたすぐそこまでやってきた時には、彼の顔色も変わらざるを得なかった。触りもしないのに天蓋が開くと、ちょうど「この顔を見よ、知らぬようで知っている、依り代を通さない彼の顔だ」とでも言うように、庭の警備灯の光が窓の正面を一瞬横切っていった。
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 瀬人は閉まった工場の代わりに本社に戻り、デスクに置いていた栄養補助食品で陰気な食事を済ませた。届いていたメールをすっかりチェックしてしまって、あとは退屈しのぎにプログラムコードを弄くっていたが、やがて寝に帰った。彼はかつて死んだ当主の部屋の隣室に寝起きしていた。それは元々当主の妻のために――無論妻がいるならばだが――用意された部屋だったが、死人の部屋を使うのも子ども部屋を使うのも気が引け、また妻を持つ予定も無いとなれば、瀬人が当主としてそこを使うのも不自然なことではなかった。内装は些か古い時代の貴婦人趣味を留めていて、天蓋の付いた寝台やレースのカーテン、薄桃の壁がやかましく存在を主張している。靄と霜はレースのカーテンの向こうにどんよりと潜んでいたが、ちょうどそれは天空の神がじっと運命の何たるかを考えながら、赤く長い身体を屋敷に巻き付かせているのかと思われるような様相であった。
 ところで、天蓋の留金は、それが非常に高価なものであるという他には、別段変わったものではなかった。それは事実である。また、瀬人がそれを日々見ていたことも確かである。また、瀬人が決闘者の何人とも、魔術師使い、ゴースト使い、戦士使いなどを全て含めても――とまで言っては少し横暴だが、決闘者の何人とも異なって、超常現象に対する信心を殆ど持っていなかったというのも全くの事実である。また、瀬人は、この日の午後に伝説の決闘者という呼称を耳にしたきり欠片も伝説の片翼であるエジプト王について思いを馳せなかったということも、心に刻んでおいて頂きたい。その上で、瀬人が寝に向かった先の天蓋の留め具を、何をどう変えたというのでもないのにアテムの顔と見たのは何故かと、説明できるものならどなたでも、それを説明して頂きたい。
 アテムの顔。それは古代の王墓で眠るミイラのように閉じた闇の中にあるのではなく、真っ暗な闇のフィールドで六芒星の呪縛に囚われたモンスターのように、不気味な光を纏っていた。その顔は怒ってもいなければ猛ってもいず、その昔彼が決闘で勝ちを決める時にちょっとしていたような様子で、即ち幽霊然とした存在の仕方には合わない類の不敵さで、じっと瀬人を見ていた。頭髪は瀬人の知る奇抜さを残しながらも、それよりは少し髪の束が乱れたようになっていた。顔色、というよりも皮膚の色は、幾分も黒くなっていて、彼が依り代の少年の二重人格ではなくエジプト王の魂だったのだと今更ながらに知らしめている。
 瀬人がよくよく目を凝らせば、それはやはり単なる天蓋の留金であった。彼は常時のようにこのオカルト現象を心内で否定し、常時のように恐れなど無いような様子でいたが、今も実際に恐れを感じていなかったかといえば、そんなことは無かった。だが、彼は怯み後ろに下がっていた足を再び踏み出して、天蓋を捲りその内に入った。
 彼は天蓋を閉める前に、一瞬、手を伸ばすのを躊躇った。そして首を外に出して天蓋の弛みの源を見た。果たして、そこには窓からの微かな星明りを鈍く跳ね返す金の留金一つ以外には何も無かった。瀬人は小さく鼻を鳴らすと、さっと天蓋を閉め切ってしまった。
 衣擦れの音は若い女の悲鳴のように天蓋の内に響き渡った。奇妙に反響までもしてみせたが、瀬人は反響などに怯える性質ではなかった。しっかりと幕を重ねて内を暗くし、掛け布を持ち上げて、身体を横にした。しかも、エンドテーブルに置かれたランプの灯りも消して。
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 その間にも靄と闇はいよいよ深まったので、幾らかの作業員はラインを離れてバス停へ向かったものだった。工場の時計はとっくに六時のベルを鳴らしていた。大通りからはクリスマス特有の騒がしさが聞こえてきている。ケーキや鶏肉、或いはシャンパンを売ろうとする店の呼び込みや、無意味に流されるクリスマスソングで通りは溢れ返っていた。普段粛々と行われている筈の売買取引が、この日ばかりは見世もののような様相でいるに違いなかった。
 靄の酷さに寒さも加わってきた。冷気は一層突き刺すようになった。とうとう、工場の閉じる時刻がやってきた。嫌々ながら瀬人は椅子を降りて、工場が閉じられる事実に暗黙の承認を行った。先ほどの作業員が、今度こそタイミングを逃すまいと早速やってきた。
「話があるなら工場長を通せ」
「知り合いの方がまだ頼みやすいんじゃないかって、その工場長の期待を受けて話に来たんだけどな」
 瀬人が片眉を吊り上げる。品行方正とは言い難い金髪の作業員は、所謂かつての同級生というものであった。
「明日の話か? 明日は丸一日工場を閉めたいと?」
「閉めれんなら。てか土曜じゃねぇか。皆休めるつもりでいたってのに」
「それはそちらの責任だ。納品が遅れている以上、休日を潰して遅れを取り戻すのは契約上の義務だ」
「でも明日はクリスマスじゃねぇか」
 瀬人はその言葉を鼻で笑った。
「そうだな、明日はクリスマスだ。来年の明日も、再来年の明日もな。毎年使うには些か不出来な言いわけだ」
 コートのボタンを留め、部屋を出る準備をしながら瀬人が言う。
「クリスマスを楽しみに思いもしねぇ奴が言ってんじゃねぇよ。さっきの客だって、あんな追い出し方されて可哀想ったらないぜ」
「そう思うのは貴様が馬鹿だからだ。あんな胡散臭い連中に寄付など」
 瀬人はもう一度男を鼻で笑った。
「ともかく、どうしても明日は丸一日工場を閉めたくてならないのだろうな。いいだろう。だが、明後日はいつもより早く工場を開けるようにすることだ」
 それくらいは言われるだろうと工場長にも想定されていたところだったので、作業員はそうするということを了解し、明日の休みの約束を取り付けた。瀬人は不服ながらも事務室を出、迎えを呼んだ。工場は瞬く間に閉じられてしまった。作業員はマフラーと手袋代わりの軍手だけを身に着けて、というのも彼はコートを持っていなかったので、一目散に賑やかなクリスマスの街を駆けていった。
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 そうする内、作業員の一人が客を連れ事務室にやってきた。二人連れの男は、見るからに慈善家然とした、恰幅のいい紳士たちであった。事務室にやってきた彼らは脱いだコートを手に瀬人へお辞儀をした。
「海馬社長で御座いますね。伝説の決闘者の片翼だと、兼ねてより雑誌などでお顔を拝見しておりました」
 一人が、手帳を開きながらそう言った。
「もう引退して十年になりますが。御用は?」
「いやはや、急な訪問で失礼致しました」
 もう一人が名刺を差し出した。それを机の端に置いて、瀬人は、全く、と言葉を返した。
「お忙しいところかとは思ったのですが、クリスマスという機会に当たりまして」
 手帳を開いていた方の紳士が、ペンを手にした。
「目下クリスマスも年越しも祝う用意の無い人々のため、援助のお願いに各種企業を回っているところで御座います。この時世ですから、回れる先も限られてはいるのですが」
「では」
 瀬人は男たちに尋ねた。
「公共の支援所は無いのでしたか」
「いえ、幾らもありますよ」
「民間の炊き出しは、あれは今年も?」
「やっておりますよ、今年も。やる必要が無くなったと申し上げたいところですが」
「社会保障の、なんでしたか、あの法も充分に活用されていると?」
「ええ、ええ、勿論。活用の支援もしております」
 そこまで聞いて、瀬人は小さく笑い声を上げた。
「それは良かった。貴方々が初めに言われたことからして、何かそういうことごとの有益な運用を阻害するようなことが起こったのではないかと無用な心配をしてしまいました」
 紳士たちは、鼻白んだ様子を隠して言い募った。
「それだけでは、やはり、足りぬことも御座いますから。御社には、特に子供たちへの資金援助をお願いしたいと思っているのです。それで、ご寄付は幾らと致しましょうか」
 皆無、と、瀬人は答えた。
「匿名をお望みでしょうか?」
「何を仰る。今言ったことを聞いておられましたか? 皆無と言ったのです。クリスマスという機会に、私はなんの感慨も得ていない。自分すら愉快で無いこの季節に、他人を愉快にしている暇など。それに、先に上げたものの維持にならば、私は随分と出したものです。まずはそこを活用して頂きたい。話は以上でしょうか?」
 瀬人はそういうと扉の傍で所在無さ気にしていた作業員を呼び付けた。
「お客様がお帰りだ。門まで送って差し上げろ」
 二人の紳士が、どう言っても自分たちの主張が通らないと見て取ったものか、大人しく引き下がる。作業員が気の毒そうな表情で彼らを連れて行くと、瀬人は再び仕事に取り掛かった。
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「メリークリスマス、兄サマ!」
 一つの明るい声がそう叫んだ。それは海馬瀬人の弟の声であった。彼の弟海馬モクバは、兄が工場の視察に行っていると聞いて予定を変えここへ立ち寄ったもので、海馬瀬人はその声で初めて弟が来たことに気付いたくらいだった。
「何を馬鹿馬鹿しいことを」
 瀬人がモクバに向かって言った。
 彼は、寒い中を駆けて来たので、身体は温まり、血色が良くなっていた。無論、彼とは弟モクバのことである。青年期に差し掛かり肉の落ちた頬や鼻を、まるで子供に戻ったかのように赤くして、白い息をふうと吐いていた。
「クリスマスが馬鹿馬鹿しいって?」
 モクバが大仰に驚いた様子を見せる。
「まさか、玩具会社の社長がそんなこと言うつもり?」
「その通りだ。メリークリスマスなどと、玩具会社や外食産業の作ったブームに乗せられてどうする。乗せる側の人間が」
「けどさぁ」
 明るさを失わない様子でモクバは続けた。
「だからって、辛気臭いクリスマスを送らなくたっていいじゃない。ちょっとやそっとブームに乗せられて踊っても問題無いくらいの準備はあるんだから」
 それはその通りで、贅沢でもなんでも、クリスマスに限らずとも、できるだけの資産を彼は持っていた。だが瀬人は、再び、何を馬鹿馬鹿しいと、繰り返した。
「兄サマ、何をそんなに不機嫌になってるのさ」
「不機嫌にもなる。誰も彼もクリスマスだ何だと浮かれて、心を浮かれさせているだけならまだしも、手元まで浮かれさせているのではな。今日のラインの生産率を見ろ。それに、お前とて、メリークリスマスの一言のために仕事を中断しここに来たのだろうが」
 瀬人は大きく溜息を吐いた。
「メリークリスマスと祝いたいのなら勝手に祝え。パーティでも開けばお前の友人やメイドたちは喜ぶだろうさ。そうすればオレもオレのやり方でクリスマスを祝うまでだ」
「全く祝ってるようには見えないけど」
 モクバは肩を竦め、それから、諦めの混じった声で言った。
「まあいいや。明日だけど、皆呼んでのパーティはやるよ。だから、気が向いたら娯楽室に来て」
 そうは言ったものの、きっと来ないだろうとは予測の付くことだったので、モクバはもう一度念を押すようにクリスマスの祝辞を述べた。
「メリークリスマス、家にくらいは帰ってきてよね」
 彼の弟は出て行く時に工場の作業員たちにもメリークリスマスと声を掛けた。作業員たちは皆身体こそ冷え切っていたが、心は温かさを保っていた。というのも、誰も、メリークリスマスなんて馬鹿馬鹿しいとは言わず、丁寧な挨拶を返したのだ。
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